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いろいろ考えてもどうしようも無いことが、人生にはあるんだよ。と言ってくれたあの人

あともう少し、眼科の待合室で出会った人の事を書こうと思う。

一人はとても元気だったおばあさん。

隣に座っていたので、私の方から話しかけた。
このおばあさんも随分前に片目が網膜剥離になったそう。

ある日、目の前に暗いカーテンが下りてきて、緊急手術したと言っていた。

「網膜剥離という病気は、物がぶつかったりした時以外は、全部カルテに『原因不明』って書かれるみたい。原因が判らないって。
だから、努力しても気をつけても、どうしようもない病気なんだよ。」
と言っていた。

そして
「いろいろ考えてもどうしようも無いことが、人生にはあるんだよ。」
とも。

私は手術してから、通院していた眼科が悪かったのか、あの時せめてすぐに病院に行っていればよかったのか、と思っていたけど、実際同じ病気の人がそういってくれると、そうなんだろうな、と思う事が出来た。

そして、このおばあさんも「まだまだ若いから大丈夫。」とも言ってくれた。


もう一人は、向こうから話しかけてきてくれた、物腰の柔らかいおばあさん。

「大きくて綺麗な目をしているね。」と言って話しかけてくれたけど、私は「この左目、もう普通には視えないんですよ。」と答えることしか出来なかった。

そうすると、「私も同じ、もうだいぶ昔に(網膜剥離に)なったけど。」と話しを続けてくれた。

通院しているのは白内障だけど、片目はもう見えないので、残った目の手術まで診察で様子を見ていると言っていた。

見えている目の事を考えて慎重に診察してから、手術になるの、と。

白内障は当時大変な病気で、旭川の医大で手術したけど、当時は水晶体を取り去るだけで、ほとんど見えなくなってしまう手術だったそう。
そして、あまりよく見えないまま暮らしていたけど、その目も網膜剥離になり、よく見えないので気づかなく、そのまま見えなくなってしまったのだそうだ。

昔の事、大変だった事、色々話してくれた。

昔の事だけど、と話してくれたけど、大変だったろうなと思った。
それでも、こんな風に人に話す事が出来る日が来るんだろうか、と思ったりもした。


眼科で会った人達は一人も「頑張って」とは言わなかった。頑張ってもどうしようもないのが、目の病気だからと知っていたのだろう。

当時、実家の母には「頑張れ頑張れ」と毎日言われていて、運動してみたり、目を使わないようにずっと目を閉じていたり、寝れないのでラジオのノイズを毎晩聞いたり、病気を乗り越えるために色々な事をしていたが、一度も心が休まる事が無かった。

今思えば、眼科の待合室では、誰にも「頑張れ」と言われず、唯一心が休まる場所だったのだと思う。

あの時、色々話してくれた人たち。
あの時、会えた事で、私はまだここにいられるのだと思う。


眼科の待合室で会った人達の事は、これで最後。
これを読んでくれた人が、世の中は結構優しいんだ、と感じてくれたなと思う。
そして、同じような気持ちでいる人に、安らぎが届いて欲しいと思っている。

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