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これまでの誹謗中傷の経緯

恋愛は互いの波長の同調と循環であり、信頼の積み重ねであり、浄化と慈愛、そして背中を守りあい手を差し伸べ合うバディ関係だと思っています。

半年間色々な事がありました。
一つ言えてしまうのは、色々な男性に想いや欲を向けられそれぞれの形で願いを叶えようとされた結果、傷つき、振り回され、窮地に陥り、誹謗中傷や身の危険を感じ続けることになった。
そして、その為今まで安定して築いてきた友人関係や、リアルの関係の大半を失ってしまった、
という事です。
我ながら、これに対して何と言っていいのか、どう表現したものか悩みます。

まず、思います。
言葉にするとなんという馬鹿な話だろう……。
以下半年間を振り返ってまとめたものになります。
よろしければお付き合いいただけると幸いです。
全容をまとめた物になります。

昨年9月の末以前から


まず、自分の生活や仕事、体調、近くの関係性(身内など)でたくさんうまくいかない事が続き、その時点で私はかなり消耗していた状態でした。
9月の末、コロナで高熱を出しながら、どうしても仕事や生活を考えると遠距離を解消できなかった、結婚を約束していた方と別れました。
2年間の交際、内1年半の遠距離。
正直現在も、ひっそり大事に想っている方です。

あの時点で限界超えながら、生きていた所、
10月13日に、3回すれ違った事のある方(1回目ナンパされました)に、関東某駅で全身写真を勝手に取られ、着いてこられそうになる事件、
その後、その事を知った知人男性(関係性としては、肩こりなどを治すスポーツ系お仕事の方)に
異常に心配され近づかれ、その距離感と言動のおかしさを問いただした所、「治療である」旨を言われ、もみ消され、ショックで解離症状を引き起こしました。

その事を両親に報告すると、両親はとても心配症な為、外出禁止、金銭没収、父からは不安からの説教、母からは不安からの過剰なお世話の日々が続きストレスで耐えられず実家を離れました。
解離症状は、記憶が飛んだり、ストレスが限界になると起きていられず強制的に眠りに落ちたり、目の前のことに現実感を感じない、という内容です。
当時明らかに我ながら症状が酷く、数人の仲間で発信活動していた時にも、情緒不安定や解離症状が出てご迷惑おかけしてしまったことを思い出します。申し訳ない思いが今もあります。

11月



当時、ネットにも不安や悲しみや怒り、苦しみを書き捨てるように発信しておりました。誰にも相談できる方がいませんでした。相談しようにもパニック状態、そして、もちろん内容的に重すぎて誰も聞きたがらなかった。真に受けなかった。それはそうだと思います。私もうまく伝えることができませんでした。
ただご迷惑をおかけしただけになりました。申し訳なかったです。

ネット上で色々な方にご覧いただき、話が広がっていき、誹謗中傷へと繋がっていきます。
当時は正確にどこから、どのように広がっていたのかは私には分かりませんでした。
当時知り合ったネット上の方に相談した所、とんだ誤解から尾ひれがつき始めました。

たしかに、我ながらこの展開は非現実的です。なぜか男性に寄ってこられて次々と被害を受ける、おそらくそう無いと思います。モテたい妄想だと言われ、違う、男性は怖い苦手だ、と言う所から始まりました。
妄想であって欲しかった。
そして、ネットでは気がついたら大量の身に覚えのない話が付きまとい、リアルではカプセルホテルを渡り歩き、不動産で1人住まいの家を探しながら、解離症状とうつ症状と、絶望感と、この先どうなるのだろうという恐怖、また誹謗中傷の内容への恐怖、ストレスで限界を超えた日々を送っていました。弱り過ぎてろくに食事もとれず、当時その苦しみと、それでも食事をしないと、という想いの発信から今の食べ物イメージが着きました。
その頃、ネットで有名な方が(今回の話題で一番メインになり、最終的に戦うことになった方です)
私について、ずっと追っていて言及し、干渉しようとされるのを確認いたしました。
11月の上旬です。いつからご覧になっていたかはわかりません。14年前自死で亡くした姉のような方の命日が近づき、その事に言及した所から、その方は物凄く近づこうとされていて、言い回しは「新興宗教に洗脳された女がいる」というような物でした。

当時の内容として出回っていたのは、
・ホストに騙されてすっからかんになった
・売春している
・旦那と子供がいる
・旦那と子供を置いて家出した
・借金だらけ
・突然深夜に飛行機で地元北海道に帰って、男性とドライブした
・非モテ女
・誰とでも寝る
・色々な飲食店に喧嘩を売った
・色々な性の方に喧嘩を売った
・何らかのブランドに喧嘩を売った
・私がレズビアンである
・不倫した
・自己愛性人格障害である
・統合失調症である
・散財しまくっている
・酒浸り

全て事実無根であり、また各方面の方々にも非常に失礼な内容だと思います。

すでに私は、「ねこがかわいい」と発信しただけで、炎上しておりました。(ここからネコミームイメージ)
あまりにも怖く、またネットから離れようとしたら間接的に脅迫が飛び、何を言っても叩かれ、笑われていた為、
生き延びるために、短歌、詩、小説調、論文風、ビジネス文書風、丁寧な口語、柔らかめの口語、方言をわざと使い分け、飛ばされる論や、質問、誹謗中傷に対して色々な角度から反論と、目の前の一人一人の方の考えや目的を探っていました。
また、どのような風に文を読み、反応を返されるかを見ておりました。必死でした。文字打ちの速さとストレスと疲れで誤字脱字が多発しており、また情緒不安定でもありました。
その有名な方は私の文体と、言わんとしている事を全て理解して、本人も乱暴な独特な文体で、ご自身の全コンテンツを使って私と対話をなさっていました。
当時、その目的は私には見えず、今思えば全てアプローチで目的を果たそうとされていた事がわかります。

12月



12月上旬、引越しをして誹謗中傷で毎日炎上している中、「ネット上の誰かに相談しなさい」と指示がどこからか飛んできました。
その時、ぞっとしたのは完全にたくさんの男性たちが、下心を持って待ち構えているように感じた事でした。
あまりにも怖く、結局対話が出来ていたこと、商売としてフォロワーと会っていることを理由に、その有名な方と一度お会いしました。
12月の中旬だったかと思います。内容は今後能力的に絵を描いたら上手く行きそう、と脳疲労のとり方を教えていただいて解散。

当時、肩こり治療の為、通い始めた通称「ツイッタラーの店」でもセクハラをもみ消され戦っていた時期でした。思うのは、変なイメージがつくと格段にセクハラや犯罪に巻き込まれやすくなります。
変なイメージが着いた人には、何をしてもいいというお考えの方が多いのだと半年間よく学びました。

男女10名以上のスタッフさんが担当してくださいましたが、一部の男性スタッフの方々が脇や、胸の上、臀部をひたすら触っていて、抗議しても通らず、契約も切れず、女性スタッフの方をあたり、女性スタッフの方のお仕事や、ご性格を見てその方一人一人のお仕事を評価して、似合うファッションを提案し続ける事で、店への抗議としていました。プラス職場環境改善と、内部権力バランスの変化を狙っていました。
アカウントを教えてないのに、誹謗中傷がリアルで広まっていること、またリアルで誰にも頼る方がいなかったこと、嫌がらせや、卑猥な事を言われることが増えた事、買い物など、何らかのサービスでも嫌がらせをされるのが日常になったこと。
もう、リアルに帰れないと、相談も誰にもできない、帰るところもない、心身ともに休める事もできない。
自分でなんとか、そこから生きていかないといけない。自分で食べて生きていかないといけない、自力で。その思いで生き方を模索していました。
発信で食べるか、発信自体を辞めるか、また新しい生活で建て直していく発信をするか、と思っていた所、ただの家事をした内容でも深読みされ続け、燃え続け、脅迫内容も飛んできていました。
間接的に後ろから襲うことができる、インターホンはハッキングできる、口座から全財産抜き取りたいと、あちこちから面白がられてコメントされていましたので、怖くなり、私のどんな情報がどのように、どこで共有されてるか、情報収集の為に一人の方と危険を感じながらお会いしました。
案の定、その方はナンパして、私の話を全て妄想だ頭がおかしい、と全否定した後、私との卑猥な妄想を発信し続けました。私は精神的にボロボロでした。耐えられなくなるとアカウントを消し、すると脅迫内容が飛んでくるので、作り直す繰り返し。
半年で5回はアカウント切り替えたように思います。


お節介として人を生かそうとする


そんな場が混沌としていた中、10月に問題になった「治療」と言って近づいたスポーツ系の職の方が、明らかに命が危うくなるほど、ご病気である、という状態を知ってしまいました。
半年間、スタッフさんとしてお世話になっていた方です。最終的な近付き方と言動は何だったのだろうと悩み続け、ここまで来てご病気とわかり納得しました。問題行動を起こし豹変するまで、スタッフさんを言わば弟のように思っていました。仲良くさせていただいていて、その方の色々なご事情は聞いていましたので(ある種家庭環境が似ています)
ご病気の為私を助ける、本人の言う治療の為ではなく、ご本人のヘルプ行動として、そのような近づき方しか出来なかったことを理解してしまいました。私も傷つき、病気が増え、問題が広がってしまったけれど、許してしまった。
この方は精神的な弱さ同士の問題を恋愛的な近づき方と、接し方でしか助けを求められない、助けられないとお思いだったのだと思います。

私は、14年前に自死で亡くした姉のような方を想い(以後姉)、その方が姉の亡くなった同じ年齢で同じ季節だったことから、その方の離職前のとても命が危ない時期を超えるまで、ある種面倒を見ようと覚悟して会いにいきました。12月下旬。
姉を亡くした事から、放っておけなかったのです。14年この時期喪に服し続けながら生きてきました。また知っている人を亡くすと思ったら耐えられなかった。
向こうは恋愛感情を向けておられると思いつつ会いました。本人が望むのなら一旦引き受けよう、落ち着いたら送り出そうという覚悟です。
我ながら馬鹿というか、お節介だったかと思います。
結果的に、相手の方に恐らく喜ばれながらも(表情的に)全て提案を却下され、こちらが問題行動を起こす困った客として色々言われてしまいましたので、(お前が言うなですが、ある意味その通りでもあります。反省です)その後お会いしておりません。
きっと生きておられると思うので、どうかお元気でと思っております。
今も生きておられるなら、それでいいのです。
でもこのやり方は助け方として良くない。
自分の傷は自分で癒していくしかないのだと、自分の為にまず生きないと何もできないのだと、
身を削りあって助けようとしても、共倒れになるのだと深く思います。どうかご自身を大事にしてください。命を削りながら人を癒そうとする方です。私も人の事を言えません。

告白劇

さて、有名な方の話に戻ります。その方はその頃からやたらと結婚について発信するようになりましたが、他人事として拝見しておりました。そして、年末指示が飛んできます。11月から全コンテンツを使って対話と指示を飛ばしておられたのですが、さすがに告白しろと言うのは、訳が分からず、何だそれはと抗議した覚えがあります。
指示を飛ばして、場を収めたり、行きたい方向に進ませるのが得意な方なので、私がただの家事ポストでも燃えていた時にも収めていただいていました。
私の発信は、基本的に一つ一つ投稿として届けたい相手、話しかけている相手を思いながら発信して参りました。相変わらず文体も表現も内容もまちまちです。その時期で目の前でメインでおられる方々は移り変わりましたけれど、最初から最後まで見守ってくださった方もおられました。
微妙に疎遠になって、また戻ってきた方も居られます。なんというかご縁が面白いですね。
告白劇ですが、やれと不機嫌に返されましたので、何か訳があると適当にやりました。とても痛々しい女を演じさせて、この人は何をする気だと思っていると、ご本人は黙ったままでいて、私は全体から「推しに告白して捨てられた馬鹿でおかしい女」として哀れまれました。
なるほど、直接的な叩きから、可哀想という皮を被った叩きになる。その方がましです。
理解した途端、ゲラゲラ笑っていると、ご本人は結婚発表を始めました。当時思ったのは、酷いやり方で私に対する叩きを抑え、ご自分の結婚を盛り上げ、プラス、サービスの宣伝の3つをやったのだとわかり、そうなんでしょう、おめでとう、と考えを披露した覚えがあります。ご本人は不機嫌でした。
そして、そこから最終で周りにいてくださるメンバー構成になっていきました。一緒にその方と戦い、守ってくださり、励ましてくださる保護者や仲間の方々です。
私は年末にアカウントを消そうかと思ったのですが、初期の頃に誤解で揉めた方が、私の投稿からどうにか、私の所属先に繋がる方に会って繋いでくださったので、持ち越し2023年を終えました。
あの弟分の命の心配をしながら、過ごした年末でした。

1月。妻とは。

さて、元旦から地震です。私の親戚が被災いたしました。当時津波の警報からパニックになりながら、親戚の安否確認と、被害情報の提供、また両親を支えるため実家に帰り、今までのストレスと疲労とダメージから動けなくなりながらも過ごしました。
一人暮らしを始める際、もしかして二度と両親とも会わないかもしれないと、絶縁覚悟、何も以後連絡せずにいたのですが、親戚の被災を思うと、両親を思うと耐えられなくなり、実家に一時戻ります。
有名な方ですが、年末と正月に「妻の実家に挨拶した」とおっしゃっており、おめでとう、と純粋に思っておりました。指輪も披露されていましたね。他人事でした。
そして、私が地震でパニックになって泣きながら色々作業と、発信をしていると、7日頃現地に行かれていました。
ここから不思議に思い始めます。
11月から延々、私に対する投稿、発信スタイルも、どうも変わっておらず、お連れ合いの存在感と中身が感じられなかったからです。
10日頃、何の話題からか、周りの方々総出で私が恋愛感情ににぶい事をお説教いただきました。そこでどうも周りの方々にそれぞれ想われている事を知ってしまい、パニックと、やっぱり何となく感じていた感覚が当たってしまった事から、引きこもろうとした覚えもあります。
その中で有名な方も、独特の卑猥な言い方で私に気があるという発言をなさり、新婚早々、不倫はだめだ、お断りすると宣言したのが、その後の流れの始まりでした。すると結婚の相手はお前だと言われてしまい、あまりの事で言葉を失い、喧嘩というか、抗議をしていたかと思います。話を聞き対話をし、何度振っても、抗議しても、不機嫌に私を貶める内容、または死や、私の身を脅かすような発言を続け、私がネットから消えようとすると、また状況が悪化しました。ご本人と一対一の直接の対話は拒否され、公開で争うことになりました。
そして、理解しました。そうかこんな事やっているから酷いイメージが付きまとうのだと。今まで受けてきた状況の内容もそれぞれ酷く、抗議の内容もそれに対応した物になりますし、ストレスと抗議が通じない怒りで爆発し、物言いがこちらも荒く、キツくなる事がたくさんありました。
当時近隣の方から住宅侵入未遂、実家の窓ガラスが割られたり、父の車に釘が打たれていたりと、身の危険を感じない時はありませんでした。
ここで引けない。諦められない。こんな危険の中で、言われもない誹謗中傷で全て失ってしまうのは許せない。悔しくて仕方がなかった。

2月 全体潔白証明


そこから、ご本人の尻尾を捕まえるべく、荒れた某街を夜中歩き回ったり、公開でやりとりを続け、全体証明へと至ります。
荒れた街にはご本人のお店に行き、交渉しようと思ったのですが、当時お店の公式アカウントの情報が全て嘘でお店はありませんでした。事前に行くよと申し上げ、ご本人もご認識の上出掛けました。地元の方にたくさんお聞きしましたが、お店は無く一緒に調べていただいている間に、時間帯によってお店がいかがわしいお店に所在地として表示されたり、また、私が本店に電話を掛けても10コールしても出ないのに、協力してくれた友人が電話を掛けると、電話中だった為、人はいるようでした。
ご本人とは、11月頃からやりとりしていますので、方法や、流れ、言動の癖、文体の癖、性格の癖はわかっておりましたので、それの意味合いとやりとりをしている所を公にすることを目的に、発信していました。
当時どこに行っても、目の前の方が、空中に話しかけたり、わざとらしく目の前の写真を不自然にとったり、わざとらしくかわいいと言ったり、誹謗中傷に乗っ取った噂話をされたり、知的障害として扱われたり、卑猥な発言をされたり、乾燥からハンドクリームを使っただけで意味を深読みされ、水分補給でも深読みされ、監視と実況が付きまといました。
家の周りも張り込まれ、罵声や、変な声での嫌がせ行動もありました。買い物すらままならない。買い物中、粘着されている事が公に知れる度に、周りの方々が驚愕していた事を思い出します。
その後相手の方の付きまとい、粘着行動が公に知れると、出先で心配してくださる方、さりげなく周りを確認しながら見守ってくださった方々、そっと応援のお言葉をくださった方々、あまりにも有難く、その度に泣きそうになり、耐えきれず顔が涙と鼻水だらけになった事もありました。心から感謝申しあげます。

3月、潔白証明後

あまりにも疲れ果てた事、また、相手の方が粘着で諦めない事は目に見えていて、すでに気力も体力も尽きていた所、着地が見えず相手の方と争い続け、精神的にも不安定になり、トラウマ反応として大きく出てしまう事が増えました。
私としては、誹謗中傷の原因証明、潔白証明ができたら十分でしたので、インフルエンサーやYouTuberは目指しておらず、リアルで元の掛け持ちフリーターに戻ろうと思っておりました。
思いがけず温かいお言葉をいただいたので、何か発信として続けようとも考えましたが、私があまりにも消耗し、トラウマ反応が酷かった事、また私がネット上にいるといつまでも、何年経っても粘着し続ける事を予感した事、純粋に体力、気力、体調に限界を迎え休まざるを得なくなり、Xアカウントを削除させていただきました。精神的に限界を迎えた事、これ以上相手の方に私の発信の真似をされるネタを与えたくなかった為、急いでしまいました。ご説明が不十分で申し訳ございませんでした。
その後もお世話になった方々の発信は、陰ながら拝見しておりました。

 最後に。

その後、一緒に戦ってくださった方々と、粘着の方のバトルになり、全体証明が甘かった事を思い反省しつつ、しばらく黙って拝見しておりました。
1月から相手の方を変えよう、導こう、諭そう、説教、怒り、それの中で延々回り、私には到底手に負えなかった為、それより自身の回復と生活を整え、これからの為に準備する方が私の幸せと人生の為だと思いました。
ほかの方々はそれぞれの方法で、対話なさっていて、頭が下がると同時に私のポジションを引き受けてくださり、とても申し訳ない思いと共にとても深く感謝しております。
途中から心配になり、陰ながらお声がけさせていただいておりました。

そして本日、全体をまとめさせていただきました。

タイトルに戻ります。
私にとって恋愛とはなにか。
恋愛は互いを生かす物であり、祝福するものです。
積み重ねで年齢を重ねる事、その年齢の変化、それに伴う関係性の変化をも愛おしく思うものです。

そう感じる2年の後にこの半年がありました。
男性の一方的な想いと、欲にふりまわされる半年でした。
二度と経験したくありません。
これがモテるということなら、二度とモテたくありません。
想ってくださるのは有難い事ではございますが、このような形で想われたくないのです。
私は私自身を大事にして、好きな物ややりたい事をして、どうにかこうにか稼ぎ、穏やかに友人や家族、身の周りの方々と支え合い、喜びと悲しみをそっと分かち合う。
リアルで人の繋がりを大事にしながら生きていく。人を大事に生きていく。
それが望みです。 

最近人様に「理想の男性リスト」を作ったらいいよとアドバイスをいただきまして、先日作りました。
以下の内容になります。書いていて思いました。
これは一つを除き、2年一緒にいた方そのものです。恥ずかしながら公開いたします。



このような方と2年過ごせた事を心から幸せに思います。この2年ほど人に愛された事を感じる時はありませんでした。好きなだけ想い、いつか手放せた時に、いいなと想う方にめぐり会えれば恋愛するでしょうし、ピンとこないとしないでしょう。
私にとって恋愛は波長で惹かれ、信頼の積み重ねと慈愛であり、癒しなのです。
それ以外求めていません。迷惑なのです。
どうか、これ以上私の人生が男性に破壊されませんように。またそのように破壊される方が少なくなりますように。
変にモテるのはゴリゴリです。

温かいお言葉、励まし、アドバイス、お叱り、たくさんありがとうございました。
心から感謝申し上げます。この経験を糧に生きていこうと思います。どうか皆様におかれましても、不条理な事、生きづらい事がたくさんある世の中ですが、一人一人の方の日々に幸せがありますように。

2024/03/27  黒目歩希

4月、現在まで追記

2024/04/02

2024/04/07
少し書き足しました。
今日に至るまで、ご本人の文法のプレゼンテーションと、その上での言動をご覧いただきました。だいたいご理解いただけたかと存じます。お付き合いくださりありがとうございました。今まで書いた誹謗中傷の経緯、ご本人や手法分析記事をマガジンにまとめました。どうぞよろしくお願いいたします。











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