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学校行かずにゲーム三昧の不登校クソガキ。紆余曲折の果てにプロeスポーツチームの代表になる。(前編)

宮崎県を拠点に活動するマルチプロゲーミングチームFiveness Esportsの代表をしている黒まめ(永田 大和)です。この記事の投稿段階ではまだ18歳の高校3年生です!

前回までの、現役男子高校生が一人で400人以上が出場したeスポーツの大会を開いた話。

を読んでくださった多くの方々から、お褒めの言葉を多く貰いました。そんな中、自分の中に違和感が生まれたので、今回は自己紹介を。

どういう経緯で僕がプロeスポーツチーム、Fiveness Esportsの代表になったのか、どうしても言えない所を除き、赤裸々に語っていきたいと思います。

単なる自分語りでしか無いので、こんなやつでもeスポーツに携われるんだ!とか、こいつが出来るなら俺も出来るかも?という感じで参入のハードルを下げられたらなと思ってます。

1,大前提として…

これは僕の人生のこれまでの話であって、

僕の価値観とエゴイズムの塊の文章です。

だから、全てに共感する事はあり得ないと思いますし、もし共感する部分があれば、一度読む手を止めて自分自身と向き合い、本当にそうなのかどうか考えてみてください。

それと、人によっては見たくない内容も含んでると思います、下の見出しを見て察した方はブラウザバック推奨です。

ここに書いてある内容は『僕の人生』というただの結果です。

2,イジメ

イジメって、学生生活とは切っても切り離せないと思ってます。勿論「自分は経験したこと無いし見たこともないぜ!」

って方も居るかもしれませんが、世の中の多くの学生はイジメを見ていたり、したり、されたりしてると思ってます。

もしくは気付いて無いだけで、その行動が誰かにとってはイジメであったり……

僕は小学2年生〜4年生までイジメられてました。

理由はよく覚えてません。

気付いたら物が隠されたり、心当たりのない悪い噂が吹聴されていたり、クラスの男子の中で『居ないもの』として扱われていました。

今思い返すと可愛いものですが、当時は自分の家が落ち着ける環境では無く、学校が心の拠り所だった僕にとって相当のショックだったのを覚えています。

男子から居ないものとして扱われたので必然的に女子と関わる事が多くなりました。それも男子達からしたら気に食わなかったようで、更にエスカレート。

いよいよ居場所は無くなっていきました。

そこからは読書に没頭しました。

最初は漫画ばかり読んでいましたが、すぐに読み終わってしまうので分厚い小説に手を伸ばし、そこから背伸びをしてゲーテとかシェイクスピアとか読んでましたw

恐らく小学2年生〜4年生で数百冊は読んだと思います。その読書期間で文字に慣れました。

思い返すとイジメられていたのは僕の今後の人生を大きく変えた一つの分岐点だったと思います。

イジメで(というか読書で)

ある程度の文章能力が身に付きました。

想像力も豊かになりました。

語彙力も高くなりました。

イジメでマイナスな所を挙げるとしたら、図書室だけが僕の居場所で、ただただ孤独で疑心暗鬼な生活だったという感じでしょうか。

当時は本当に辛かったのを覚えています。

3,褒められる?

親から褒められた記憶はそう多くありません。

何かで賞をとっても、褒めてくれるのは祖父祖母ばかりでしたが、子どもながらに両親の事で僕に罪悪感を抱いているんだなと、どこかで理解していました。

何があっても親は親。子は親に褒められたいと望むものだと思います。

僕の家庭に関しては深く言うべきではないので割愛しますが、僕は親に褒められたい一心で、愛されたい一心で、大人との付き合い方を学びました。

上司と部下みたいな。

一般的な家庭とは言えなかったと思いますし、僕がませたクソガキになる一因だったと思います。

毎日が張り詰めていました。

朝起きて眠るまでご機嫌伺い、気を遣って生活してました。

そっちに気を取られて他の事が疎かになって逆によく怒られていましたw

家では自分の部屋が無かったので、昼は近くの山で、夜はトイレで泣いていました。

そういう環境からか

気を遣う重要性

空気は読むもの

という事を学びました。こっちも苦い思い出です。

でも他人に合わせる事が苦では無くなりました。

これは大きい。本当に、生きてきた上でこれが一番僕を救ってきた記憶があります。

代わりに自分を見失いましたが、後の祭り。

そういう自分を受け入れて生きていくしかないと理解しています。

よく自分を強く持て、とか。書かれていたり言われたりしますが、その自分が分からないので形容し難い気持ちになります。

だからここぞ!という時に踏ん張れるのは自分では無く他人の存在だったり、自分の抱える責任だったり……

なにかが欠けてもいいように保険で色々なものを抱えがちです。

だからキャパオーバーして常にゼィゼィ言ってるんですよね。

間違えないで欲しいのは、自分の意思はあるんです。

ただ、自分はどういう人間なんだろうと考えると、途端に分からなくなる。

客観的に自分を分析する事は出来ますが、それが主観になった途端出来ないみたいな。

4,多くを抱え出した小学5年生

小学5年生になり、イジメも消えて。

僕は多くのモノを抱えだします。

それが前述した所謂保険なのか、それとも自分を探しているのか。今もまだ分かりません。

ただ、5年生辺りから積極的に賞を取ったり、運動会のリーダーをしたり、生徒会をしたりと。

多くの物事に関わり、多くの物を抱え、なまじなんでも出来てしまっていたので、沢山頼られました。

とても充実した日々でした。

誰かに頼られると、

相手も喜んでくれるし僕も嬉しい。

そう気付いたんですよね。

そして、自分が成した事は形となって残るというのも、とても感動しました。

2〜4年生と5年〜の落差が激し過ぎて余計にそう感じたのかもしれません。

家庭事情は悪化の一途を辿っていたので、いよいよ僕はそういう事にのめり込んでいきました。

6年生は生徒会しながら塾行ったり家庭教師とったりで一日中受験勉強に励んでました。

マジで今思い返しても勉強しかして無かったです。

平日は8時間、休日は12時間。

受験に専念する為、祖母宅に住んでました。もう他の何事も可愛く見えるくらい地獄でしたね。

僕をイジメてた奴らと同じ中学に行きたくなくて必死に机にかじりついてました。勉強嫌いなんですけどね。

まぁ、勉強嫌いが進学校の中高一貫に行ったらどうなるか。まだ分かって無かったんです……

5,大爆発

家庭環境のせいで常に纏わり付いてきたストレスと、勉強嫌いな癖に進学校に行った事が僕の中で抑え込めなくなっていました。

そして中学入学と同時に始まる反抗期。

何かに耐えられなくなった僕は

学校を脱走していました。

大騒ぎの学校

敷かれる捜査網

見つからない僕

探す先生

教室のロッカーで鳴り響く僕の携帯

歩いて20kmくらい離れた当時の家(祖母宅)に帰ると先生と祖母がいました。

もう少しで警察に捜索願を出す所だったと聞かされ、申し訳ない気持ちになりました。

懲りない。

ダメですよねぇ。それから脱走を2回程繰り返し、流石に教室にも居づらいので、中学1年生の夏休み前から学校に行かなくなり。

不登校になりました。

そこからはありきたりなパターンですね、僕には甘かった祖母の家でPS4のDestinyというゲームにどハマり。

昼も夜も問わずやり続けてました。

親戚の家をたらい回しにされた期間もありましたが、頑として学校には行かず、ゲームに明け暮れていました。

もう僕にとって、ゲームだけで繋がっているフレンドが世界の全てで、外界との唯一の接点でした。

でもそういう関係が心地よかったんです。相手は顔も住所も知らない、だから話せる事が多くありました。

そういった側面からますますゲームにのめり込んでいきます。

この頃はeスポーツなんて意識もせず、ただ現実逃避のための都合の良いツールに過ぎませんでした。

それでも、僕は確かにゲームに救われていました

心療内科の先生や、学校の先生、友人と違い、なにかを話す、相談する。というハードルが非常に低かったんです。

ただ、側から見たらただの引きこもり。保護者としては将来が不安な訳です。

ここで第二の人生の分岐点にさしかかります。


いかがでしたでしょうか、前編でした。

思い返すと、両祖父祖母からは非常に良くしていただいて、今僕が生きてるのも冗談抜きで両祖父祖母のお陰です。

eスポーツと全く関連性が無い話題ばかりで申し訳無いですが、まぁ自己紹介?なので許してください。

これは黒歴史確定だと僕は睨んでます。

それでもいいんです。

ゲームをやっている人の中には、学校に行けない人とかが一定数いると思ってます。

そういう人たちの、ほんの少しの勇気の足しになってくれれば嬉しいです。

もし今不登校な人とか居たら是非DM下さい。お話し位は聞けますし、歳が近いからこそ言える事も多いと思います。

一回不登校になったからこそ分かることもあります。

次回は、不登校になってしまった僕がどのようにして学校に通えるようになり、そして何故eスポーツと関わるようになったのかをお話ししたいと思います。







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