学校行かずにゲーム三昧の不登校クソガキ。紆余曲折の果てにプロeスポーツチームの代表になる。(後編)
宮崎県を拠点に活動するマルチプロゲーミングチームFiveness Esportsの代表をしている黒まめ(永田 大和)です。この記事の投稿段階ではまだ18歳の高校3年生です!
※3/2に高校の卒業式があり一応卒業しましたが3/31までは高校生ということで!
前回のnoteもまた様々なご意見をいただき、多くのお問い合わせをいただきました。
勇気が出ました!や、モチベ上がりました!という反応を見るととてもうれしい気持ちになります。
反面、予想通り馬鹿にしたり嘲るような反応も当然いただきました。
でもまぁ、少しでもプラスに受け取ってくれた方がいたので、書いた意味はあると思います。
今回はどうやって学校に行けるようになったのか、そしてどうしてeスポーツに関わるようになったのかについて書いていこうと思います。
1,未知の世界
皆さんにも未知の世界ってありますよね?
僕には沢山あります。そして絶賛不登校ライフを送っていた中学1年生の夏の暮れ。
僕はいきなり未知の世界に飛び込むことになりました。
両祖母が僕の扱いに困り果て、更生してほしいという思いから某県の引きこもり更生施設にぶち込まれたんですよね、3か月コースでw
それが、標高300mの山の上にある、携帯の電波も届かない禅寺でした。
当時の僕はただただ両祖母を恨みました。
見ず知らずの土地の、しかも禅寺。ネットなんてあるはずもなく、それまでの生きがいだったゲームやネットから強制的に引き剥がされたんです。
まだ理解していなかった、しようとしなかった、今よりもガキな僕じゃ仕方なかったと思います。
でも、
この経験が僕の人生を大きく変えました。
禅寺での一日はこんなかんじ
朝5:30分起床→朝6:00から読経→朝7:00から朝食→朝9:00から昼食を挟み、17:00までずっと農作業→17:00から夕飯や風呂等を済ます→22:00就寝。
因みに禅寺行く前の一日はこんな感じ
朝9:00就寝→18:00起床→朝食兼夕食を済ませ、眠くなるまで永遠にゲーム。
こんな不規則な生活を送っていた僕が、急に規則正しい生活が送れるのか?と疑問に思う方が多いと思われますが、案外余裕でした。
最初は流石に苦でしたが、それでも嫌な顔はしないように気を張りました。だって、これから3か月一緒に暮らしていく世界なのに、嫌な顔したりして自分の立場が不利になったら嫌じゃないですか。
だから僕は愛想よく、好かれるように、いい子を演じました。
そうやって生活してたら2、3週間で楽しくなってきたんですよね。
今書いてて気づいたんですが、多分僕の価値観や人間性の根幹にあるのは
「自分の立場が不利になったら嫌」
これなんだと思います。
おそらく幼少期で芽生え始め、この寺で花を咲かせたんでしょうね。
この生き方は僕の人生において非常にプラスです。
eスポーツに限らず、特定の層に嫌われない立ち回りを心がけているので、その層からの恩恵を多く受け取ることができます。
万人から好かれるなんて無理です。
人間ですもの。顔がきもいとか、声がきもいとか、話し方がウザいとか。よく分からない理由で叩かれることなんてしょっちゅうで...
だから万人に好かれる努力は怠らず、その中で絶対嫌われてはいけない層を定め、そこだけには嫌われないように生きるんです。
その具体的な方法を習得し、実践できた期間でした。
2,なんか楽しくなってきた。
そうやって生活してたら2、3週間で楽しくなってきたんですよね。
と前述しましたが。
どう嘆いても僕は家に帰れないので、とりあえずポジティブになってみることにしました。
この、とりあえずポジティブになってみる。
今では全てを前向きに捉える。と解釈していますが、これめっちゃ大事です。本当にオススメしたい!
いつかこの話もしたいですね。
まぁ楽しくなってきたんですよ、寺での生活が。
未知の世界に放り込まれ、毎日が新発見、新しい出会いのオンパレード。
興奮しないほうがおかしいですよね。
色々な人から色々な話を聞いて、色々なことを教わって。色々な経験を積みました。
人間は好奇心の塊ですから、充実した毎日でした。
ゲームよりも人と話したり、農作業する方が本当に楽しかったんですよね。
そう思う頃から既に、学校に行ってみたい。という思いが少しずつ募っていました。
綺麗ごととかじゃなくて、人と直接話したり、外で身体を動かしたり、ほんの些細なものに目を向けて、柄にも無く感謝してみたり...
こういうのって本当に大事なんだなって思いました。
部屋の中で、画面の向こうに映っていた僕の貶していたモノは。
とても尊く、とても美しいものでした。
この発見は僕の人生において最も、重要で尊いものだったと、今でも確信しています。
3,学校
なぜ僕が学校に行けるようになったのか。
それは確実に禅寺のおかげです。寺を名残惜しくも離れ、家に帰ってきた僕は、2年生に上がり、本当に時々ですが学校に顔を出すようになりました。
流石に教室は入れなかったので、所謂保健室登校ですね。
そこから文化祭や修学旅行の時期がやってきました。
先生曰くこの時期がクラスに入りやすいだろうということで、教室進出を決意。
禅寺で多くの人と話してきた僕は、
今更同年代に馬鹿にされてもどうでもいい。
僕はもっと広い世界を見て、学校に行っていたら絶対に経験しない事を経験してきたんだ!
という見事な開き直りっぷりと、過剰な自信を身に纏い教室へ。
迷いはありませんでした。
未知の世界へ投げ込まれ、様々な価値観に揉みしだかれ、同年代0の環境で3か月生き抜いた僕にはもう怖いものはそうそう無かったのです。
心無い言葉を覚悟して教室に入り、自分の席に座ると。
親友が声をかけてくれました。
「おはよう」
と。
あふれそうな涙をぐっとこらえたのを覚えています。
堕ちていく原因が人なら、救ってくれるのもまた人なんだと。
そう感じました。
4,ごめんなさい
ごめんなさい。
冒頭に
どうしてeスポーツに関わるようになったのかについて書いていこうと思います。
と書いてますが、そこの経緯に関しては僕のYouTubeで語っていこうと思います!
URL↓
ここまで読んでくださった方には申し訳ないんですが、note同様、YouTubeの存在感もどんどん出していきたいので宜しくお願いします。
4月から東京に引っ越すので、引っ越しが落ち着いてからこのnoteの続きや、ゲーム配信、チームの裏側に関しての動画などをアップしていく予定です!
是非今のうちにチャンネル登録お願いします!
5,最後に
肝心のeスポーツという部分にはこのnoteでは触れませんでしたが、僕の思想の根幹や、これまでの生い立ちは紹介できたのかなと。一つ前の記事で
『前回までの、現役男子高校生が一人で400人以上が出場したeスポーツの大会を開いた話。
を読んでくださった多くの方々から、お褒めの言葉を多く貰いました。そんな中、自分の中に違和感が生まれたので、今回は自己紹介を。』
と書きましたが、最後にその違和感について語っていきたいとおもいます。
僕が感じた違和感。それはあたかも僕が「凄い人」であるかのように評価されていたことです。
今回の自己紹介を通してお分かりいただけたかと思いますが、
僕は普通の学生です。(でした?)
むしろ学校にもいかず、ゲームばっかしてた親不幸者のクソガキです。
そんな僕でもeスポーツに携わり、様々なことを成せている。
それは僕が「凄い」わけでも、「特別」なわけでも無いんです。
やるか、やらないか。
一歩踏み出すか否か。
そこに尽きると思います。
怖い気持ちも、不安な気持ちもわかります。
eスポーツは若い文化です、他の業界のように先人たちの敷いたレールが充分にあるかと問われればそれは否でしょう。
だからこそ、自分が未開の荒野を突き進む覚悟がないと一歩踏み出すのは難しいと思います。
でも、一歩踏み出せた僕から言わせてもらえば、踏み出してしまえばなんとかなります。
踏み出す先には必ず仲間がいます。
性別も、年齢層も違うかもしれませんが、ゲームが大好きで、eスポーツを発展させようと尽力している人たちが必ずいます。
ゲームしかしてこなかった僕にもできたんです。
貴方に出来ないわけがありません。
だからどうか、一歩踏み出してください。
一緒に頑張りましょう!一歩先で待ってます。
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