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おめめさん

目を閉じると、暗い部屋の中にわたしはいる。
六畳にも満たない部屋の壁面に、茶色いカーテンがかけられている。

知らない部屋の、知らない壁。
じめじめとした湿気と、紫色の目に見えないものたち。きっと何かの思念霊だろう。
薄気味悪いし、早く立ち去りたいけど、ふとカーテンの隙間から伸びる白いものに目がいく。

白い延長コードが、カーテンの隙間から垂れているのだ。
コンセントがあるわけでもなし、そんなところになぜ延長コードがあるのか。

わたしはサッと勢いよくカーテンを開ける。するとそこには、開けっ放しの窓の外にぬっと立つ男がいる。

いや、正確に言うと男かどうかを姿形で判断はできないような、人とは思えないものだ。
青紫色のぶよぶよした皮膚に、わかめのような髪の毛がくっついている。
特徴的なのは目で、白目が剥き出しになって眼球突出している。そして、苦しいのか口の端から泡とも涎ともつかぬ緑色のものを吹いている。

入水自殺か、と瞬時に思う。
いつの時代なのか、衣服らしきものは見当たらないので見当もつかない。

先程から目が合っているが、特に何もない。これが落ち武者だったら五月蝿いのだが、聴覚への害はないようだ。
しかしなんとなく目を逸らしたら負ける気がする。
なぜ窓が開いている? なぜ延長コードがある?
考えながら一晩中睨み合い、朝になった。

目を覚ますと、いつもの朝だった。
あれは夢見に現れる霊のようだ。それからわたしは毎夜、その霊が夢にでるようになった。

なんとなく愛着が湧いて、「おめめさん」と名付けた。

おめめさんは窓が開いているのに、部屋に入りたいわけでもなく、ただ初期位置に居座るだけだ。
延長コードは相変わらず垂れている。コンセント部分は部屋の中側に垂れていて、どうやらその片側はおめめさんが持っているようだった。

おめめさんには言葉は通じない。何かを話しかけても、口の端から緑色の気持ち悪いものをぶくぶくとさせるだけで、一向に喋る気配もないし、こちらの声が聞こえているのかいないのか、理解するようでもなかった。

3日経って、4日経った。

ついに1週間になろうという頃までに、わたしが試したことはこの程度で、正直何度も同じ夢を見続けることに疲れてもいた。
だからいつもと違うことをしてみたいと思ったのかもしれない。

わたしはおめめさんの突っ立っている窓の外へ出ようと、窓枠に足をかけてみた。
すると窓の外は水の中。

ああ、そうだよ。
おめめさん、溺死したんだものね。

夢の中で溺れて死にそうになる、と夢で思うわたし。
インディゴブルーの溟い水の中で水面を見上げると、光に反射してキラキラと空気の粒が立ち上った。

わたしの生きている証。
酸素が体から搾り取られて、空っぽの炭素のカスになったらもっと溟いところまで沈むだろうか。

沈みたいな。
できればずうっと沈んで、浮上できないように炭素じゃなくて石になってもいいな。

ついに息が続かなくなり弾みで全ての酸素を吐き出してしまった時、ここは海ではなくて味のしない淡水だとわかった。
悲しいとか、嬉しいとか、なんにも味なんてしない。
これは心の湖だ。

そう悟った時、おめめさんの気持ち悪い眼球がこちらを睨みつける。
おめめさん、あの場から動いたのか…と朦朧とする意識の中視界の端に映ったもの、それは白くて紐状の…。

ゆらめく延長コード。

その不思議なうねりはまるでクラゲの触手のようで、わたしは思わず手を伸ばした。ぐいんぐいん、と急加速する感覚を感じながら、わたしの意識は途絶えた。

気がつくと朝だった。
それからというもの、おめめさんの夢は見なくなった。
おめめさんは私に何をしたかったのだろう。

おめめさんは気持ち悪い見た目だったけど、悪い感じはしなかった。むしろ部屋の中にいた時の方が怖い感じもした。

入水自殺した人に心当たりはない。
しかし今でもきっと、おめめさんは延長コードで人助けをしているのかもしれない。

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