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なにが問題なのか、自由とはなにか。

今日は魔女暮らし日記ではないが、世の中の流れを把握し、なにが問題となっているのか、自分はどのように生きていくのか考えることは、だいじなことなので綴っておく。

先ほどまで読書をしていた。
わたしの読書ジャンルが幅広すぎるのだが、ネットニュースから恋愛小説までミックスして読みふけることがある。
今日の午前中の魔女暮らしは、まさに読書だった。

そのなかで考えさせられたのは、「魔女の活動」とはどういうもので在るべきかということだ。
最近では、魔女が増えたし、書物もたくさんある。(同時に適当なことや、当たり前のことが書かれているようなものも多いけど)

これを考えるきっかけになったのはニュースでも話題になった、「メンタリストDaigo氏の差別発言」問題で、NPO法人抱樸さんとのやり取りの記事を読んで。

わたしも、魔女術や魔術を教える立場の人間として、NPO法人抱樸さんが言いたいことがよくわかる。特にこの部分

⑴ 今回の抱樸での学びに関しては途中経過を含めてすべて配信等はしない。これを配信のネタにすることはしない。DaiGo氏は、配信を仕事としておられるが、これは配信やビジネスのための学びではない。学びが足らない状態で安易に配信し、目的がズレてしまうと抱樸は関わる事はできない。

上記記事より引用

物事には順序があって、携わるほうも順番に教えていく仕組みをつくっている。
こうしたら理解しやすいかな、とか。
これ(基本)がわからないと次のは理解できないんだよな、とか。

うちだけじゃなくて様々な業種でそうだと思う。
しかしその途中で、中途半端に魔術や占いや儀式を行っても、中途半端なものにしかならない、ということ。
やることはできるけど、それで完成だと思われたくないし、中途半端なものを広めたり、販売するのはどうなのと思うわけで。

なので黒猫魔術店の生徒弟子の契約も、プロになるまでは創作・取引売買は禁止ということになっている。

また、「ビジネスのための学びではない」というのも共感する。
神秘学の思想は、ベースのほうに「倫理主義」が少なからず入っていて、直観的に「これは倫理に反するからだめ」という判断の必要性がある。

この命の差別の問題だってそう。
「なぜ命を差別してはいけないのか」という問いに対して、倫理主義は「命は奪ってはならないものだから」のように、理由はわからないけど直観的に判断するが、功利主義ならば「皆が助かるならその犠牲はやむを得ない」と言うだろう。

Daigo氏の動画のなかで、一時サイコパスの合理的判断(例:会社を存続させるとき7割の社員が助かるなら3割の社員をリストラする英断ができる、コミュ力を備えた合理的なサイコパス)に憧れでも持っているのかしら?とわたしは眺めていたので。(その話は以前、インスタライブでしましたね)

この両者はそういう主義を主張しあっているだけのように感じる。
主義が相いれないのであれば、解決はしないと思う。

Daigo氏に関して、以前「いい人のふりして攻撃してくるカバートアグレッション」を調べていたときに動画を拝見した。
言ってる内容は正論なのだが、どうも洗脳的な言い回しをするのがいけないと思った。

たとえば「こんな人とは早く縁を切るべき。そうしないとあなたが損をするだけ」とか「世の中にはどこいってもカバートアグレッションがいる」のような言い回し。
そう言われると人をそういう目で見てしまうし、周囲を探してしまう。
子供たちや学生も見てるだろうに、大丈夫なのかしらと思った。

話を戻して、ではなにが問題で、なにがだいじなのか、ということなのだ。
わたしとしては、主義に偏って、主観が正論だと思い込むことが危険だと思っている。
たいがいそういう人は自由主義であることを主張するが、外部から冷静に見て、それは利己主義だなと感じてしまう。

たとえば、「わたしは自由に学びたいです」という主張は「自分の好きなところだけ・得するところだけ学ぶ」ということを言っているなと。
これは自分のことしか考えてないなと思うわけだ。

たとえばわたしは、魔女のしごとをしているが、業務内容は魔女のしごとではない。
業務のなかには、経理や会議や揉め事の鎮圧や雑務など、やりたくない仕事だって含む。
好きな仕事をしているように見えて、仕事というのは我慢の対価だと思っているからきちんとやる。

でも利己的な人は、好きなことしかしないこと=自由であることのように言う。
そうじゃない。自由主義は、自分が自由であると同時に、他人も自由であることを尊ぶものだ。

要するに、主義主張を論立てておきながら、それって身勝手なことだよね?と思うのだ。
そもそも主義は、どうすればみんなが幸せに生きられるかを考えたものだから、ひとりだけ身勝手というのは筋が通らない。
でもそれに気づいていない人も多い。

Daigo氏はおそらく功利主義よりだと思うが、約束したにも関わらずそれを破って動画配信していることからして、「これを配信すれば皆が得をする(幸せになる)」と信じてやっているんだろう。
でも過去動画に「相手を依存させるやり方」などがあるのを見ると、その情報で得をする人もいるかもしれないが、明らかに損をする人もいることが考えられるわけで。
Daigo氏ほど賢い人が考えが及ばないことはないわけで。

そういうのがチラ見えすると「ああ、やっぱり利己的なんだなあ」「再生数なんだなあ」と思ってしまう。

わたしはYouTube動画で何本か視聴して、「違和感は洗脳だな」と判断して見るのをやめたけど。
そういう判断ができるようになるのも、知識とこころが必要だと思う。

たとえばこちらの業界で言えば、芸能人の訃報を占ったり、頼まれてもいない占いをしてみたり、遠隔ヒーリングができていると思い込んでいたり。
仮にほんとうにできているとして、それは動画にする必要もないし。
こっそりひとりでやるほうが、集中できていいし。

わたしもサバトを配信しているが、これはコロナの間だけでいいかなと思っている。
すでに各8回分生配信したので雰囲気は伝わっただろうし。
儀式はひとりのほうが集中できるし(そもそも儀式は自分と自然との交流だし)、生配信は根本からズレるな、と考えるわけで。

なにが言いたいかというと、神秘学・魔女術・魔術を学ぶ者や自然崇拝者にとっては、倫理主義はだいじなことだが。
自由も、功利も、実存もだいじだよね、
という話。

それを履き違えて、まっとうに見える理由を並べて、でもそれって主観だよね?利己的だよね?になるのが危険なのでは?ということ。

かく言うわたしは、黒猫魔術店のことを倫理的観点をだいじにして判断しているので、ぜんぜん儲からない。
Daigo氏みたいに功利的にやればいいのだろうけどね。
不安を煽って、洗脳して、依存させて、リピートさせるやりかた。
どんな企業やビジネスでもやっていることだろうけど、神秘学オカルトのジャンルでそれをやるとダメだって、わたしの直観が言っている。

もし目に見えないものを扱う際には、倫理感・モラルなどはだいじだ。
途中で道を外れる人(カルトに傾倒したり、自分主義理論に走る人)の多くは、これが伴っていない。
だから技術を勉強するまえに、こころを勉強してほしい。

わたしは自然信仰や魔女の思想に共感して、ほんとうにその通りだと思って、自分の言葉で伝えたいなあ。知ってほしいなあ。と思ってきたけど。

情報が間違って伝わっているのか、そういう根本のモラルや倫理観が伴っていないのか、不本意な使われ方や希望的観測解釈をしているのを多く見受ける。

でもそこも、その人の魔女修行だし、自由だし、いいのだ。
わたしが言いたいのは、小手先の技術よりも、こころがだいじだってこと。
こころが身勝手だったり、不純であれば、使い方も創造物もまがいものよ。

ほんとうに今年は、こころがテーマだなあ。

今日も善い一日を。


だからね、魔女術や魔術の分野の本よりも、こういうのがいいんだって。

主義の話はこの本がおすすめ。1日で読み終えちゃう。
人と接するとき、「この人はなにをだいじに考えているんだろう?」と考えるようになった。
「その主張はおかしい」とも思えるようになった。
とにかく読んで損はないよ。子供にも読んでほしい!

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