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小説・「アキラの呪い」(9)

前話はこちら。

間話 「特異な関係」


 歩と初めて話したのは、小学校へ入学したその日だった。あいつは水無瀬歩で俺は槙原拓人だったから、席順が前後だったんだ。知り合ってすぐの印象は「すごい奴」だった。
 その日、配布されたプリントを前から後ろに回して配ると、一枚足りなかった。その事実に俺が気がついたのは、目の前の歩が手を上げて「おれのぶんがない」とでかい声で言ってからだった。本来なら、一番後ろの俺の分が足りなくなるはずなのに。あいつの気遣いに気づいたのは、結局家で「ただいま」を言ったその時だった。とにかく昔から周りが見えてるというか、気が効く奴だった。今から考えても、水無瀬歩は少し大人びた子供だったと思う。そしてその理由が義姉にあると、俺はすぐに思い知ることになった。
 家が近いわけではない俺たちは一緒に下校するわけではなかったけれど、校門まで一緒に行くのが毎日の習慣だった。その日は全校生徒が5時間目までで帰る日だった。「帰る前に寄る場所がある」と言って全速力で走って歩が向かった先は、4年生の教室だった。そう。水無瀬晶のクラスルームだ。なぜ迎えに行ったのかと問えば、「アキラはほっとくと一人で帰るから。一緒に帰れって母さんに言われてんのに」ということらしい。
 初めて見た少女の顔は、お世辞にも可愛いとは言えなかった。盛大に顔を歪め、むっつりと不満を露わにしていたからだ。元の造形がどうあれ、あれではかわいいもくそもない。最初に見た時は男子かと思ったほど、女っぽくない印象だった。独特の空気感のせいか、特に外見的に優れているわけでもないのに、とにかく特異な存在だった。そんな印象は子供の時特有なものかと思いもした。けれど結局、彼女が長じてからもその雰囲気は一向に変化しなかった。こんな冷静な分析は今になったからこそできるわけで。毛も生えそろわないガキだった俺が水無瀬姉から受けた印象と言えば、「とにかく怖い」これに尽きた。なんなら今だってちょっと怖い。初対面の相手に無視されて、あんなに有難く思ったのは、はじめてだった。
 そんなこんなで俺が魔王の眼光に怯んでいるのをよそに、歩は躊躇いなく教室内へと駆け寄っていった。歩が一歩近寄るたびに殺伐とした空気が濃くなるのは、きっと気のせいではないのだろう。にも関わらず、友人はそのまま満面の笑みで、姉に話しかけ始めた。度肝を抜かれ、呆然とする俺を置き去りにして、目の前で会話が重ねられていく。
 「アキラ〜帰るぞ!」
 「早いじゃない、歩」
 「だってアキラが帰っちゃうと思ってさ。ふふん〜、今日は俺の勝ちだな」
 そう言ってきゃらきゃら笑う少年はまるで別人のように幼い横顔をしている。その時悟った。あの恐ろしい少女が友人にとっては誰よりも特別なんだと。後から聞いた話では、あの頃彼らは家族になってまだ二年と経ってなかったらしい。眼前の光景からはとてもそうは感じられなかった。交わされる会話には親密さが滲み出ていたし、彼らはすでに家族特有の連帯感を帯びていた。顔も声も何もかも、全然似ていないのに。だから当然、血が繋がっていないということにも俺は気が付かなかった。今それを知っているのは、歩に教えられたからだ。もしかすると、彼らの状態は不自然なことだったのかもしれない。二年も経っていないのに、果たしてそんなに馴染むものだろうか。この点については、水無瀬晶という人物を知れば知るほど違和感が残った。彼女は成長するにつれ、どんどんと自分を囲う壁を分厚くしていった。少なくとも傍目にはそう見えた。
 あれは、中学二年の頃だったろうか。姉に会いにいく歩に付き添って、高等部に足を踏み入れたことがある。その日は厄日だった。なぜかと言えば、水無瀬晶と初めてまともに目が合ったからだ。彼女と出会ってすでに何年も経過していたが、「目が合った」と感じたのはその日が初めてだった。歩は教室に足を踏み入れると、小学校の頃と変わらず姉に話しかけ始めた。
 内容は覚えていないが、結構どうでもいいことだったような。無口な姉に向かってほとんど一方的に話す歩を横目にふと、義姉の顔が目に入った。いつも通りの無表情だった。だが、なぜか目が素通りできない。何か引っかかる。ーーーそして、違和感の正体はすぐに分かった。

『水無瀬歩はこの応酬を楽しんでいる』

 あの、他者へは微塵の興味も持たないような人間が。そう気がつくと、思わず食い入る様に友人の姉を見つめてしまった。無意識だった。
 その時だった。彼女の瞳がギョロッと動いて俺を捉えたのは。目が合った瞬間、息が止まった。
 怖い。恐い。こわい。
 いつか感じたことのある感情に一瞬で支配されてしまう。だが、緊張は一瞬で終わりを迎えた。すぐに水無瀬姉は視線を正面へと戻したからだ。
 捕食者から逃れた被食者の気分でその後は過ごしたが、水無瀬晶の反応はその日中ずっと違和感として残り続けた。今にして思えば、あれは彼女が弟以外の人間をどう見ているかの現れだった。視線をあっさりと外したのは、単に俺への興味が無かっただけ。もっと言うなら、感情を揺らすにも値しない存在として見られていた、ということなのかもしれない。そう思い当たったときには流石にゾッとした。
 水無瀬晶は他人に興味がない。それは単純な好悪すらも抱かないレベルでの無関心、ということなのだろう。だから、彼女がもしも喜怒哀楽を表すことがあるなら、それは必ず義弟関連。そう思えた。
 どうしてそんなふうに思ったのかわからないが、この仮説が俺的には一番しっくりきた。いつか歩にこの話をぶつけてみたいと思うこともあるが、多分信じやしないだろう。
 あいつは自分と姉との関係を相対的に捉えられない節があるから。いつだったか歩に言ってやったことがある。「お前はすごいやつだ」って。こっちは照れくさい思いをしたのにまさかあそこまで響かないとは思わなかった。損した気分だ。まったく。
 でも、あの時の言葉は全て本心だ。だって水無瀬晶の義理の弟なんて、あいつ以外誰か務まるってんだ?俺なら投げ出すぜ。間違いない。ついでに全速力で脱走する。俺はあの女が怖い。大抵の人間にとって水無瀬晶は理解不能だ。そんな人間の家族だって?冗談じゃないね。
 俺が絶対に敵わない人間がいるとすれば、それは水無瀬歩だ。あいつにだけは絶対勝てない。それを俺は自覚してる。

あいつもいつか気づくのだろうか。
自分の占める席の特異さに。
ま、気がつかない方が幸せって気もするが。

アキラの呪い(10)へとつづく。

次話はこちら。

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