小説・海のなか(17)
※※※
こういうことは苦手だ。俺は再確認する様に噛み締めた。我ながら、とことん裏方気質というか。こういうことはきっと佐々木なんかに向いているに違いない。けれど、悔いてももう遅い。断りきれなかった俺が悪い。クラスメイトに少し抜けると伝えたら、この看板を押し付けられてしまった。
「ホットドッグ〜、ホットドッグはいかがですか〜2年B組のホットドッグ。中央広場にてやってまーす」
お決まりの台詞を口にしつつ、看板を高々と掲げることも怠らない。我ながら健気だと思う。そうでも思わなきゃやってられるもんか。自分の生真面目さにややうんざりしつつ、宣伝文句を機械的に垂れ流す。
正直、うちのホットドッグの売れ行きは芳しくない。マスタードやケチャップはわかるとして、だれだよチョコレートなんかかけようなんて言ったやつは。あんなうまいかどうかもわからない代物に金を払おうという奴の気が知れない。
「ホットドッグ〜おいしいホットドッグ〜」
人混みに投げやりな声が吸い込まれていく。
もともと180センチ近くある身長に加え、こんな看板まで持っていたら、目立つのは当然だった。自然、猫背になってしまう。
また見知らぬ女子と目が合った。慌てて笑みを取り繕うと、顔をそらす。気まずいことこの上ない。宣伝に歩き始めてから、もう何度かこういうことがあった。小さな囁きがすれ違う度に聞こえる。そんなに俺はどこかおかしかっただろうか。俺は頭を心持ち上向きにした。こうすれば、ほとんどの女子はつむじの集団でしかない。こんなことなら着ぐるみでも着たかった。そうすれば誰も俺だとはわからないだろうし。
隣のクラスのくせにどうしてこう模擬店の配置が遠いんだ。隣でいいじゃないか。やっぱり昼間を避けていくべきだった。まあ、出来ないんだけど。入場チケットが必要だから、そこまで外部者は多くないはずだが、うちの学校は生徒だけでも700人以上いる。これだけごった返してもおかしくはなかった。今も生徒会メンバーの誰かが校内を巡回しているはずだ。俺が沙也のクラスを目指しているのも生徒会の仕事のためだった。
各教室でいろいろな出し物が催されていた。プラネタリウム、お化け屋敷、カフェ、射撃……。中には図書委員会主催の古本市もある。今年もあるのか。まだチェックしていない。油断すると手が伸びそうになるのを抑えつつ、目的地を目指す。一度手をつけてしまえば、切り上げるのは容易ではないだろう。時間に遅れるわけにはいかない。足早に古本市を通り過ぎて、階段を上がっていく。2年A組は2階の端で、階段を上がってすぐのところに位置している。
階段を上がり切ると、ようやく一息つけた。一階に比べて二階は人がまばらだ。きっと有志バンドを目当てにみんな階下へと降りて行ったに違いない。開いているドアから中の様子を伺うと、この喫茶店にもそこまで客はいなかった。おそらくピークの時間がまだ先なのだろう。
「いらっしゃい。陵、どうしたの?」
ウェイトレス姿の妹尾さんが近づいてくる。いつもながら目を引く容姿だ。彼女が一歩踏み出すたびに背中でポニーテールが揺れた。この子の前では気後れしてしまう。それは、大きな瞳がそうさせるのかもしれない。心の底まで覗かれてしまいそうな目をしているから。
「沙也いるかな。生徒会の巡回当番でさ」
俺は、手で促されるまま手近な椅子に腰掛けつつ言った。
「ああ。サヤね。そういえば、そろそろシフト終わるんだったっけ。ちょっと待ってて呼んでくる。あ、そうだ」
愛花が少しこちらに顔を寄せた。ちょっとドギマギしてしまう。
「サヤ、可愛くなってるからね」
突然囁かれてびくつく俺を置いて、彼女はさっさと厨房へ向かう。同級生との距離感ってこんなもんだっけか。いやいやそんなわけないだろう。自分の社交性のなさを改めて思い知らされていると、キッチンの出入り口からウェイターが現れた。
「お客様、ご注文は?」
その声には慇懃無礼という言葉がぴったりだ。
そこには仏頂面の三つ編み少女が立っていた。お揃いのエプロンがヒラッと揺れるのが目に入った。普段の姿からかなり様変わりしていて少し自信がない。でも、この声を間違うほど俺の記憶力あやしいわけでもない。
「沙也?」
「陵に決めさせるといつまでもうだうだ悩みそうだったから、テキトーにコーヒー持ってきた。砂糖とミルクは?」
たしかに俺は優柔不断だが、流石にムッとした。これ、絶対タダじゃないだろ。他の奴なら奢ってもらえる可能性を期待するかもしれないが、金にうるさい彼女に限ってあり得なかった。
「あ、ミルクだけ」
沙也はエプロンのポケットからコーヒーフレッシュをひとつ取り出すと、コロンと机に置いた。
「じゃ、ごゆっくり。あと5分で上がるから待ってて」
沙也はさっきから全く目を合わせようとしない。この場を早く去りたいと言わんばかりの素っ気なさだ。まあ、単に応対が雑とも言うが。
「あ、うん。……なんか、今日顔違うね」
すると、舌打ちでもしそうな歪んだ表情で幼なじみは俺を見下ろした。
「……つーか、なんであんたわざわざこんなとこまで」
「妹尾さんから聞いてないのか。生徒会の当番」
「そんなもの愛花から聞かなくたってわかってるし。あと15分後でしょ。そうじゃなくて、予定じゃもうちょっと遅くくるはずだったじゃない」
その声には何故か剣がある。
「なんだよ、早く来ちゃわるいのか」
すると、沙也は何やらボソボソ恨言のようなものを呟きつつ、さらに眼光を鋭くした。
「とにかく、あと5分後!私は着替えてくるから!いい!?」
叩きつけるように言って去っていこうとする沙也に
「もったいない。似合ってんじゃん。そのまま行けば?」
すると沙也は鬼の形相で振り返った。せっかくメイクしても形なしと思えるほどの表情だ。
「行くわけないでしょ?!会長にでも見られたら面倒くさいことこの上ないに決まってる」
「ああ。あいつ喜んで写メ撮りそう」
想像しただけでちょっと面白くて笑える。実際に起こったら厄介ごとでしかないんだろうけど。
「もう少し考えてモノを言いなさいよね」
「すいませんでした。あ、そうだ。沙也。夕凪、見なかった?」
「え、なんかあったの?」
「それが、このあとシフト入ってんのにいなくてさ」
「ふうん。…見てないな」
「ならいいや」
実際、夕凪がいないからと言ってさほど困るわけでもなかった。準備期間中ほとんど居なかったのだから、当てにされるはずもない。シフトもほぼ居ない前提で組まれている。そんな空気を感じるたび、なんだか胸がざわついてしまう。たしかに夕凪はいるはずなのに。いつのまにか居なかったことになってしまうような、そんな予感。そう。俺は自分の気持ち悪さを少しでもマシにしたいだけだ。
キッチンスペースへと去っていく沙也の後ろ姿を見ながら、コーヒーを口に含む。微妙に薄くてお世辞にも旨いとは言えない。家で淹れたインスタントコーヒーと同じ味がする。もう一口啜りながら、もしかしたらメーカーまで被ってるかもしれないな。などと推理しつつ的外れな視点で味を楽しんだ。ミルクをもらったが無駄になりそうだ。これならストレートの方がマシだ。
それにしても、沙也は2年になってから少し変わったみたいだ。今まではなにがあってもあんな格好しなかっただろう。俺みたいなやつと違って沙也はこういうお祭りごとを積極的に楽しめるタイプだった。ぱっと見ではそう思われないらしいけど。最近まで自分のミーハーさを認めようとしなかったのに。何があったか知らないが、今年に入って漸く認める気になったらしい。きっかけが何にせよ、いい傾向だ。
するとその時、近くから声がした。
「うちのコーヒーのお味はいかが?」
いつの間にか、妹尾さんが傍らに立っていた。いつの間にか制服姿に戻っている。
「おいしいよ。これっていくら?」
「150円。嘘つかなくていいよ。どーせインスタントだしさ。それだけじゃ味気ないでしょ。これあげる」
彼女は手にしていた小皿を俺の前に置いた。小皿の上にはこんがり焼けたスコーンが鎮座している。横にはご丁寧にクリームまで添えられていた。
「え?俺頼んでないよ」
すると彼女は微笑を浮かべつつ
「大丈夫。これ失敗作。余らせてもどーせあたしか沙也が持って帰るだけだからさ。タダだよ」
たしかにそう言われてみれば、確かに少し形が歪だったけれど、それでも十分美味そうだ。
「本当にいいの?」
「いいのいいの。あ、味は保証するわ。なんたってサヤが作ったし。あたしも食べたし」
そう言って妹尾さんは心持ち胸を張って、しししっと変わった笑い声を立てた。
「ん?なんで沙也が作ったら保証になるのさ」
「そりゃ、料理得意だからでしょ。あの子お昼手作りじゃん。あたしよく分けてもらうけどおいしいよ。…まさか、知らなかった?」
少し呆れたように彼女は言った。
「うん……全然知らなかったみたいだ」
「そういえばさ、沙也、どうだった?」
少し身を乗り出して彼女は言った。
「ああ。いつもとは違った。意外だったよ。あいつがあんな格好するなんて」
「ふふん。似合ってたでしょ」
何故か誇らしげにする妹尾さんを見て、ピンときた。
「もしかして、妹尾さんが?」
見上げた顔がニヤッと笑う。
「そっ。あたし、前から思ってたんだよね。サヤにはあーいう格好も似合うってさ」
「ありがと。あいつ素直じゃないし頑固だからあんなだけど、多分めちゃめちゃ喜んでるから」
言いながら厨房の方に目を向けると、制服姿の沙也が出てくるところだった。
「ね、素直じゃないよね〜。ま、そこが可愛んだけどさ」
「妹尾さんも制服、よく似合ってたよな。なんか、様になってるっていうか」
「そう?照れるな〜」
意外にも彼女はすこしはにかんで見せる。こう言うことは言われ慣れてるモノだと思っていた。
「ほんとだよ。なんか慣れてる感じしたから、今までバイトとかしたことあるのかと思った」
「あー、短期なら何度かね。でも、本格的には大学入ってからかなぁ」
大学、という言葉に引っ掛かりを感じてしまうのはどうしようもないことだと思う。高校に入ってからずっとそうなのだから。今更意識するなと言われても無理がある。けれど、俺はまだ慣れていない。進学という事実の現実味に。
「陵は、もちろん進学するんでしょ?」
「まあ、多分……」
「だよね。頭いいし」
曖昧に答えてはみたものの、中身のあるものでは到底なかった。今まで自分の行く末についてきちんと考えたことなんて、多分ない。大学名を書く必要があるから偏差値を調べて適当なモノを書く。けれど大学で何かをしている自分についてはこれっぽっちも想像が湧かなかった。勉強をしているのだって、する必要があるからしているだけで、別にしたいわけではない。考えれば考えるほど自分の中に空いた穴を見つけて踏み入っていくような寒気を覚えた。
「陵、お待たせ。行こう。遅くなるし」
沙也に声を掛けられて初めて、ようやく俺は物思いから覚めた。いつの間に近くにいたんだろう。
「サヤ、お疲れー」
「そっちもお疲れ。じゃ、生徒会行ってくる。後で、出店どんなの出てたか教えて。後で回りたいからさ」
「おっけー任せて。なんか良さげなのあったら買っとくわ。後で食べよ」
「え、いいの?ありがと。じゃ、割り勘にしよ。選ぶの任せていい?」
「任せて。勝手に決めていいんでしょ?」
「愛花のが、美味しいもの詳しいじゃん」
「オッケー」
妹尾さんとの流れるような会話はあっという間に終わった。こういう会話に憧れるけど、俺にはきっとできない。きっと話し出す前に考えすぎてしまう。
「それじゃ、行こうか」
小銭を置いて立ち上がると、呼び止められた。
「夕凪、あたしが探してみようか」
妹尾さんからの突然の申し出に少し体が硬くなった。
「え、いいの」
「ま、お察しの通りこれからシフトないし。どうせお昼買いに店巡るからさ。そのついで」
「そりゃ、すごくありがたいけど。ほんとに?」
「うん。なんか心当たりとかあるの?」
心当たりは一つしかなかった。あの場にいた夕凪が俺の中には焼き付いていた。初めてあの場所にいるのを目にしてからもう、一年近く経っている。あれから何度もあの場所で彼女を見た。奇妙な確信があった。きっと今日もあの場所にいると。
「図書室にいると思う。大型本の棚の奥を左手に曲がった角の椅子……いや、でもやっぱり俺がいくよ。悪いしさ。急げば多分、間に合うだろ」
「何言ってんの、生徒会の仕事はどうするの」
妹尾さんはそう言って軽く俺の肩を叩いた。
「がんばれ、副会長。で、夕凪のシフトは何時から?」
「たしか、12時15分から」
「後15分じゃん。急がなくちゃね。とにかく、あたしに任せなよ」
その時初めて、俺は愛花と接した気がした。幼なじみの友人としてではなく。妹尾愛花その人と。
「ありがと。今度なんか奢るよ」
「期待しとく」
愛花は強気な笑みを浮かべて、手を振った。
※※※
海のなか(18)へと続く。
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