エッセイ・「無口の余白にあるもの」
わたしはかつて、無口な子供だった。
友人に話しかけられてもうまく答えられず、口を閉ざした。周囲の言葉は理解し難く、隔たっていた。まるで私以外が宇宙人であるかのように。まあ、他の人にとってはそんな私こそが宇宙人的であったかもしれない。
ところがある時から、わたしの口からはいくらでも言葉が出て行くようになった。考えているわけではない。気がつくと口が勝手にしゃべっている。(おしゃべりな人には共感してもらえるだろうか。)いまや、多弁であることがわたしの特徴である。
だからこそ思う。あの頃のわたしはなぜあんなにも語ることを避けていたのか、と。一体、どちらがわたしの本質なのだろう。仮にどちらも本質というのであれば、いつからわたしは変質したのだろう。あの頃のわたしはいまだわたしの中に存在しているのだろうか。
とはいえ、やはり自分のことなので話せるようになった原因に心当たりはあるのだ。
おそらくわたしはある時から諦めた。自分の感覚や欲求を正確に言葉へと変換することを。心のありようや感じ方を言葉として放出することは、大きなパズルのピースを探し出すのに似ている。当然、会話からは置いてけぼりを食う。そんなことをしていては、最初の一語にたどり着く事すらままならない。「普通」になりたいなら、諦めるしかなかった。そして同時に悟ったのだ。周りの誰も「本音」など求めていないということに。多分会話というのは、心地良いリズムで型を一緒に演じることに似ている。そしてそこに本音は必要ない。必要なのはキャラクターに合わせた演技のみである。
だからこそ、わたしはおしゃべりになった。多弁であることは仮面を常に被り続けることと同義だから。話し続ける者の、その奥にある真実などそうそう覗き込むものはいない。攻撃は最大の防御、というやつである。
ところで、幼い私が無口だったのにはもう一つ理由がある。理由と言ってもとてもシンプルだ。
「わたしの中に語るべきものがなかった」ただ、それだけ。考えれば考えるほど、この一点に問題は集約する。幼い頃のわたしは語るべきことを何一つ持たなかった。あの頃のわたしは世界に興味がなく、また自分自身にも興味がなかった。幼い時分には、楽しいことも辛いこともあった筈だ。悲しいこともあったと思う。だが、それらを私は覚えていない。あらゆる出来事は私の中をただ通り過ぎていった。観測者を持たない出来事は記憶されない。なかったことと同じになってしまう。大人になった私に残されたのは、「あの頃私は孤独だったような気がする」という薄ぼんやりとした実感だけだった。そこに付随する感情はない。寂しいとも悲しいとも嬉しいとも気楽だとも思っていなかった。
こうした幼少期のありようを思い返してみると、なかなか面白いなと思う。できることならもう一度体験して小説にしてみたいくらいだ。しかし、それはきっと無理なのだ。常々「昔から変わらないね」と言われるわたしでも、決定的に変質してしまった部分はやはりあるらしい。
わたしは年を経るにつれ変質し、自分の本音に言及することのない凡庸な大人の一人となった。それなら、吐きだされない本音はどこに行ってしまったのだろう。心に溜まった澱は今もどこかに眠っているのだろうか。わたしはその逃げ場こそが、小説を描くことなのだと思う。小学生の頃から小説は描いているが、年を重ねるごとに小説を描くという行為の面白みが増している。それは昔よりもっと心の底に踏み込んで描くことができるようになったからだろう。(うまく描けているかはこの際、傍に置く)このような面白さを味わうことができるのは、小説の世界と現世とがわたしの中できちんと分離しているからだ。日頃踏み込めない境地へ辿り着けるのが小説を描くことの醍醐味だ。今ここで描いていることもいつかは昇華され、小説になる。その道程を見送ることが今は何よりも楽しい。
過去の出来事をあまり覚えていられない私にとって、小説を描くことが過去を記憶する術であるのかもしれない。人生上、私の中にずっと残る唯一のものは、本に関することと物語だけだから。
わたしはこれからも小説を描くだろう。それは誰のためでもない。自分を救うため、わたしは筆を執るのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?