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小説・「海のなか」(40)



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 あの夜から毎晩夕凪に会いに行った。特にこれといった心境の変化が自分の中で起こった訳ではない。ただ、気がつくと足が神社へと向かうのだった。夕凪もまた日没の境内に毎日いた。俺を待っているのか、それとも単に他に行くあてもないだけなのか。それは定かではなかったが。顔を合わせる頻度が増したからといって、幼馴染の心の内がはっきりと読めるようになるわけでもない。そうわかっているはずなのに不安や疑念に駆られる時がたびたびあった。いつまでも変わらないんじゃないか。前に進んだつもりでも、実際には足踏みし続けているだけなのじゃないか。このまま続けて何か意味があるのか、と。そんな時は姉の言葉が蘇った。
 ーーーもっと馬鹿になりな。
 そうだ。もっとシンプルでいい。信じてみよう。何のことはない。俺は今まで俺に縛られていたのだ。その事実を自覚してからはなんだか気が楽で、夕凪の前ではいつもより少しだけ美しく純粋な生き物でいられるような気がした。初めこそ、危うい友人を放っておけないという理由で神社に通いはじめたものの、今となってはそれすら欺瞞を感じさせた。言い訳はもうやめにしたかった。このか細いつながりを結びつづけるには、変わり続けるしかないのだ。
 そんな俺の思いを知ってか知らずか、夕凪の口数は日を追うごとに増えていった。とは言ってもそれは微々たる変化で、幼馴染でもなければ気がつかない程度だったが。それでも俺にとっては大きな変化だった。日々少しずつ内部で高まるものを感じながら夕凪との会話を重ねていた。
 奏江はというと、あの日以来特に何も言ってはこなかった。ただ、俺が毎日神社に通っていることは察しているようで、時折家を出る時に視線を感じたりした。我が姉の深いお考えとやらが察せないのはいつものことなので、いつからか視線の意味を考えることを放棄した。あの姉のことだ。考えたって奏江の邪魔をできるわけではない。ならば、今は何も考えないでいる方がよほど気楽だ。無駄な考えを巡らせたところで幸福度が下がるだけだろう。優秀すぎる姉を持ったせいか、俺は人生の早い段階である学びを得ていた。自分の力ではどうしようもないこともある。時には諦めも肝心だ、と。俺なんかに出来ることなんて限られている。そのことをきっとこの世の誰より俺はよく知っている。
 夕凪に会い続けることにしたって、本当のところを言うと大きな変化を期待しているわけじゃなかった。夕凪の中に俺の席があることなんて、望まない。ただ、毎日会うたびに次の日も会わずにはいられないだけなのだ。幾つ理由を捏ねたって結局は、美味しいものをつい食べ過ぎてしまうみたいな、くだらない衝動に動かされているに過ぎない。きっとこの習慣は俺を幸せにしてくれないだろう。それでもいい気がした。俺はきっと初めて心の底から欲望に従って生きている。それはとても幸福なことのように感じられた。誰にもわかってもらえなくてもいい。幸せは俺自身が感じるものだから。自分がこんなちっぽけなことで満たされる人間だとこの歳になって俺は初めて知ったのだった。

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