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#006 映画「ハッピーフライト」の接客のワザから、ホテルの「アップグレード」サービスを考えてみる

実は描かれているのが完全に架空の世界だと、現実の世界を忘れてどっぷり感情移入したりすることができない性格なんで、普段はほとんど映画やドラマって観ることがないんです。
そんな私が時々何度も観る映画が、綾瀬はるかさんが新人キャビンアテンダント役を演じた矢口史靖監督の名作「ハッピーフライト(2008年/東宝)」です。

ストーリー的には今でいうコンプライアンスとか安全面のミスや緊急着陸のシーンがあったりと、航空会社として若干どうなの?みたいな内容もあるんですが、そこは映画の中のお話だと寛大に受けとめてくれた「全日空(ANA)」が「ボーイング747(ジャンボジェット)」を一機まるごと撮影のために貸し出すなど、会社を挙げて全面協力してくれたため、架空の航空会社やセットでは決して出せないリアリティー溢れる見ごたえのある作品となっています。

今回はこの映画の中に見る接客業のノウハウを考察してみたいと思います。

クレーム対応のシーンから学ぶ「立ち位置の切り替え」

この映画が好きなのは私自身が「青組(※)」ということもあるのですが、ストーリーの随所に織り込まれた航空業界ならではの安全確保策とか天候悪化や緊急時のイレギュラー対応とか、地上カウンターや機内対応の接客ノウハウとかの話がすごく参考になるんです。
※利用する航空会社が「ANA(全日本空輸)/スターアライアンス系」がメインの人の俗称。対義語は“赤組”で「JAL(日本航空)/ワンワールド系」の人。

LCCのような格安航空会社ではなく、FSC(フルサービスキャリア)と呼ばれる航空会社では、様々な乗客と接する「グランドスタッフ」や「キャビンアテンダント」には当然ですが接客業としての高いスキルが求められます。
その中でもANAの「おせっかい文化」が伝統的に“おもてなし”の技を生み出してきたことは有名ですね。

さらにキャビンアテンダントは、乗客に対して“お客様”として接する場面が多い一方で、飛行中は密室となる機内の治安を確保したり、事故などの万一の際には冷静に避難誘導などを行う必要のある「保安要員」でもあったりするのです。

この映画にも、菅原大吉さん演じるサラリーマンの乗客が機内で一方的なクレームをつけ、吹石一恵さん演じるキャビンアテンダントがひたすら謝り続けていると「機長を呼べ!」と大声をあげて激怒するシーンがあります。
そこに寺島しのぶさん演じるチーフパーサーが登場して対応するのですが、機内の他の乗客の雰囲気を壊さず、担当するキャビンアテンダントの立場も傷つけないよう、毅然とした態度でお客様をいさめて見事に怒りを鎮めます。(気になる方はNetflixで配信されていますのでぜひ見てみてください)

https://www.netflix.com/jp/title/80065836

これは「責任者を呼べ!」とお怒りになるお客様がいるとすぐに店長とかを連れてきて対応させてしまったり、お客様側の一方的な言い分を聞いただけで、実際に対応した担当者などからは経緯や事情などを聴くこともなくすぐに全面的に謝罪してしまうようなクレーム対応をやっているところには、ぜひこの映画を観て考えてもらいたいところでもあります…。

後半には緊急着陸が決まって「これからはサービス要員の顔は忘れて保安要員として動くように」と指示するシーンもあります。
乗客の安全を確保する必要のある航空会社としては当然なのですが、こういうお客様の立場を立てるべき状況とスタッフやお客様の安全を守るべき状況の切り替えがきちんとできるかどうかも、実は接客業として大事なのではないかと思います。

操縦士や整備スタッフに学ぶ「リスク管理」と「危機対応」

航空業界で接客よりも優先されるのは、やはり安全運航ですね。
これまでの長い歴史の中で起こった様々なトラブルや不幸な事故の原因を分析し、再発を防止するために作られた様々な仕組みやルールがあります。

まず最初に出てくるのは、時任三郎さん演じる機長と田辺誠一さん演じる副操縦士が上空の機内で食事をとるシーン。
映画の中ではキャビンアテンダントに頼んだ和食と洋食を入れ違えて食べてしまうのですが、万一の食中毒の際に2人ともに症状が出るリスクを避けるため同じメニューの食事をとらないというのは有名な話ですね。

またチーフパーサーからの連絡を受けて、機長が客室の様子を確認するため操縦席を離れるシーンがありますが、この時に残った副操縦士が酸素マスクを取り出してかぶります。
これも一時的とはいえ一人で操縦する事になる間のリスクを可能な限り減らすために決められた仕組みなんですね。

また前半で森岡龍さん(袴田吉彦さんと勘違いしている人いませんか?)演じる整備士がエンジンを整備する際、使いかけの工具をエンジンの中に置いたところ、先輩の整備士から「こんなところに工具を置くな!」と怒られるシーンがあります。
その後に整備場に見学に来た小学生を案内する男性が「整備場ではペン1本なくなっただけでも見つかるまで帰れないんだよ」という説明をします。
(ここは後のシーンの伏線にもなっているので気になる方は作品を…)

その後のシーンに登場する工具箱の内部が収納される工具の形に区切られていて、収納し忘れたり紛失したりした工具が一目でわかるような構造になっていたり、工具の一つ一つに整備士の名前が付けられていたりするのも、過去に起こったトラブルの反省から生まれた工夫なのだと思います。

このような実際に起こった「アクシデント」や「インシデント」から原因とか要因を分析して再発防止につなげる手法は、人命にかかわる航空業界だけでなく医療の現場などでは当たり前の方法になっていますが、接客業や飲食業などでも、失敗やクレームなどの原因を分析して改善策やルールを決めて他のスタッフと共有することで、経験だけに頼ることなくスキルアップやサービス向上に活かせるのではないかと思っています。

オーバーセールの解消方法から学ぶ「他のお客様への配慮」

この映画の中で活躍するのは乗務するキャビンアテンダントだけではありません。
平岩紙さん演じる空港カウンターのグランドスタッフが「オーバーセール/オーバーブッキング(※)」を上手に解消するシーンがあるんですね。
※一定数のキャンセルを見越して多めに受けた予約が実際に提供できる座席数を上回ってしまい搭乗できない乗客が出た状態のこと

この場面ではエコノミーに3席オーバーセールが発生しているのですが、ファーストクラスに1席とビジネスクラスに2席の空席があります。
まずはファーストクラスの空いた席に中間のビジネスクラスのお客様を1人アップグレードで移っていただき、次に3席空いたビジネスクラスにエコノミークラスのお客様のアップグレードと座席の移動をお願いし、オーバーセールになった3人連れのお客様を無事に搭乗させることになります。

このシーンで参考になるのが、席を移動してもらうことになるお客様の選び方なんです。
ちなみにこの時にロビーにいるお客様を指差そうとする手を、田畑智子さん演じる先輩スタッフが横から下げる場面があるのですが、お客様相手ならこういう配慮も大切なことですよね。

航空会社としては、きちんと予約されたはずのお客様の搭乗をお断りして返金したりクレームになることを防げるので、本来は運賃の高いグレードの座席に安い運賃のまま移っていただいたとしてもメリットがあります。
またお客様にとっては本来なら運賃も高い快適な座席にアップグレードされるので、仮に窓側から景色の見えない通路側になったような場合でもクレームになることはまずないでしょうね。

ただし気をつけないといけないのは、この時に隣や周囲の座席を利用されているお客様は“正規の料金を支払ってサービスを受けている方”ということなんです。
このシーンでも、上のクラスにランクアップしていただく乗客を、服装などが上のクラスになっても違和感が出ないような方や、後でクレームにならないような雰囲気の方をちゃんと選んでからお願いして移っていただいているんですね。

手間だけを考えれば、ファーストクラスの空いた席にエコノミークラスのお客様を移せば1回で済むはずですが、それを2回に分けて別々に行う理由がちゃんとあるんです。
もし搭乗してから機内で周りに「アップグレードしてもらって得した得した!」なんてベラベラ喋りそうなオバチャンとかが真っ先に対象から外されそうなのは、誰が考えてもわかりますよね。(笑)

ホテルの部屋のアップグレードは「サービス」するべきか?

(おことわり)ここから先は特定の事例に触れている内容があります。

実は似たようなアップグレードのシステムはホテルとかの宿泊業にもあります。

例えば近隣で個人客の集中する大きなイベントがあったり、コロナ禍で個別に泊まるスタイルが普及してシングルの需要が多くなった最近は、ダブルとかツインで空いている部屋をシングル利用のお客様に提供してお泊まりいただくことで、ホテル全体としての受け入れ可能客数を確保して収益を優先する場合があります。

また複数のランクの客室がある場合は、航空会社と同じように先の予約のお客様をランクアップさせて一旦満室になったランクの部屋とか当日予約の入りやすい安い下位ランクの空室を確保したりする場合もありますね。

詳しくは下のリンク先のサイトで紹介してありますが、ランクアップの目的の原則はあくまでも「ホテル側の稼働率を上げるため」です。

つまり本来の「ランクアップ」は、こういったホテル側に何らかの事情やメリットがある際に、その時限りで提供されるはずのサービスなのです。
たとえば航空会社もファーストクラスやビジネスクラスに空席があるからといって、いつでもエコノミークラスのお客様を無料でアップグレードさせてはいないですよね?

高級路線がコンセプトのホテルだからこそ考えてやってほしい

たとえばブランド物の服飾品は定価販売が原則で、在庫が余っても値下げセールをせずに焼却処分したりするのと同じで、高級路線がコンセプトのホテルでこれからの高級感を醸成したりお客様からのイメージを維持したいのであれば、部屋の運用の都合といったホテル側の事情がない限り、安易にランクアップを提供するのはいかがなものかと思うのです。

実は、今年の春に都城市の中心市街地にオープンしたあるホテルのレビューに「お部屋をアップグレードしてもらえました」というコメントをかなりの頻度で見かけるようになりました。
経緯は不明ですが「スタンダードツイン(2名1泊:15,000円/税込・休前日)」で予約されたお客様が、「スーペリア(同16,000円)」を飛び越して「デラックス(同20,000円)」へツーランクアップの特典を受けたというコメント(楽天トラベル)まで出てくる状態…。

当然アップグレードを受けたお客様はお喜びになって高い評価をつけられているのですが、この内容がこれから利用される予定の方だけでなく既にお泊まりになったお客様も目にされる「お客様の声」にコメントとして載っちゃっているんですね。
まさに先ほどの航空会社でいえば「アップグレードしてもらって得した得した!」と周囲にベラベラ喋ってしまうオバチャン状態。

仮にこのようなランクアップが「お客様に喜んでいただける」からと、無料サービスとして当たり前のように提供されていけば、今度は「前回はアップグレードしてもらえたのに今回はなかった」とか、同じ日のお連れのお客様で「前のお客はアップグレードされてたのに自分達はそのままだった」なんてクレームが出たりする可能性だって出てくるでしょう。

そしていずれ出てくるのは、他の宿泊客よりも良い設備の部屋を自ら選ばれて、低いグレードの部屋よりも高いのを承知で正規の料金を支払ってお泊まりになったはずのお客様からの”不公平感”だと思うんです。
たとえば見栄を張ってデートで“松コース”を頼んで食べていたら、隣のテーブルで“梅コース”を頼んだはずの別のお客様にも「料理が余っているからサービスします」って同じ料理が提供されてきたら…いい気持ちはしないですよね?

仮にサービスで部屋のランクをアップグレードするのであれば「本日はお部屋の清掃の都合で」のように、今回だけのホテル側の事情であるようにさりげなくご案内する方法もあると思うし、ツーランクアップの理由がもし運用上の都合であれば「ハッピーフライト」のシーンのようにワンランクずつ2組に分けるべきではないかと思うのです。

このホテルの宿泊プランの代金も試行錯誤が続いているんだとは思いますが、本来の価格より格安の“特売価格”に設定しているはずの「開業記念プラン」がいつまで続くのかと気になっていたら、さらにそれを値下げした「夏秋旅セール」プラン(現在は「秋冬旅セール」プラン)が登場しました。

しかも航空会社の早割チケットのように、早期予約だったり支払方法やキャンセル時の制約があったり、スーパーの特売品のように先着順で室数に上限があったりする訳でもなく、料金の高い通常予約方法と全く同じ条件。
これなら皆さん安いセールプランの方から予約されますよね?

ちなみに宿泊業の支援策である宮崎県民割の「ジモ・ミヤ・タビキャンペーン」のシステムを考えれば、最大のメリットを受けられるのが1人1泊1万円(半額が補助上限の5千円※)になります。
※本記事の執筆時

こちらのホテルだと一人が8千円程度になるのですが、戦略的に上手なホテルだと通常の宿泊プランにあえて特典をつけて1万円ちょっとに値上げして、キャンペーンの恩恵を最大に実感できる価格設定のプランを用意してたりもしています。

こういう宿泊プランとか価格設定って難しいとは思うんですが、採算面でいうと最近の状況では光熱費とか人件費のコストも高くなっているはずなんです。

高級路線のコンセプトという点では、実際に宿泊されたお客様のコメントにもあるとおり、「コンセプト、ターゲットがフラフラしている印象(Google)」「マーケティングが脆弱という印象(同)」なのは確かですし、「高級な部屋もあるホテルにしては接客やサービス面でレベルのギャップを感じました(楽天トラベル)」や「接客やサービス面のレベルの低さとのギャップがとても大きく感じます(フォートラベル)」と酷評されているのが現実だと思います。

短期的な評判や稼働率よりも、時間をかけて醸成される高級感のブランディングといったいった点でもしっかりと見据えながら頑張ってほしいものです…。

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