『赤い魚の夫婦』(グアダルーペ・ネッテル・著/宇野和美・訳/現代書館)
『漂泊の王の伝説』(ラウラ・ガジェゴ・ガルシア)に頭を殴られてからというもの、スペイン語圏の文学に興味が芽生えて時々読んでいます。とくに翻訳者の宇野和美さんがかかわった出版物を追うようにしています。
本作も、とてもよかったです。私には魅力的な読書体験でしたが、この小説家の肌感覚、好き嫌いがはっきり分かれるのではないかなと思います。
第3回リベラ・デル・ドゥエロ国際短編小説賞受賞作。
メキシコの作家が贈る人間とペットにまつわるちょっと不思議な物語。初めての子の出産を迎えるパリの夫婦と真っ赤な観賞魚ベタ、メキシコシティの閑静な住宅街の伯母の家に預けられた少年とゴキブリ、飼っている牝猫と時を同じくして妊娠する女子学生、不倫関係に陥った二人のバイオリニストと菌類、パリ在住の中国生まれの劇作家と蛇……。
メキシコシティ、パリ、コペンハーゲンを舞台に、夫婦、親になること、社会格差、妊娠、浮気などをめぐる登場人物たちの微細な心の揺れや、理性や意識の鎧の下にある密やかな部分が、人間とともにいる生き物を介してあぶりだされる。[収録作]赤い魚の夫婦 / ゴミ箱の中の戦争 / 牝猫 / 菌類 / 北京の蛇
公式あらすじより http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5905-8.htm
表題作「赤い魚の夫婦」が一番心に残りました。
主人公の妊娠中からお話はスタートします。出産後の母親と父親の育児に対する意識の違い、ごまかしきれない責任感の違い、大小のすれちがいを重ねながらぎこちなくなっていく夫との距離感や、満足に出産前の環境を復元できないままならなさに沈んでいく閉塞感が、ベタ(闘魚)の水槽に重ねられ、静かに表現されていきます。
読んでいて、主人公の気持ちに沿ってため息が出ました。
なんとも、わかる……。
主人公と読者である私の間にははじめから類似がありました。それは、私自身がワンオペで新生児を抱えていたとき、金魚三匹買っていて、そのうちの一匹がやたら喧嘩っぱやかったこと。そいつが、ほかの金魚を追い回してヒレに噛みつくのを、よく眺めていたこと。
(マタ、キンタ、ハエタという名前をつけていて、オスのマタが非常に気が荒かったのでした)
私の場合は本作のように文学的な香りなどしないただの日常の一コマでしたが、状況だけはまさに同じで驚きました。ただの日常の一コマを文学として濾過するのが優れた小説家だとしたら、このグアダルーペ・ネッテルという人は凄腕です。
高熱を出した子どもを抱えて、夫にすら頼れず、花瓶を投げつける気持ちがわかるなあ(私は花瓶は投げませんでしたが……)。
私もあのころ、確かに頭のどこかで家を牢屋のようだと感じていたことを思い出しなんともいえないほろ苦い読書となりました。
作中、無理に同じ水槽で飼っていたベタ1のかたわれ(ベタ2)が死んでしまいます。それを機に、もっと飼いやすい、気性のおとなしい魚でも新しく飼えばいいのに、すでにベタを飼っているからという理由で、また新しいベタを買ってきてしまうんですよね。
しかし、生活とはそういうもので……。
何かひとつ(あるいは複数)うまくいかないことがあるからといって、すべてを一新しリスタートするよりかは、そこにある危機の予測や不満を見ないことにして、同じことを続けたほうが断然楽。また同じ水槽に入れて殺してしまうかもしれないし、いずれ破滅がやってくるかもしれないけれど、いま辛うじて致命傷にならなければ、それでいい。過ぎし日常を模倣しつづけることで、やっと保たれるものもあります。
主人公のようなルーティーンを飲み込んで生きている人は山ほどいますよね(でも、どうしても喉にひっかかるんですね、そういうのは)。
日常風景のなかで、人間の感情は雲のようにわきあがってきて、あてどなく動きます。部屋にあるもの――ベビーベッド、闘魚にはちいさすぎる水槽、魚のからだに浮き出たまっすぐな線――そういった、ものや事象や動物に一瞬で感情を重ね、自分を重ねてしまうのは魚にはない人の業です。
ささいなことに象徴を見出して情感が揺れ動き、さまよい、うつろい、ベタのひれにまとわりついて、また仕方なしにベビーベッドに戻ってくる。まるでいろいろなものに、幽霊の手でそっとふれては離れていくよう。なぜ幽霊かというと、思いをどこに寄せたって現実は変わらず、また周囲の人を変えるほどの力もないからです。そのどうしようもない行き来、幽玄ともいえる感性のゆれが文字になって私に届いたのは、(息苦しくも)幸せな体験だと思いました。
結局、残されたベタ1は2のあとを追うようにぷかりと浮く。新しくやってきたベタ3も、主人公の人生の転換点を待っていたようにぷかりと浮く。
夫婦がお互いを選んだようにショップでベタも選ばれた。べつの夫婦が飼えば、三匹ともまだ生きていたかも。それとも最初から弱い個体で、結局死んだのかも。あいまいで答えがないことも、山ほどあるのでした。あえて見ないふりをしたいことも。
所収されているほかの短編も、生活に身近な生き物をメディアムにして人間の心のゆれが淡々とつづられていきます。
女性読者には「牝猫」も強烈でしょう。個人的には「菌類」が好み。
ただ私はGが大層、大層苦手なため、残念ながら「ゴミ箱の中の戦争」だけは読めず……。頑張って読んでみようとしたのですが、本当に無理!!で目をつぶってしまい撤退。いつまでたっても子どもっぽい四十路の自分にびっくりしてしまったのでした。。
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