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気兼ねなく街のギャラリーに入れます?

筆者は、ここ数年はどういうわけか都内まで美術館に出向き現代アートを鑑賞するようになった。
前からゴッホやダリなどの世界的に名が知れた超がつくほどの有名な画家の回顧展などは行っていたが、現代アートはさすがに遠ざかっていたというのに、いつの間にか足を向けるようになっていた。
おそらくは、自分の興味に対する貪欲さの表れだと思う。
実際、本当に面白がって観ているかと言われるとなんとも言えない。面白がれている作品もあれば、何を持ってしてこんな作風になったのか理解できない時も多々ある。それでも、興味が勝って美術館に足を向けるようになった。

とはいえ、それは大抵都市部の美術館である。電車に片道乗って1時間〜2時間とかけなければならない。決して気軽に楽しんでいるとはいえない。
ましてや、自分のように興味に貪欲になれる人などそれほど多いわけではないだろう。
もっと気軽に、もっと日常的にアートを……いや、アートだけでないエンタメを楽しめたらと、常日頃から感じている。
もっと身近になり、文化的資本が都心部とまでいかなくても、ある程度の充実を図らないと都心部に住んでいる人たちと格差が生じてしまう。そうなれば、文化的感受性も磨かれずにつまらない住人が増えてしまうだろう。町を面白く、また、面白い街を楽しめる感受性を備えるためにも、街の文化的資本は充実して欲しいことは筆者の常に考えてることだ。


横須賀の情報を集めるために毎週チェックしてるサイトがある。タウンニュース横須賀版だ。そこに、とあるギャラリーが横須賀にできて、さらに4人の作家による合同企画展が開かれると聞いたので、早速チェック。自分好みの作品ばかりとインスタで確認するや、その2日後にはギャラリーに向かっていた。

YONABE GALLERY 正面

横須賀は意外とオシャレなお店がいつの間にかできている街である。
ふと気がつくと、予想外なところに予想外なお店ができていたりする。
だからこそ、常にアンテナ張って街を見てないと、今の横須賀を知ることはできない。

場所は平成町と安浦の間際、住所的に見れば安浦だが、平成町が開けてからできたマンションの下にあるためにほぼ平成町にできたといってもいいような場所だ。横須賀の人以外に説明すれば、県立大学駅から海側に進むと平成町という場所があるが、ここは名前の通りに平成になってから多くのマンションや商業施設ができて開けた埋立地である。

そんな場所のマンションの一階に件のギャラリーができていたのだ。
それが『YONABE GYLLERY』である。
筆者は、躊躇うことなくギャラリーに足を踏み入れていった。


一航氏の作品
こちらも一航氏の作品

入った時は、ちょうど企画展
ART EXHIBITION「RESONANCE」
が開催されていた。
4人の現代アーティストが揃った企画展である。
メインの一航氏は地元横須賀出身のアーティストだ。ギャラリーとは別個に横須賀にアトリエを構えている。まさに、地元横須賀のアーティストである。


「RESONANCE」 1
「RESONANCE」2
「RESONANCE」3

複雑になり続ける世の中の仕組みに対し、物事を極力シンプルに捉え「表現とは何か?」といった根っこの部分を再考するために立ち上げたYONABE GALLERY。ギャラリー自体のコンセプトともなっている「共振(RESONANCE)」をテーマとする本展では、国際的にも注目されているアート市場で精力的に活動する4名のアーティストが、YONABE GALLERYの本格オープンに合わせた作品を展示いたします。

展示作品を通し、またギャラリー自体の世界観を通し「表現とは何か?」について考えるきっかけとなる展示となれば幸いです。

YONABE GYLLERY HPより


ギャラリースペースには、多彩な色彩であふれ、観る者を一気に惹きこむ空間になっていた。4人の作家の作品がそれほど広くはない空間に凝縮されることにより、そこそのものが一つの作品とも捉えられるようである。
一つ一つの作品をじっくりと鑑賞するのはもちろん、全体を連続的に眺め、その色彩の移りを感じ取るのも面白いかもしれない。
また、このギャラリーの四角い形状というのが、その演出に向いている。意図的なのかはわからないが、四角いがゆえに四方から鑑賞者を色で染め上げるかのようで面白い。
それに、広くはないといったものの、大小さまざまな作品を配置することにより全体的にダイナミックな印象を与えている。

正直、地元でこれほどのクオリティ高く自分好みな作品が楽しめることに驚きと感動を隠せない。
勘違いしてほしくはないが、決してこれまでの横須賀の作家たちがレベル低かったと言いたいわけではない。ただ、クオリティが保証された作品を気軽に拝める場がどれほどあったであろうか?
もちろん、アンテナの張り方が甘い筆者だからかなり見逃していた可能性はある。
とはいえ、今回出会えたことには素直に喜びしかないのだ。
確かに、スポットでカフェの一角を借りて個展を開いていたり、人通りが期待できない町はずれに市がアートを設置していたりはする。しかし、それだけでは弱く街にアートがなじんでいるとは呼びきれないだろう。
こうしたマンションの一画、県立保健福祉大学のすぐ近くという環境の中で開かれているということにこそ意味がある。

しかも、正面は前面ガラス張りであり、中の様子がすっかりと見える。
中の様子が見にくく、そもそも何をしているのかわかりにくい雰囲気ならば初心者は猶更ギャラリーに入りにくい空気を感じ取ってしまうだろう。そのためにも、入りやすい空気づくりはしっかりと出来ている。
ギャラリーの人たちも、フランクな格好であり格式ばった雰囲気は一切見せず、話しやすい空気感を漂わせていた。変に正装していると、アートに疎い人間が入ってはいけない空気を感じ取ってしまうかもしれない。
驚いたことには、ふとカウンターを見るとメニュー表があり、どうもアルコール類も販売しているらしい。
それくらいに格式ばった世界とは離れた雰囲気がそこにはある。
ぜひとも、近くに寄った際は気楽に入って作品を楽しんでほしい場だ。


しかし、この気軽にギャラリーに入る問題というのは実は大きな障壁があるのではないかというのが感じられてならない。
ギャラリーという空間は、件の筆者の感覚の通りに場所によってはなじみのない施設であったりする。普段から気兼ねなくギャラリー通いしている市民の方が少ないことは容易に予測できる。
それだけに、ギャラリーに気軽に入ることはできるのだろうか? ふと、そんな不安や疑問がよぎったりもする。

X(旧Twitter)にてアンケートを取ってみた。サンプル数がかなり少ないので参考程度にしてほしい。
ギャラリーに気軽に入れるかどうか聞いてみたのだが、

「条件次第では抵抗あるが入れる」が8票
「躊躇なく入って楽しめる」が4票
「興味あるが入れない」が3票
「興味すらない」が2票
トータル17票

入れる入れないにかかわらず、ためらいが生じる票が11票と過半数を超えている。やはり、ギャラリーに入ることに多少なりとも抵抗がある人はそれなりに多いのではないだろうか。

その理由をネットで調べたりしながら考えてみたが、やはりアートになじみが薄い人たちにとってはギャラリーという空間は無意識にも敷居の高さを感じ取っているようだ。
なじみがないからこそ、(値段的にも)お高く感じるし、知識がないからこそ分からないものと判断しきっているのかもしれない。
また、分からないからこそ、ギャラリーの人に話しかけられたらどうしようという不安もあるかもしれない。分からないなりにも一人でじっくりと鑑賞できるならいいだろうが、変に話しかけられたら「それなりのこと」を話さないといけないのではというプレッシャーを感じているのではないだろうか。
更に、「入ったからには買わないといけないのでは?」というプレッシャーも考えられる。調べてみると、結構なアーティストやギャラリー関係者が買わなくても見てほしい、という感覚を持っているようだ。だが、なじみがないからこそ変なプレッシャーを自ら作り出している。
そういう事情があり、ギャラリーに入ること自体が敷居の高さを感じられるのであろう。
そこをどう取っ払うかが、ギャラリーが街の一部として認知されなじみある存在へと変貌できるかのカギではないだろうか。

せっかくできた魅力あふれるギャラリーが一部のアートになじみがある人間だけに利用されるだけで終わるのは非常にもったいない。
どうすればなじみある施設になれるだろうか?
そういう意味では、少し触れたギャラリー正面の開放性というのは大きい。
この YONABE GALLERY は、幸い正面が非常に大きく開け開放感溢れている。入りやすい条件を備えている。中が見えにくく、何をやっているのか分かりにくいところは人が来なくて言語道断だ(まあ、そんなところは少ないだろうが)。
正面だけでなく、全体的な雰囲気もカジュアルで銀座を歩いているよりも入りやすい雰囲気はある。

ただYONABE GALLERYに関していうならば、場所がマンションが並ぶ一画であり、気が付かない人も多いのではないだろうか? 正面の印象も、もしかしたらギャラリーではなくアパレル関連かと思えなくもない。それだけに、ギャラリー正面の工夫の余地がまだあると思える。

アートになじみが薄くても大丈夫、買わなくても大丈夫、という意識付け問題は少し大きい。
これはギャラリーだけの問題ではなく、普段からアートそのものがなじみある存在であると認識させるような活動が必要だろう。
そういう意味では、アート関係者が地道な活動を続ける必要があるのではないだろうか。
もちろん、興味持った人だけがくればいいという考えもあるだろう。アーティストは己の感性に向き合い作品を作っているところもある。イチイチ鑑賞者を意識して作っては、あまりにも商業的だしそれで面白がられても困るだろう。アーティスト側から擦り寄りすぎるのはおかしなことだ。
それに、変に素人が入ってきて、ただ「分からない」を連発されるのもいい気はしないだろう。そういう端から理解する気のない、意識の低い人を弾く意味ではいいかもしれない。
しかし、街の文化教養を高めるためにもアートという存在はもっとなじみあるものになってほしいという筆者の願望もある。それだけに、変に弾き過ぎずにある程度は受け入れる態度は見せてほしい。

では、どのような活動が求められるのだろうか?
現代アートと聞いてしまうと、どうしても難しく敷居が高いそれと感じてしまう人も多いはず。そのイメージが先行するあまりに食わず嫌いにも似た様子にはなっていないだろうか?
そういうイメージを払拭するためにも、アーティスト側から近づいていくのも大切なことではある。
一つの試みとして面白いのは、既に筆者の過去記事でも紹介した『筆ロックフェス』ではないだろうか?

これは、まさにアートと庶民を気軽に結びつける試みだと言えるだろう。

こういった、アーティストと庶民との共演も演出に入った試みはもう少しあってもいいのではないだろうか。
わかりやすいところでは、地域住民とのワークショップである。
(YONABE GALLERYは、ワークショップもやっているのでチェックして欲しい)
他にも、地域住民参加型のアートプロジェクトを実施するのもいいのではないだろうか?
みんなで、一つの大型作品を完成させるなどして、住民が参加することによりアートを身近に感じて欲しい。
若い内からアートによる感性を磨く意味でも、もう少し学校での取り組みも工夫が求められるのだろう。
こうした試みによりアートがより身近になり楽しめるようになれば、街中のギャラリーの意味ももっと深いものになっていくのではないだろうか? さすれば、筆者が望むような教養溢れる街並みにもなるはずである。


そういう意味でも、ギャラリーという場の価値を見出して広がるようになってくれることを期待してならない。


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