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なぜ継続性は大事なのか?

先日2月24日、お馴染みの谷戸会を開いた。
去年の9月から唐突に始めた谷戸会だが、気がつくと今月で5回目になった。
当初は、まず『小さくてもとにかく始めること』の大事性を確かめる意味でも、とりあえずの意味で始めた企画である。1回目は特にテーマも決めずにただ集まって何か話す、という漠然とした内容しか決めていなかった。どういう人がお店に集まり、どういった話題で盛り上がれるのかも分かっていなかったからだ。
そんな漠然とした集まりでも、初回から人が来たことには今でも驚きを隠せない。とにかく始める、を実行した甲斐があったものだ。

そもそも谷戸会とは何か? と思った読者もいるかもしれないのでまずは軽く説明しておこう。
過去の様子は下記のリンク先に書かれているのでこちらを読むと雰囲気がわかるかもしれない。

出だしでも書いたとおりに、谷戸会は特にトークテーマも設けずに、各々に食材を持って集まってきた人たちがその食材を煮たり焼いたり、そして飲んだり食べたりしながら何か話す集まりである。その基本は今でも変わらない。
「それって、ただの飲み会でない?」と思えた方、ほぼ正解である。
飲み会といえば飲み会なのだ。
しかし、続けていくうちに、ただの飲み会とは違う意味が付与されていったのだ。
今回の記事は、そこに触れてみたい。


この日はおでんが振舞われた


◯続けてみた

とにかく、地元で企画を回してみたい。都内に出なくても楽しいことをしたい。その意気込みだけで始めた企画なのだが、半年近く経ってその集まりも段々と変化を見せるようになってきた。
正確に表記するならば、集まりに意味が付与されるようになってきた。
それが、地域コミュニティであったり、老後の孤独を避ける活動であったり、地域活性化であったり、出会いの場であったり……複数の意味を持つようになってきたのだ。
それは、人が人を集める効果がもたらした連鎖的反応なのだろう。

その連鎖をもたらしたのは、会場として利用しているhatisAOの店主中山氏のおかげとも言える。
なにせ、最初に来ていただいた方々は彼の知人やお店の客が中心となっていたから。
そこから、集まった人が更に知人を呼んだりして、今回の活気につながっていったのである。

大勢で乾杯!

今回の谷戸会、最終的に集まった人数は、筆者や中山氏を合わせて16人。過去最高記録を達成した。
集まった人は、中山氏の新たなる知人もいれば、前からのお客さんが更に別の人にイベントを紹介して興味を持って来られた方もいるし、中には自らXで横須賀のイベントを探してきた方もいた。
人が人を呼んでいるのである。
その結果、16人の数字に達したのだ。
しかも、この様子ならばあと数回やれば更に人が人を呼び膨れ上がるかもしれない。幸か不幸か、お店に入りきれないほどの人が来るかもしれない(その状況になれば、事前予約制にします)


持ち寄られた食材も多種多様
日本、韓国、メキシコ、イタリア……


これだけ人が集まると、それぞれの経歴もかなり多様なそれになってくる。
現役大学生から民族楽器蒐集家、こけし好きな教師、コスプレゴミ拾い主催者、それにサルサを踊る講師とキューバ人……。
筆者は仮面を持参して参戦していたので、個性的なメンバーの一人と数えられるだろう。
こんなに多様なメンバーが揃うとは、正直驚きである。


窓辺に並べられたこけしと手拭い


◯人と人とがつながると

みな個性的な人ではあるが、俯瞰してみると一つ感じるものがある。
みな、この手の集まりに対して感度が高いことに。
つまり、何かをやってる人が別の何かをやっている人を察知して集合してこようとしてくる。
孤独なアーティストというのはもちろん多数存在しているが、ここに集まってくる人は非常に感度よく貪欲に人と繋がろうとする人たちなのだ。
だから、このような個人で開いているイベントにもかぎつけてやってきているのだろう。
逆に言えば、感度低い人はこの手の個人イベントどころか、下手すれば行政がやっているような大き目のイベントにも知らない、もしくは名前は知っているが興味は示さないのだろう。その辺がくっきりと分かれているのではなかろうか。
うちの会社にも横須賀在住の社員は何人かいるが、ほぼ間違いなくこの手の個人企画には興味なく、大手の企画にも出向いたような話は聞かない。もしかしたら、それがマジョリティな感覚なのかもしれない。その手の人にとっては、花火大会ほどの規模にならないと興味を示せられないのだろう。
だからこそ、個人主催の谷戸会に来てくれたような人は感度が非常に高く貴重な人々と言っても過言でないと断言できる。

そして、そんな感度が高い人たちが一か所に集まるのだ。もちろん、化学反応が起きるに決まっている。

筆者の話でいうならば、コスプレゴミ拾いの人と大いに話が盛り上がった。なにせ、マニアフェスタにも出ているという。
マニアフェスタに関しては、筆者も4年前になるがこのnoteで紹介している。


マニアはマニアを呼び寄せるということか。
そんなマニア同士なのだから、話は合うはずだ。
なにせ、筆者もその場で仮面をかぶって言ってみればコスプレのような恰好をしていたのだから。
そして、結果としてみれば
「横須賀でもコスプレゴミ拾いをやりましょう!」
という流れになるのも必然である。
具体的には何も決まっていないが、横須賀でも新たな動きが起きる空気感は生まれた瞬間である。

もしかしたら、自分の知らないところでも他の人たち同士で同じような話し合いが生まれていたかもしれない。
そして、この企画のポイントはそこにもあるのである。
つまり、人と人とがつながり新たな何かが生まれるというところ。
筆者は、谷戸会の募集をする際によく「イベントを動かしている人が参加しているので、自分でも何かを始めてみたい人はご参加を」と誘い文句を並べている。
今回は筆者自身がのっかった流れになるが、こうやって新たに何かを仕掛けたい人が誰かとつながることによってその何かが生まれるきっかけの場にしたかったのだ。
それがある意味では成功した流れになる。

谷戸会というのは基本的には地域交流であり大きく言うならば鍋会・飲み会という場である。
しかし、細部を見ていけば個性豊かな人が集まることにより、新たな人と人とのつながりが生まれ、やがては新たな展開までもが生まれるのである。


シェケレというアフリカの楽器


〇イベントを継続する意味とは

正直、まさか5回目でこれほどの意味が生まれるとは思ってもみなかった。
そう、『意味』が生まれたのだ。
もちろん、最初から意味はあったのだが、この5回目で新たな意味が発生したといえるのではなかろうか。
しかし、その新たな意味が発生した原因こそ注目すべきなのかなとも思う。
それが、『継続性』ではなかろうか。

1回、2回やった程度でここまでのことはなかなか起きないだろう。しかし、何度も繰り返すことにより人が人を呼び、感度高い人が惹かれ合うようにして一か所に集まり、やがてはそこで化学反応が起き、新たな何かが生まれてくるのだ。
そういう場を作り出すためにも、1度で終わらずに繰り返し地味にでも回を重ねていき、少しずつ成長させていく意味はあるのではなかろうか。いや、実際に意味があったのだ。
もちろん、それにはいくつかの条件が必要なのだろう。
イベント以外のところでその条件を拾っていく努力も必要である。こうしてnotoに記録を綴ったり、逆に自ら別のイベントに顔を出してその存在をアピールしたりなど。
そういった努力を重ねながら少しずつ会に意味を付与していく。それこそ、継続する必要性であり、イベントを続けていく楽しさでもあるのだ。

これから何かを始めようとする読者の方々、もしくは既に始めている方々、少しずつでも意味を付与しながらそれぞれの会を継続してほしい。
谷戸会も引き続き地域交流と新たな出会いの場という意味を持ちながら、新たな何かを提供し続けていきたい。


サルサを踊る二人




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