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子宮の詩が聴こえない2-⑥

第1章から読む) (⑤を読む

■| 第2章 弥生の大祭
⑥「義父の病室」


O県内で最も大きな大学病院。
受付を済ませ、誠二は一人で病室へと向かう。

個室のドアが半開きになっており、昼食を終えた義父の清が、食器をカートに片付けているのが見えた。
誠二のノックに気付くと「おお、早かったな」と言って、ベッドに腰かけた。

「お義父さん、ごぶさたしています。黒田です」
会釈をしながら入ると、清は咳ばらいをしながら返事をする。
「悪いなあ誠二くん、わざわざ」
「いえ、とんでもないです。どうですかお加減のほうは」
「ちょっと大変だったが、おかげさまで順調だよ。ずっとメシが味気ないのだけが問題だ」

清は心臓を患い、大手術をして長期間入院している。
それまでは大病なく70歳にしては健康を保っていたが、今では年相応に老けて見える。

「好みに合うかどうか分かりませんが、何冊か選んできました」
見舞いの品として、義母に伝えられて書店で買ってきた歴史小説を渡した。

「ありがとう。雑誌編集者の君が選ぶものなら間違いない」
「あまり良いものを知らなくて」
「うん、いいチョイスだと思う。どれも読んでみたかった作家さんだ」
「よかったです」

病人ではあるが、白髪の混じったヒゲは整えられ、よく似合っている。
まさみの父親だけあって、映画俳優のような横顔は相変わらずだ。

「せっかく東京から来てくれたのに、ろくなおもてなしもできないな」
「いえ、そんな。今はお体が第一ですから」
不愛想だった以前までと違い、ずいぶんと言葉や表情が優しくなっているように感じていた。

ベッドの横の窓から、穏やかな風が入ってくる。
まさみのことを相談しようと思っていた誠二だが、タイミングを掴めずにいた。
病状や、仕事の話、孫の話などをしつつ、なんとなく時間は過ぎた。

やや沈黙も続くようになった。
もうこのまま帰ってもいいような気持ちもよぎっていた時、清はベッドに深く腰かけ直して、誠二に真っ直ぐな目線を向けた。

「さて、そろそろ本題に入ってもらおうか」

その言葉に驚いた誠二は「え、あの……」と言い淀んだ。

すると、清は首を左右に動かすようにおどけて笑った。
「君は本当に正直な分かりやすい男だな。詳しくは知らんが、まさみの様子が変だというのは聞いている」
「……はい。ご推察の通りです」
そう言って、見透かされたことに少し照れてしまった。

「せっかくの機会だ。何でも話してごらん」
「そうですね……。でも、驚かせてしまっては」
「大丈夫。心臓が悪いと言っても、手術もうまくいってしばらく経ったし、もう心理的な刺激ぐらいでは何ともならんと医者も言っているよ」


誠二は、少し内容を和らげつつ、まさみが「子宮の詩を詠む会」へ傾倒したこと、島に渡りたいと申し出ていること、そのことで自分や未久との仲違いが続いていることを順を追って明かしていった。

清は黙って聞いていたが、やはり少しは驚いたように「ほうほう」と何度か相槌を打った。

「華襟島にそんなものがなあ……。それは、何か宗教のようなものかい」
「宗教というわけではないので、余計にタチが悪いですね」
「そうか。まさみがそこに至るまでに君は気付かなかったということだな」
「……お恥ずかしい限りです」

清の声のトーンからは、怒りなのか悲しみなのかが読み取れない。
誠二は押し黙った。


ノックの音が聞こえ、女性看護師が現れた。検温の時間のようだ。

体温計を受け取った清は、急にその看護師に尋ねた。
「失礼なことを聞くけど、あなたはご結婚されているのかな」
「いえ、独身です」
「そう。もしも自分の結婚したい相手が、嫌なことをしたらどうする」
「嫌なこと? 浮気とか、ですか?」

誠二は黙ったままその不思議なやりとりを聞いていた。

「浮気、借金、暴力や、宗教的なことや、いろいろと自分が気に入らないことをされたとしたら、さ」
「そうですねえ……。話し合って、それでもダメなら別れるんじゃないでしょうか」
「そうなる時もあるよな」
「私の場合は、ですけど……」
「うんうん。君の場合でいい。すまないな。変なことを聞いたね」
「いいえ」

看護師が去ると、清はまた誠二に向って少し笑って言った。
「24、5歳ぐらいだろうか。君やまさみよりも10歳は若いだろうね」
「ええ。あの……、今のはどういう意味が?」

困惑する誠二を見ず、清は老眼鏡をかけ、小説をパラパラとめくりはじめた。
「いや、全くたいした意味はない。若い女性の場合はどうなのか聞きたかっただけだ」
「……」
「年齢や性別によっても考え方は変わってくる。人と人が衝突した時の解決方法に最適解なんかないと思うんだ」

これまでで最も柔和な声だった。

「二人で話し合って、どうしても無理だというなら別れることがあってもいい。これは娘の親としては失格だけど本心だ。私や啓子に、古葉家に、遠慮して君が選択肢を減らすなら、それは違うと思う」

誠二の中では、激昂した未久が言ったような、まさみと別れるという選択はなかった。
それは自分の気持ちがどうかというより、周囲のことを心配しての考えだ。
凝り固まった考え方を義父がほぐそうとしているのは分かった。

「……私たちには子どもを育てる責任もありますから」

誠二の言葉に、清は深く頷いた。
「それはそうだ。しかし、子どものことだけは今後も二人でしっかりと考えるように決めたらいい。昔と違って、今はそういう家族の形もたくさんあるだろう。君たちがどうなっても、マコちゃんは一生ふたりの子どもだし、私たちの孫だ」

大病を患って心境の変化もあったのだろうか。以前までの強情さはなかった。
誠二を古葉家の婿養子にしようと画策して娘たちに絶縁されかけた人物とは思えない。

「……いろいろと、ご心配をおかけしてしまって」
「いや。君を少し楽にしてあげたいと思っただけだが、お説教が上手でなくて申し訳ない」
「そんなことはないです。お気持ちが嬉しいです」
「そういえば初めてだな。男同士で話せたのは」

誠二は、初めて義父の心と向き合えただけで胸がいっぱいになっていた。
ややあって、清は少し申し訳なさそうに告げた。

「……ただ、矛盾してすまないが、できることなら少し歩み寄ってあげながら、気が付くように導いてあげて欲しい。まさみはちょっと幼いところがある」

不器用でも優しい人であり、娘を大事に思っていることだけは、よく分かっている。
「はい。それだけはこれから粘り強く」
「猪突猛進だからな。誰に似たのか、まさみも未久も。小さい頃から、こう、だ」
両手で視野を狭くするしぐさをして、誠二を笑わせた。

「未久さんも、きょう一緒にお見舞いに誘ってみたのですが」
「いや、来んでいいんだよ。今さら娘に優しくされると、もしかして死ぬのかなと弱気になってしまうだろ」
「いやいや、そんなことは」
「マコちゃんが大きくなったら、君にもこの気持ちが分かるかもな」
病室には二人の控えめな笑いが響いた。


誠二が病院を出ると、晴れていた空模様がやや怪しくなってきた。
義父に報告できたことを安堵して振り返りながら、タクシーに乗り込む。

スマホの電源をつけると、未久からの着信とともに、メッセージが届いていた。

「まさみが一人で家を出ました。マコちゃんは母が見ています。終わったら連絡を」

慌てて折り返すと、未久もやや慌ただしく電話に出た。
「見舞いは終わったのね?」
「すみません。気が付かなかった」
「さっきまさみが荷物を持って家を出たよ。部屋にはあなた宛ての書き置きがあった。帰ったらすぐに読んで、また連絡ちょうだい」
「まさみは島へ……?」
「だと思うわ。私もすぐにフェリーの手配をする。こうなったらとことん付き合うしかないわね」
「すみません」

ついに妻が華襟島へ行くと聞いても、不思議と焦りはなかった。

「来たか……。思ったよりも早かったな」

こうなることは予測済みで、未久よりも前に手配はしてある。
あとは、一足先に島に入って旅館で待たせているワタルと亜友美に連絡をするだけだった。

― ⑦に続く ―
(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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