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子宮の詩が聴こえない1-⑨

始めから読む) (⑧を読む


■| 第1章 詩人の勧誘
⑨「姉の指摘」


「いてえな!」と怒鳴った。
立ち上がって睨みつけた。が、すぐ落ち着いて顔をそむけた。

こういう時にも、素早く感情のコントロールができる。
だからヒステリックなまさみとも、これまで罵り合いにならなかった。

でも今回、結婚してから最大と言える争いになっている。そのことはお互いに感じていた。
「……頼むから、落ち着いてくれ」

静かに言った誠二の腕に赤く掻き傷が刻まれ、まさみは怖くなったように、ソファーに顔をうずめて泣き崩れた。

「どうして……私は自分の好きなように生きちゃいけないの!」
ここまでの姿は誠二も見たことがなかった。

「何が悪いの! なんで冒険……させてくれないのよ!!」

取り乱しながら発せられた「冒険」が、シリアスな場面にあまりにも不釣り合いで、悪いと思いつつ誠二は吹き出してしまった。

「……まさみ。ちょっと落ち着こう。今は判断ができない。その、スピリチュアル系の人たちのこと」
「……」
「冒険もいいけど、そんなにうまい話ばかりではないよ。もしかしたら何かカルト宗教のようなものかもしれない。現実的なイメージができないんだ」
「……そんなことない。宗教なんかじゃないもん」

確かに宗教ではない。
ただ、会社で聞いた華襟島(かえりしま)の施設購入の噂が、ここに来て真実だと明らかになった。
どんなに反発されても、誠二の猜疑心が消えることはなかった。

しばらく沈黙を挟み、誠二が続けた。
「ほかに、誰かにこの子宮の詩を詠む会のことを話した?」
「……セミナーに行く前に、お姉ちゃんに電話で」
「未久さんに? それは……俺なんかより厳しかったんじゃないの」
「……そうね」

まさみの姉の未久は、東京の大手新聞社で数々のスクープをとってきた社会部の敏腕記者だ。
かつて、出版社社員の不祥事に関して誠二も取材を受けたことがある。
おかしいことには身内だろうが容赦はなく、鋭い物言いと取材力に圧倒された。

まさみとは少し馬が合わないことも分かっている。
「その華襟島のグループだかイベントを未久さんが何ていうか……」
「お姉ちゃんには言わない。黙って行く」
「……俺が言うよ」

ソファーから顔を上げて、まさみは睨んだ。
「……卑怯者! お姉ちゃんは関係ないでしょう! 自分が説得できないからって!」

誠二も、家庭の不和を義姉に泣きつくのは情けないと確かに思った。
ただ、開き直るしかない。
まさみの気持ちを変えうる最善の道だと考えたのだ。

姉から厳しく指摘してもらい、まずは無理やりにでも危ない物への執着から離す。夫婦で意見を譲り合うのはそれからでもできる。

「情けないと思われてもいい。未久さんと俺にもっとしっかりとプレゼンをして納得させて欲しい」
「反対しすぎだよ! 私のことなのに!」
「自分のことと、今の生活との折り合いを考えて欲しいってことだよ。家族の生活だよ」

まさみは泣き止んだが、今度は怒りに震えていた。
以降は誠二と話すことはなく、拗ねたようにずっと無言で過ごした。


誠二が未久に連絡を入れたのは、翌日の午前中だ。
「申し訳ないです。そういう事情だから協力してもらえないかと」

初めてに等しい義弟の方からの電話で、事情を聴いた未久も興味が湧いたようだった。
勤務先の新聞社ロビーの打ち合わせスペース。スマホを片手にノートパソコンを弾きながら、笑っている。
「まさみがキレるのはいつものことだけど、誠二君が感情的になるなんてよっぽどだね」
「……情けないです」
「いいじゃない。たまにはぶつかり合えば。うちの旦那なんかぼーっとして何もしないから毎日蹴散らしてるわ」

妻とはまた一味違った激しい性格で、敵に回したくない。
誠二は苦笑いしながら未久のトークにのめされていた。

「まさみも馬鹿だからすぐに影響されるけど、お手軽にその子宮のなんちゃらみたいにネットの人気者になれるとは思えないわ」
「鳩矢銀太郎とかいう演歌歌手の自己啓発本も響いたようで」
「誰それ? よくもまあそんな胡散臭いのにばかり引っかかるわね」
「なんかすみません本当に……」
「いくら頭の中身が少なくても、そんな本に押されて島に行きたいだなんて洗脳が過ぎる。よっぽどの勝算があるんでしょう」
「確かプロデューサーと知り合ったと言っていました」
「それかな。今、ブログを見てるよ。まさみにこんな文章構成ができるわけがない。そいつに添削されているんじゃないの」

新聞記者の目は誤魔化せない。
実際にまさみはミジンコブログプロデューサー若田ショウと連絡を取り合い、助言を受けながらブログを更新しているのだった。

「聞いていませんが、そこまで面倒を見てもらっているとしたら……」
「あーあーさっぶいポエムだ。何が子宮の詩よ。わが妹ながら情けない」
「……」
「ゲゲ、こっちは気持ち悪い自撮り。一族の恥だ。昔から顔は悪くないのに、これじゃ自意識過剰のバカ女じゃない」

予想はしていたが、毒舌にいたたまれなくなってきた。
誠二は話題を変える。
「弊社のスピマガが、子宮の詩を詠む会の取材を企画しているらしくて、やっぱり怪しいと言っていました」
「へえ、スピマガがそんな警戒するの」
「でも、まさみは宗教じゃないと言っていたので、自由にやりたいことをやらせたい気持ちもあって……」

その言葉を聞き、それまでフランクだった未久の口調が冷たくなる。

「誠二君それは違うわ。自由にさせることが愛だと思ってない?」
「……多少は自分に負担でも、好きなようにさせたいと思っていて」
「自由にやらせても、変だと思ったら、とことん話し合うのが愛よ」
「そうですね……」
「それに『自由にやらせたい』は軽くない。片方の自由を許した時に、もう片方が負担しなきゃいけないなんておかしい。夫婦は平等よ。これってあなた達とは男女逆のケースなら多いんだけど」

誠二は痛いところを突かれた気がした。
どうにか妻の負担を軽くし、娘に危害がないようにすることだけを意識するのが最近の生活だった。
自由にさせることと無関心が曖昧になり、妻はどんどん内に籠り、子宮の詩を詠む会に居場所を求めたのだ。

「妹をかばうわけじゃないけど、あなたにも非がある」
「……そうかもしれません」
「まあ私が小さい頃みたいに馬乗りになって髪引っ張ってぶん殴ってギャンギャン泣かせば思い止まるでしょうね」
「それはちょっと……」
「冗談よ。でも、情けないわ本当に。言っちゃ悪いけど、こんなの宗教以下のカルト集団じゃん。こんな奴らに従って何が自由よ」
どんどんペースを握られて誠二は冷や汗をかくばかりだった。

「同期の記者でカルト問題に詳しい人にも聞いてみてから、また連絡するわ。ガツンと言ってやるから、ちょっとそれまで待っていて」

自分には無い熱いものを未久は持っている。少し暴力的だけど、頼もしいと思った。
丁寧に礼を言って、電話を切った。


午後。スピリチュアリズムマガジンの衣笠デスクから再び話を聞かせてもらうことになっていた。
それ以降は取材案件もない。昨日の言い合いのこともあったので、早めに帰宅するつもりでいた。

昼食ついでに銀行に立ち寄る。
几帳面な誠二は、家族旅行や娘の教育資金のために少しずつ貯金をしていた。
給与用の口座から、貯金用口座に決まった額を移す習慣を済ませた。

残高を見るのがひそかな楽しみであったが、この日は驚愕した。
300万円ほどあったはずが、今入れた分しか表示されない。つまり入金前は0円。

何かの間違いではないかと照会した。
なんと、つい先ほど、まさみの個人口座に全額が移されている。

「どうなってるんだ。何も聞いてない……」
慌てて何度か電話を入れたが、繋がらなかった。

嫌な予感がしていた。


― ⑩に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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