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子宮の詩が聴こえない1-①

■| 第1章 詩人の勧誘
①「黒田家の日常」

聞き耳を立てるのが癖になっていた。
長時間の勤務を終えて帰宅した誠二は、マンションの自宅ドア前でしばらく耳をすます。

「きょうも泣いてる、か……」
ため息をつきながら玄関で靴を脱ぐと、2歳半になる娘が泣き叫びながらバタバタと勢いよく駆けてきた。

「ただいまマコちゃん。ママはどうした?」
ハンカチを出して涙をぬぐってやる。イヤイヤ期の真っ盛りだが、ようやく会話になり、意思疎通ができるようになった娘の成長が嬉しい誠二は、ひざまずいて目線を合わせる。

「何かこぼしたの?」
「ぎゅうにゅうこぼしちゃった……」
「そうか。嫌だったね」

脱衣所で着替えさせ、洗面器にお湯を張り、汚れた服をざっと洗う。マコを片腕で抱き上げ、リビングのドアを開けた。

「まさみちゃん、ただいま。こぼしたみたいだね」
誠二の妻、まさみはテーブルに頬杖をついてスマホを眺めたまま低いトーンで返事をした。

「うん。すごくうるさかったからさっき怒ったところ」
「……そう」
「あーあ! やっと帰ってきた! よかった! ママは行くね!」

指をくわえて涙をためるマコをちらりとも見ないで、ドスドスと足音を立てて、まさみは寝室へと行ってしまった。

20時をまわっている。
リビングのテーブルにはマコに与えていたであろう菓子パンのかけらと、雑に拭いた牛乳の跡が残っている。

これが黒田家の日常だった。

雑誌編集をしている誠二の帰りは普通のサラリーマンより遅くなりがちだ。母親が「ワンオペ」になる時間帯はほかの家より長い。

「お腹はもう減ってない? パパとお風呂で遊ぼうな」
自身の空腹は気にならない。今はマコの笑顔だけが楽しみだ。

妻には強く言えない。さらにストレスを与えて娘への当たりがきつくなったら……。
疲れて家に帰るたび憂鬱になりそうな日々を、一人娘との交流や成長を見ることだけで必死につなぎとめようとしている。
険しい顔ばかり見せる妻への愛情はなくなりつつあった。

「このままじゃダメなんだけど……。まさみもしんどいもんな」

妻と娘が二人きりになる数時間が怖いが、抱えている編集作業や取材先との調整は社内でしかやれないものばかりだ。

寝かしつける時間になって寝室を開けると、まさみはベッドに寝転がったまま、まだスマホを眺めている。
「寝る時間になったよ。部屋、暗くしたいんだけど」
誠二がそう言うと、抱き上げていたマコが「ママとねたい!」と泣き出した。
「うるさいなあ! どうせ寝ないじゃん」
子どもとの添い寝を面倒がって強い口調で言った。

元から気が強いタイプの女性ではあった。
誠二は家事の半分以上をこなし、仕事をしながら朝晩はマコの世話も相当量こなしている。一方、まさみは専業主婦。夫が出勤し、娘を保育園に送った後は、少しは自分の時間がある。

「世間にはもっと大変な母親が……」

誠二は、それだけは思っても口にしないと決めていた。
以前、母親の育児にかかるストレスに関する記事の編集を受け持った経験から、妻の負担を減らすと決意し、あまり家庭内では不満を表さない姿勢を貫いてきた。

「ずっとパパとばかり寝ているから、たまにはいいよね」
力なく笑って、マコを引き渡した。
「はいはい!」
投げやりに娘の上に布団をかけたまさみは、その流れのまま、自分だけ掛け布団をすっぽりと被った。隙間から、スマホの明かりが漏れている。

「ねえママ…おはなしして…」
「しない! 寝て!」
ぐずる娘と乱暴に言い放つ妻に肩を落としながら、誠二はリビングへと戻った。
「もう疲れたな……」

娘が寝静まった後、二人は久しぶりにリビングのテーブルで向き合った。少し話し合えないか。誠二の申し出だった。

「なんなの?」
まさみはスマホを手放さないが、不機嫌そうに目線を合わせる。

「大変なのは分かるけど、もう少しマコに優しくできないかな」
「優しいよ。きょうはキレた。いつもすぐ仲直りするからいいじゃん」
「睨んだり怒鳴ったりするのは止めて欲しい。子どもだから失敗もするし」
「だって何回言ってもダメなんだもん。ずっと飲み物をこぼすし」
「……こぼさないように見ていてあげるとか」
「見てるの! アナタが家にいない間は私がずっと一人で見てるじゃん! なんなの!」
「こぼしたらすぐに着替えさせたらいいじゃないか。汚れた服は置いてくれていたら俺が洗濯しておくから……」
「洗濯も溜まってからしてるの!」
「……そんなに怒るなよ」

まさみに睨まれるのが辛い。
こうなるのが嫌で話し合いには及び腰だった。
気の強さは分かっている。大学の同級生だ。ゼミのリーダーを務め、はっきりした顔立ちの美人で男子からも女子からも人気があり、明るく活発で、大勢に慕われていたまさみの姿を誠二は今も懐かしく思い出す。

社会人になって東京に出た二人は、共通の友人の仲介で再会して付き合い始め、同棲の期間もそこそこに30歳同士で結婚した。

まさみにも不満はある。
一緒になってから三年が過ぎても、誠二はずっと優しく、家事育児も自分以上にしっかりやってくれる自慢の夫だ。
ただ、夫婦のスキンシップが減り、子どもの方ばかりを向くから腹が立つ。

そして、産まれた時はあんなに愛おしかったマコのこと。自我が芽生え、自分の思い通りにいかないとわめく年齢になってから、ほとんど可愛いと思えなくなってしまっている。
そのことを自覚しているのも、ストレスの大きな要因だった。

沈黙が続いた。この機会をつくったことを誠二は少し悔いた。
だが、ふいに、まさみからスマホの画面を突きつけられ、顔を上げた。

「なにこれ?」
「いま読んでいるブログ。ほら、感情を抑圧するのがよくないって」

「子宮……? 子宮の詩を詠む会…。なんか、怖いな」

妻が興味を抱いているものを、後で自分の端末でも検索して読んでおきたいと思い、記憶に残すためにあえて声に出した。

「最近ずっと読んでる。子育てについても書いているから。怒りをため込むと子宮頸がんになっちゃうかもだって」
まさみの声が少しだけ弾みだす。

「お医者さんなの? 子宮だなんて、産婦人科の人なのかな」
「人気ブロガーだよ。キャバクラで働いていたらしいんだけど」
「元キャバクラ嬢のブロガー……?」
大ゲンカになりそうなこの状況が和らぐのは嬉しいが、誠二は少しだけ違和感を持った。

「主宰者は番長あきちゃん。すごいんだよ。ミジンコブログのアクセスランキングでずっと1位。たくさんの女性が悩み相談をしてる。子宮からの詩が聴こえる霊能力があるんだって」

まさみは以前からこうしたスピリチュアル系や、自己啓発などに興味を持っている。よく図書館でもそのような本を借りていた。

誠二も雑誌編集の仕事柄、その類の情報には寛容だった。
「今度、部署の詳しい人に聞いてみるよ」と、興味を持っているように返事をした。
多くの女性に支持されている人気のブログが、しんどい子育ての気晴らしになってくれているならありがたい。

しかし、そんな気持ちはすぐに裏切られることになる。
この日を境に、まさみの様子はどんどんおかしくなっていく。


ー ②に続く ー


(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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子宮の詩が聴こえない【第一章】
子宮の詩が聴こえない【第一章】
  • 10本

ネットに蔓延るスピリチュアルの恐怖を描くフィクション。出版社に勤める黒田誠二は、育児に悩む妻まさみと不穏な日々を過ごしていた。ネットで見つけてきた怪しい人気ブロガーに急速に心酔していく妻、なんとか思い留まらせたい夫。それぞれの葛藤や信者化する家族との向き合い方、荒唐無稽にも思えるスピや自己啓発セミナーの搾取の手口などを浮き彫りにする小説

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