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子宮の詩が聴こえない1-②

①を読む

■| 第1章 詩人の勧誘
②「姉との電話」

マコを保育園へと自転車で送った後のまさみは、コーヒーを淹れ、何をするでもなくリビングのソファーに腰かける。

きょうも引き渡しには手間取った。
保育士に預けられながら「ママがいい」と泣く我が子。
以前なら「早く迎えに来るからね」と声をかけ、後ろ髪を引かれていた。

今は「うるさい子だ」としか思えなくなっている。
そしてそれが、家で一人になってから胸に響くこともある。

「……あきちゃん、今日も綺麗だな」
そう呟きながら、スマホで眺めているのは番長あきのブログだ。

子宮の詩を詠む会のオンラインサロン会員数は1万人を突破した。月額4900円で、既にまさみも加入している。
携帯料金と同時に引き落とされるから、誠二には会員になっていることは知られていない。

まさみは3年前、専業主婦になった。
クレジットカードを扱う外資系企業に勤めていたが、産休からそのまま退社した。
海外赴任の夢もあり、欧米の社員と通訳を介さずにやりとりをして、営業成績も優秀。社内で何度も表彰されたことがあった。

それが今は、得意とは思えない家事と片付けをサボりがち。毎日ゴロゴロして、被害妄想的に夫からの無言の圧力を感じている。

「寝ていていいよ」
誠二はいつもそう言ってくれる。それがまさみには耐えられなかった。何もできていないことを責められているようで。
夫も疲れているのが分かる。その優しさをそのまま受け取れない。

そんな時に目に入ったのが、SNSで流れてきた番長あきのブログだった。
煌びやかな女性に囲まれて微笑んでいる姿に、やけに惹かれた。
いつしか一日の大半は、子宮の詩を詠む会の会員ブログなどを読み漁るようになっている。

『今日も子宮の会セミナーへ!』
『あきちゃんのサイン本をゲット!』
『憧れの人とツーショット!』

番長あきを慕ってキラキラしている女性たちの姿は、日常を忘れさせた。
いつも気遣ってくれる夫と、育児以外の会話がほとんどなくなっている。
ブログを読んでいる間だけは、そんなことも考えなくていい。

しばらくスマホを眺めていると、着信の通知。
慌てて耳を当てる。
「もしもし。お姉ちゃん、どうしたの」

3つ離れた姉の未久からだ。
「どうしてるかなって思って。マコちゃんのイヤイヤはどう?」
「……最近特にひどい。仕事のほうが楽だったよ」

未久にも娘が一人いる。マコが生まれたばかりの頃はよくまさみの方から電話をしていたが、最近は少し疎遠になっていた。
「うちはもうすぐ4歳だから聞きわけもよくなったよ。マコちゃんもあとほんの少しの辛抱だと思うんだよね」

電話口では未久が助言をしているが、ほとんど耳に入らない。
「しんどいよ。なんだか、いろいろ耐えられない……」
ソファーから腰を上げ、テーブルの上にあるパソコンを立ち上げた。

画面に映ったのは、さっきまでスマホで見ていた子宮の詩を詠む会のサイト。番長あきのブログへのリンクをクリックする。

「……まさみ、聞いてる?」
「ああ、うん」
「夕方までマコちゃんが保育園でしょう。誠二君もよくやってくれているみたいだし、何かまた始めてみたら?」
「……いいな。人前に立ちたいのよね」
「ああ、接客のバイトとか」
「違うよ。大勢の人の前で話がしたい。憧れている人みたいに」
「大勢の前で?」

まさみの大きな目には、カメラ目線で小首をかしげる番長あきの画像集が映る。たくさんの女性が見つめるステージ上で講演をしている様子が分かる。

「番長あきちゃんみたいに生きたい。って思うんだよね」

未久は少し間を置いて、
「誰よそれ。番長? 野球選手? タレント?」
まさみの様子が少しおかしいことを感じとって尋ねた。その質問には答えず、まさみが返す。
「あきちゃんみたいにたくさんの人に慕われたいんだ」
マウスをクリックし、キーボードを叩く指が早くなっていく。

「そうね、たくさん人がいる所で働けば……」
「違うよ! 働くとかじゃないの!」

急に大声を出されたので、未久が心配そうに尋ねる。
「……どうしたの、あんた」

以前までなら取り繕うように話題を変え、安心させたはずだった。
「番長あきちゃんは、妊娠中も毎日クラブで夜遊びをして、ワインを好きに飲んで、ヘビースモーカーだった」
表示されているブログの自己紹介ページを姉に読み聞かせた。

「はあ……。それは赤ちゃんへの嫌がらせか何か……?」
「普通に生きていれば分からないよ。医学を信じちゃうから。自分がエビデンスになれるのに」
「へえー、まさみの口からエビデンスときた。自分が根拠だっていうことね。何か本を読んだ、とか?」
「働かなくても自由に、やりたいように生きていれば、子宮から詩が聴こえるんだ。私もそれを聴きたい」
「ほうほうほう? 子宮から、ねえ……」
未久はやや呆れ、少し様子がおかしい妹を泳がせることにした。

まさみは気にせずにパソコン画面の文字を読み続ける。
「女は、いつも体の中からの美しい詩を聴いて生きる。好きなことをしていればいいし、食べたい時に食べたいものを食べて、寝たい時に寝る。やりたいようにやっていい。そうすれば、男が汗水たらして働いて貢いでくれる。お金が勝手にやってくる……んだよ」

未久はすぐに耐え切れなくなった。
「ごむぇん、まさみちゃあん。ちょっと何言ってるか分からないわ。ダメ女のドラマのセリフか何か?」
「バリバリ働いている姉ちゃんには分からないよね。でも、女を磨いて自由に生きていれば子宮の詩が聴こえて導いてくれる。私は最近そう思うようになったんだ」

何かのスイッチが入ったようにうっとりと語るまさみ。
馬鹿にするようにかわしてはいたが、未久はやはり戸惑っていた。

都内の大手新聞社に勤めながら夫と共働きで娘を育てている。雑誌編集者の誠二の仕事とは親近感もあって話が合う。
自分の夫に比べて家庭的で優しい伴侶を見つけた妹を少し羨ましく思っていた。
だから、誠二を愚弄するようなことだけは少し戒めておきたかった。

「まさみ。何に影響されているか知らないけど、誠二君は勝手に貢いでいる訳じゃなくて、あんたとマコちゃんを養っていくために頑張って働いているんでしょうよ」
「うん。分かってる」
「いいや、分かってないね。貢いでくれるなんてお馬鹿なパパ活ギャルじゃあるまいし」
「……」
「疲れて何かに逃げたいのも分かるけど、あんな良い旦那さんいないよ。家事が苦手なことも理解してくれているわけでしょう。半々でもいいからお互い協力してやればいいじゃない」

未久からの言葉は説教じみていて、耳にはほとんど入っていなかった。
昔から、正論で攻めてくる賢い姉のことをあまりよく思っていない。このトーンの会話は軽く受け流すことが染み付いている。

「少し、勉強しなおす……わ」
「うん。気を確かにね」

通話が終わると、まさみはすぐに身を乗り出してモニターを眺めた。
子宮の詩を詠む会からのメール案内が来ている。

”『愛と性のセミナー』開催のお知らせ”
“今回は番長あき『子宮の詩を聴く』個別セッションがついています”
“ネットバンキングでの振り込み、先払い4万9000円”

「あきちゃんと直接話せるのか……。ちょっと高いけど……」

そう呟いて、申し込みページにたどり着くまでに、時間はかからなかった。


― ③に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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