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小笠原藩の茶道に触れる

 今年の後半、特に晩秋からこっちは短期間にも関わらず実に多くの学習機会を得ることができた。これまで口にするほど「ご縁」というものを実生活の中に意識したことはなかったのだけれど、たった数か月の間で意識が180度変わった。本当に、自分はいろいろな「縁」、もう少しライトな言い方をすれば「機会」「チャンス」の渦の中で過ごしているのだと感じている。その「縁」を、目に見える形、手の届く場所に置けるかどうかは、自分の行いや心構え次第なのだ、ということも。

 さて、今回のテーマは「最近の学び」。ちょうどピッタリな出来事が先日あったので、それを書き記しておきたいと思う。

立礼席でのお茶をいただくことになった

 先日、ひょんなことから「古市古流(ふるいちこりゅう)」という流派の立礼席をいただくことになった。

 茶道をなさらない方は、この時点で何を言ってるのか訳の分からぬ状態だと思う。私も正直分かっていない。私は紅茶はやるけれど、我が国における茶道、我が殿が生涯の一芸とした茶の湯に関してはド素人なのだ。すみません、忠興様。(私は細川忠興という人に仕えている、という幻覚を日々見ながら生活をしています。)
というわけで、まずは単語と私の所感をメモしていく。

立礼席(りゅうれい-せき)
簡単に言うと、座敷(茶室)ではなく椅子に座っていただくお茶のこと。呈茶(ていちゃ)とも言う。ざっくりネットで調べると「畳に座って正座でいただく」スタイルのお茶より、「もっと気軽で作法を気にしなくていいお茶」なんて風に出てくる。本当かいな??? 流石にそのへんのカフェ感覚で入って一杯、なんて気軽さでないことは確かだ。素人なので、それなりに緊張する。

古市古流(ふるいち-こりゅう)
間違っても古龍ではない。古流だ。
1630年代、豊前国小倉藩へ移封してきた小笠原家の茶道頭(さどうがしら)を勤めた流派であり、「古流」の名の通り起源は大変古い。調べてみると、「茶祖・村田珠光の弟子・古市播磨守(古市胤栄)を流祖とし……」なんて出てくる。元は播磨で茶の湯を嗜んでいた著名人を、小笠原小倉藩初代藩主・忠真(ただざね)が召し抱えて、一緒に小倉へ連れてきたのが始まりということらしい。以来、小倉藩の茶道を取りまとめる家、流派であり、現在も連綿と続けられてきた茶道流派の一つ、ということである。

 まとめると、私はこの小笠原藩お抱えの茶道であった「古市古流」という流派のお茶を、立礼席というお気軽スタイルながらに体験してきた、というわけである。場所は小倉城庭園だ。ここまでが前置き。

 ここからは立礼席体験をレポート形式で順を追ってまとめていきますが、あくまでも古市古流の作法であることをご了承ください。なるべく記憶を辿って書くけれど、抜けや違うところもあるかもしれない。その点も、どうぞお許しを。

小倉城庭園
https://www.kokura-castle.jp/kokura-garden/


茶の湯は茶を飲むだけに非ず

 何度も書くが、茶の湯に関して私は本気の本気で素人である。だがせっかくの機会なので、古市古流の先生方にあれこれと訊ねながら体験させていただいた。遠慮して聞かずにいると訳が分からないままで終わるだけだと思ったし……実際、聞かなければ到底分からないことが山ほどあった。というより、分からないことだらけだった。
 立礼席という椅子席スタイルのお茶であっても、やはり「茶道」に変わりはない。出てくるものは季節をあしらった和菓子、茶碗、そしてその中には薄茶が入っている……。しかし、そういった目の前の「口にするもの」の前に、茶室入りしたらまず行うことがあるのだという。椅子に座ろうとした私へ、先生が一言。

先生「まず、床をどうぞ」

茶室ではまず床の間を拝見する

私「床の間を……見る……!?(なるほど? よくわからん)

 私の心の声まで先生にはしっかり聞こえていらっしゃったのだろう、順に説明していただいた。

 畳に正座する場合であっても、立礼席であっても、「茶室」にはその日の空間を表す床の間が表現されている。どちらの場合でも、まずはこの床の間に飾られたお道具を一つずつ拝見することが大切、と教えていただいた。

 最初に「お軸」、これは掛け軸のことだ。茶会の主題を表現しており、私はこれを言葉そのままに、「亭主の世界観の軸」だと解釈した。その日の気分と言い換えても良いかもしれない。

 次に「花」花入(はないれ)、そしてそこに活けられた花の種類なども含めて、一つの作品である。華道の勝手とは違い、シンプルなものが好まれている。勿論茶会の趣旨によっても変わるのだろうが、ほとんどの場合2種程度で投げ入れるように作ると先生は仰っていた。また、「茶室にある道具の中で、花だけが生き物である」という先生の言葉は、妙に深く感じ入って心に残っている。

 最後に「香合」だ。「こうごう」と読む。現代で使われることはほとんどなくなったと先生は仰っていたが、かつてこの中には香りの元となる「香」が入れられていた。どういうことかと言うと、茶道においての「香」は茶室に集まる人々の精神をリラックスさせる効果があり、茶室の浄化に加え、香によって炭の匂いを和らげる役目も果たしていたという。

 茶道には季節によって湯を沸かすための釜の置き場とでも言えばいいのだろうか、湯を沸かす場所に二種類あり、5月から10月にかけての夏季には「風炉(ふうろ)」を、11月から翌4月にかけての冬季には「炉(ろ)」を使用するのだと言う。
 現代でこそ電気があり、お湯を沸かすことに手間暇をかける必要はないが、かつては炭で火をおこし、そこでお湯を沸かしていた。そして、その焼けた炭の中へ、香合の中に入れてある「香」を落とすことによって、火の中で燃え、香りが茶室に立ち込めるという寸法なのだ。ここで先に述べた「現代で使われることはほとんどなくなった」に繋がってくる。現代では炭で火をおこしてお湯を沸かすことがあまりないため、茶室に飾られた香合もかつての名残であることが多い……とは先生の言だ。
 私の下手な説明で香合のあれこれが示せたか不安なので、とりあえず分かりやすかったサイトのURLを貼らせていただく。→https://www.antiques-store.com/staffdiary/8673.html

 このように3点セットが床の間には飾ってあり、順々に拝見していく。見るべきポイントなども教えていただいたが、拝見したときにあれこれ亭主へ伺うことは基本的にない、ということだ。本来であれば、亭主に対して正客(しょうきゃく)がお茶をいただいた後に伺い、次客以降はその会話を静かに聞いて学ぶ、というのが礼儀とのことだ。
 ちなみに、この正客とは客側の中で最も格が高く、一番奥(亭主に最も近い位置)へ座る。要するに会に呼ばれた客のリーダーであり、茶道におけるマナーや知識を最も有する者が選ばれるそう。
 今回に限っては他にお客様もおらず、更に正式な場というわけではなかったから、私があれこれと遠慮なく聞いてしまったのだけれど、ゆっくりとお茶を喫した後に床の間のお道具などについてお伺いするという流れのほうが限りなくスマートというのはなんとなく理解できた。

御菓子と茶を喫する

 床の間の拝見が終わったら、やっと椅子へ座って御菓子とお茶をいただく流れとなる。この日はクリスマスが近かったため、サンタクロースの顔がモチーフとなった可愛らしい生菓子を提供していただいた。写真も何もなくて絵にならないnoteである。

先生「お茶が出てくる前に食べ切ってくださいね」
私「わかりました。いただきます」

 これが慣れてくれば「頂戴いたします」くらい、スッと言えるようになるのだろうか? こういうところに普段の言葉遣いというものを思う。
 上生菓子はそれだけだと、めちゃくちゃ甘い。練り物菓子は大好きだけど、家だったら間違いなく紅茶を入れている。お茶を入れてくださる亭主の先生のお点前を拝見しつついただいた。帰宅してから思ったけど、なぜお菓子を食べ切るのか、理由を聞けばよかった。お茶が苦いから?

 先生のお点前は、一つ一つの道具を清めながら行われる。この時に使われる布巾(と言ってよいのだろうか……)もいろいろ種類があるようだが、大事なのはとにかく「清めて」いたこと。その手つきを見ていると妙に緊張する。先生から見て左側に差し込みながら使っていた布巾が鮮やかなオレンジ色だったのが印象に残っている。クリスマスだったからかな?
 高山右近は「潔癖に過ぎる」と評された茶人だったけれど、こういう手際に潔癖さが出ていたのかしら……と思った。(それはそれで萌えってやつですね)

茶碗を通して感じる心

 お茶が膝元に接したテーブルまで運ばれてくる。古市古流では先生が運んでくださったが、流派によっては客のほうが受け取りにいくこともあるそう。そのへんは流派によって本当に違うということなので、お呼ばれする素人はそりゃ~~~末席に座るわな!! と納得した。
 茶碗のことも聞けばよかった。素人が見たところは織部茶碗だなあ、ということくらい。織部グリーン、好きです。いいよね、織部おじさんのお茶碗……(織部重然をそのへんのおじさんのように言うな)
 その茶碗も、いきなり持ち上げて口へ運ぶのではなく、ここでも先生から一言アドバイスが。

先生「茶碗はお客様に正面、つまり茶碗の一番良い面を向けて置かれています。これをじっくり眺めましょう」

私「ほほう……なるほど……?

 持ち上げる前に、眺める。それは入れていただいたことを思うことであり、茶碗の中に作られた世界を思うこと。(と勝手に解釈した)
 そのあと、置かれたテーブルからほんの少しだけ茶碗を持ち上げ、正面を避けて一口頂く。先生曰く、この「正面を避ける」というのが大事ということだ。

先生「亭主は茶碗の一番良いところをお客様に出しています。そこが一番大事だからです。お客側は、そういう気遣いをした亭主に敬意を払って、ほんの少し正面を避けます。茶碗を少し右に回して……そのあと、いただく前に感謝をしましょう。なんでも良いです。例えばお茶を入れてくれた人でもいいし、あらゆること、日常のことでも」

 感謝をする。この言葉は、ちょっと目から鱗だった。ああ、お茶ってそういうことをする場所なのか。これも流派によって違うのだろうけど、少なくとも古市古流ではお茶をいただくことを通して、あらゆることに感謝を捧げる。なんだかとても感動した瞬間だった。
 食事の際には「いただきます」と言う、その「いただきます」には調理をした人、材料を作り出した人、生物の命だったり、もっと大きな循環だったり、そうしたものに対して感謝の気持ちで「頂く」という思いが言葉になった……と、多分食育なんかでも言われているし、我々日本人の言霊文化に最も定着している言葉の一つだろう。「いただきます」。それと同じように、しかし言葉には出さずお茶を通して感謝をする。お茶室では、あれこれ余計なことは喋ったりしないそうだ。(特に正客以外は)それが侘び寂びというものだろうか。
 ともあれ、私はこの日の機会をいただいたことに感謝をして、一口頂いた。

先生「一口頂いたら、結構なお服加減で御座います、と亭主に感謝と敬意を述べましょう。普通のお茶席だとこれを言うのは正客ですが」

 普段口にしない言葉だが、品のある、きれいな言葉だと思った。「結構なお服加減でございます」となんとか噛まずに言い切った私を褒めたい。

スマートに音を立てて

 この日は薄茶というものをいただいた。素人の私でも、お茶に薄茶と濃茶があることくらいは知っている。コロナ禍になってから、茶碗を回して飲むスタイルは少なくなっているらしい。様々な人が立ち寄る小倉城庭園の立礼席なので、基本的に一人一つのお茶碗で供される。
 大体、茶碗の中には三口半程度で飲み切る量のお茶が入っているということだった。そのくらいで飲み終わってください、と一口の後に先生がおっしゃるから、後ろで慌てて調整した。

先生「最後は、ずっ、と音を立てていいので、最後の一滴まで飲み切るつもりで」

 この時点で私は相当いっぱいいっぱいになっていて、どうしてなのかこれまた聞くことができなかったのだが、流石に調べてみた。(こちらが分かりやすかったブログ→http://hotbutteredpool.com/jp/chanoyu/chanoyu-sound-finish/)

 要は言葉に出さず美味しく飲み切りましたと表現する方法なのだ。お茶の世界では音を立てて飲んでも……良い……! 新しい発見である。茶道というものは、とにかく言葉にしないものらしい。言葉をナリワイにしている私からすると「言ったほうが分かりやすくない?」と思ってしまうのだが、言わないことが美徳ということだろうか。出さない言葉の裏にあるもので表現……? 最初に拝見した床の間も、あれこれ言わずにまずは見る。何かを訊くとしたらお茶が終わった後である。ひとつひとつの動作がかっちり区切れている、と考えれば分かりやすいのかもしれない。飲むときは飲む、言葉にするときはする、見るときは見る! みたいな……。どうだろうか。奥が深いぞ、茶道。

最後に茶碗を拝見する

 御菓子をいただき、お茶も飲み切り、終わった……! と、ほっと一息ついたのが正直なところだったが、最後にまだやるべきことがあった。ま、まだある! それは今しがた喫したお茶が入っていた茶碗を拝見するということ。

先生「飲み切り、正面に戻した茶碗を膝前に置いてますね。この何も入っていない茶碗を、まず上から眺めてみましょう。これを『名残り』と言います。そのあと、茶碗に手を添え、側面や内側、底などを拝見しましょう。この時、絶対に高く持ち上げてはいけません。茶室であれば、自分の肘が床に付くくらい下げた位置で!」

 立礼席ではテーブルに茶碗が置いてあるので、テーブルの上で、低く保てば保つほど良い、というわけなので……間違っても、自分の目線の高さに持ち上げたりしてはいけない。すかさず先生から「高すぎます」とNGが(え~ん!)テーブルに顔をくっつけるくらい……低く……ッ! それがマナーだ。
 道具はどのようなお品であれ、亭主が心を込めてお客のために選んだものということ。それに敬意を払うため、大切に扱うためにも低く拝見するのが良いということだ。所作の一つ一つに気を遣うが、根底にあるのはとにかく双方が敬意を払った行動をするということだろう。失礼のないように、大事に扱って拝見しよう、と心掛ければ、確かに自然と手元は下へ下へといく気がする。落としたりしたら恐怖でしかないもんね。そんなものは亭主も客も望んでいないのだ。自分の大事な宝物のように扱う、そう心掛ければ簡単なことかもしれない。

落語「荒大名の茶の湯」を思い浮かべ……

 立礼席というスタイルであったとしても、茶会における一通りの流れを教えていただいた。いや~……これは……本当に、一朝一夕なものではない。やっぱり「道」なんだな。茶の道。戦国の世における「茶の湯」とは違うものであるとは思うけど(やっぱり江戸時代を通しているので、形式というものが一層強く組み立てられていると思うんだな)、でもこうして茶を通して感じるもの、考えるものというのは共通している気がする。

 茶道が礼儀作法に重きを置くのは、亭主(お茶を点てる人、もてなす主人。いわゆるホスト側)と対峙する客(もてなされる人、ゲスト側)の双方に礼節が存在し、もてなす側ももてなされる側も、相手に対して礼の心があるから成り立つやり取りなのだろう。

 今回、教えていただきながら私の頭の片隅にあったのは落語「荒大名の茶の湯」だった。元は講談なんだけど、これが落語に流れて人気の演目になったらしい。内容はいわゆる滑稽噺なんだけど、これには戦国期の錚々たる武将たちが登場する。

 時は戦国時代末期、新たな天下人ならんとする徳川家康は、それまで豊臣政権下にいた名だたる武将7人を己の下に引き入れたいと考えていた。そこで家康の軍師・本田正信が一計、私の屋敷で茶会を催して七人の様子を伺いましょう、と申し出た。ただこの七人、武張った連中ばかりで、細川忠興1人を除いては茶の湯などしたことがないという。
 茶会に誘われた忠興以外の六名はすっかり困ってしまって「茶の湯の作法など何一つ分からない。どうしたらいいか」と忠興に訊ねた。すると忠興は「儂が正客となるから、貴殿らはただ儂の真似をしておればいい」と言った。すっかり安心した6名は茶会当日、忠興の後ろをついて歩き、そっくりそのまま同じ行動をして茶の湯に臨む。

ざっくりとしたあらすじ

 大体こんな話である。(詳しいあらすじがありました→http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/04-06_aratya.htm
 滑稽噺とは面白可笑しいはなし、というもので、武将たちは茶の湯の作法が分からないので、忠興公の真似をしてみるものの、どうも途中からおかしな具合になって、もうしっちゃかめっちゃかになっちゃってぇ……とオチがつく。ちなみに、このしっちゃかめっちゃかな具合に、さしもの本田正信も笑いがこみ上げちゃって、愉快な茶会でした、主を呼んで参りましょう、とめでたしめでたし。

 この物語にどのような感想を抱くかは人それぞれだが、今回私の体験はまさにこれだった、という話。勿論、お呼ばれした素人6人のほう(笑)
 私の場合は最初から最後まで先生が丁寧にやさしく教えてくださったので、物語のようにしっちゃかめっちゃかにはならなかったし、先生のおかげで最後はきちんと「めでたし」にはなれた。まあ、こうして学びとは積み重なるものかもしれない。こんな風に、事細かにお作法の一つ一つを訊ねながら飲むなんて滅多にできないし、それこそお教室などに通わないと普通は無理だと思うので、大変有難い体験をさせていただきました。今回は小笠原藩の茶道ではあったけれど、少しだけ忠興様の世界に近づけた気がします。

小倉城庭園 立礼席
https://www.kokura-castle.jp/ryurei/

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