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いろいろ振り返ってみる

ここ最近の一連の行動すべてに「ダサいな」と思う。


まず最初に思うのが「謝りすぎ」

というか「謝れば場が収まる」と思ってる考えの浅さがダサい。

いつからこんな謝り癖がついたのだろう。

思えばあんまりミスをしない人だった。

「ミスをしない」というか、そもそも「あまり動かない人」だ。

過去やってきたことの繰り返しが基本の行動パターンだから、ミスをすることが無い。

要は「挑戦が少ない」のだ。

だからミスしたときのリカバリーが下手くそで、「謝れば済む」と思っている節がある。


あとは「察してムーブ」が多い気がする。

ものすごく鈍感で、相手の気持ちなんてこれっぽっちも推し量れないくせに、自分のことは「察してほしい」と思っている気がするのだ。

「書かなくてもわかるでしょ」って感じ。

いや、違うな。

「過去のnoteで散々書いて来たよ」という、新規を置いていくスタイルだな。

初見で僕のすべてがわかるほど表現力があるわけじゃないし、そんな薄っぺらい人でもない。

noteを書くときは、その1記事ですべてを語り尽くすこと。

それができないのなら、せめて関連noteのリンクを貼ること。

まぁ、「すべてを語り尽くす」なんて永遠にできることではない。

できることではないのだけど、やらなければ伝わらないし、伝えたいと思うからやり続ける必要はあるよね。


そして「めんどくさくなってすべてをおおっぴらにする」ってのも、楽ではあるけど見苦しいというか、「ダサい」の原因はこれだと思う。

そもそも事を荒立てたくないのなら書くな。

そして書くと決めた以上は、その創作物を生み出した責任を持て。

「書くけど責任は持ちたくない。なのでめっちゃ隠して書きますよ」

これをした結果が、いらぬところでの小競り合いである。

そしてそれを解消するための「すべてを話します」。

やってることが見知らぬYouTuberのようだ。

無駄に神経すり減らして、楽しいを表現することを怠るなよ。


最後に「人と人とはわかり合えない」と知れ。

言葉を尽くして語り合えばわかってくれるはず。

このメルヘンチックな妄想を現実に投影するな。

いくら同じ方を向いてる人であっても、やり方が全く違う。

僕のやり方はひどいほど自己中心的で非情なのに対し、相手は言葉を用いて説得を試みる優しさがある。

そんな優しい人に「自分勝手になろうや」と言っても、わかってもらえるわけがない。

「自分とは違う考え方だな」とだけ理解して、わかり合わず各々のやり方で生きていく。

それでいいのだ。

人をこっちに合わせようとする必要も無いし、逆にこっちが合わせに行く必要も無い。

だって、僕とは違うのだから。


改めて、僕の人間性が腐りきっていることがわかった。

自己中心的で利己的なのに「察してほしい」とも思ってる感じ。

そしてミスした後のリカバリー力の無さと、挑戦心の無さ。

マジで終わってる。


しかし勘違いしないで欲しいのは「ほんとに僕ってダメだな」という、ダルいムーブをかましているわけじゃないってこと。

「人間性腐りきってるな笑」くらいの話である。

こんなにおもしろいことはない。


まぁこれも「自分は特別だ」と思いたい厨二病のイタい発言だ。

ぜひ今後とも、コイツをおもしろがってくれ。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋


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