「刑が軽すぎる!」について
こんばんはのようなこんにちは、くろだです。
今日のnoteも読んでいってくださいな。
何か大きく報道された犯罪があったとして、それに対する判決が出た時に必ず起きる「刑が軽すぎる」という発言。
これに関して一つ考察が出てきたので書いてみようと思う。
結論としては、刑を「刑」として機能させるための裁量だからというもの。
前提として、犯罪は悪である。
どんな理由があろうとも法を犯してはならない。
それが法治国家に生きる我々のルールだ。
ただ法って「やっちゃダメよ」と書いてあるわけじゃなく、「これをやったら罰はこれね」という”ペナルティー”が書いてあるものである。
だから「ペナルティーを承知で罪を犯す」という行動は、理屈として筋は通っている。
しかし法は抑止力でなければならない。
「これをやったら報復が来るぞ」という脅し。
悪いことをしたら仕返しが来るということを学べば、それを「損」と普通は捉え、おとなしくなる。
なんか野蛮人を手なずけてる感じだけど、法治国家の原理って「人は悪だ」っていう性悪説で成り立っているから仕方無い。
さて、そんな性悪説を元とした法治国家で、刑を重くしたらどうなるのか?
例えば、
盗みをしたら罰金1億円。
痴漢をしたら罰金10億円。
人を殴ったり蹴ったりしたら罰金100億円。
こうなった場合、たいていの人は「何億なんて大金払えないよ」と萎縮するだろう。
でもこういう人達って現行制度でも萎縮するだろ?
これらの罪はどれも50万円以下の罰金で、懲役期間が違うくらい。
問題なのは「億なんてどうせ払えないんだからやった方が得じゃね?」と思う人がいること。
だって犯罪をした上で逃げられるかもしれないんだよ?
「やり得」と考える人がいてもおかしくない。
最初にも言ったが、法は抑止力でなければならない。
いい塩梅を攻めなければならない。
軽すぎてもやるし、重すぎてもやるから。
「いい人を増やすにはどうすればいいんだろう」と、未来を考える人がいてもいいよ。
だけどその未来になるまでの「今」を抑え込まなければならない。
だから現在の量刑がある。
ただ被害者が「これだけの目に遭って、それしか刑が加えられないの?」と思う気持ちもわかる。
わかるのだけど、重くしても意味がないなと思うのだ。
解決策は一つ。
法なんて必要無くなるくらい、いい人が溢れること。
でも僕はそんなメルヘンな未来が来るとは思えない。
「いっそ人類全滅すれば解決するのにね」と思うのだが、これもメルヘンな妄想である。
現実的なのは恐怖政治かな。
圧倒的な力による高圧的な支配。
でもそれじゃあ僕のこの活動も終わってしまう。
となると、今の人を信用しない「法律」があるくらいが丁度いい気がする。
犯罪ダメ、絶対。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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