書評

ESGに対する納得感と金融リテラシー

以下の通り、NIKKEI STYLEで著書を取り上げていただきました。

著書ではESG投資(環境・社会・ガバナンスを考慮した投資)の浸透には特定投資家によるコミットメントだけではなく、広く日本社会にESG投資が認知されることが重要と強調しています。そのためには以下の通り第三者機関が不可欠だと考えています。

もう一つ日本が学べる点として黒田氏が挙げるのは、第三者評価機関の役割だ。英国では政府や金融機関、特定の企業と利害関係のない評価機関が存在する。金融機関が投資対象を決める際にESG要因をどの程度考慮しているのか、企業に課題がある場合に改革を働きかけているかを監視している。ところが日本には中立の見張り役がいない。一般の人がESGに興味を持ったとしても、金融機関の行動の質や水準、本気度を見分けるのは難しい。

ただしこの機関が有効に機能するためには日本独自の要因として2つを考慮に入れなければなりません。1つはそもそもESGをなぜ考えなければならないかという点をしっかり納得することです。2015年からはSDGs(持続可能な開発目標)という単語もよく見かけるようになり、アルファベット3文字、もしくは4文字の似通った概念のバズワード(流行語)が各種メディアを飾っています。それと呼応するように企業はこれらのバズワードと自社の事業の関連を示すのに躍起になっているように見えます。

しかし最も重要なのはバズワードに振り回されることではなく、企業がESG要因として示されている事項について、自社の適応力を高めることにあるのです。そして行動を起こすためにはESGを他者に強制されているものではなく、自分事として捉えることが必要なのです。著書では江戸時代の商家の家訓を取り上げており、ESGが輸入された概念ではなく、元来日本にも存在する概念であることを取り上げ、以下のように述べています。

こうした近代以前の倫理かも勘案するのであれば、日本は海外からのお仕着せではなく、日本独自のESG投資の発展の在り方を探っていくべきなのである。もちろん、江戸時代は商売の対象が日本国内であり、現代ではそれがグローバルに広がっていることを勘案しなければならない。重要なのは、ルーツを国内を求めることで本当の意味でESG投資を日本に根付かせることである。

もう1つは投資についてのリテラシー向上です。日本ではなぜか社会に出るまで一般教養として金融や投資を教わる機会がありません。それではESG投資が浸透する土壌が乏しいのも当然です。この点では著書の副題の通り、イギリスに学ぶところが大きいと考えています。

イギリスでは日本の中学生に当たる年齢の生徒に対して、公民の授業の一環として金融教育が行われる。前半ではお金の使い方と機能、金銭面で計画を立てることの重要性と実践、リスク管理の方法を教えている。いきなり投資について教えるのではなく、投資の前提として自身の消費行動に目を向けさせるのが前半のカリキュラムの特徴である。自分の小遣いの中から欲しいものを買うために、計画的に貯蓄し、計画的に支払いをするという比較的身近な話題から始めるのである。後半では収入と支出、クレジットと負債、保険、貯蓄(投資)と年金、金融商品とサービス、政府の歳入と歳出を取り上げる。親から支給される小遣いの使い方から始めて金銭に対するリテラシーが高まったところで、勤労所得や金融商品から発生する利益、一般的な金融サービスの知識に展開しているのである。



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