【短編小説】ヒトガタサマ【中編】
「類感呪術ね」
“魔女”さんは、少し考えてからそう呟いた。
「ルイカン、ジュジュツ?」
我ながら馬鹿っぽいオウム返しをしてしまったことに気づいて少し恥ずかしくなる。
「そう。こういうおまじない、というか呪術には大きく分けて二種類あるの。一つは今言った類感呪術と言って、対象を模した形のものを使って行うもの。摸倣呪術とも言うわね。もう一つは感染呪術と言って、対象の髪の毛や体液とかを用いるものなんだけど」
「はぁ、なるほど」
「今回のは前者の、類感呪術ってやつだと思う」
淡々と説明をする。さすがに詳しい。元々オカルト系が好きなのだろう。そういえば以前そんなことを言っていたな。
「なんにしても私は誰かの恋敵になってしまったということか」
「心当たりは?」
「まったく」
困ったな、そう呟いて頭を掻いている。
念の為、知らせておいた方がいいと思ってここまで来ておいてなんだけど、はっきり言って僕はまだ半信半疑だ。あんな子供だましのおまじないで何かしらの効果があるなんて、にわかには信じきれない。“魔女”さんが、いっそ笑い飛ばしてくれれば僕としても気が楽だったが、どうも正面からこの問題を受け止めているらしい。
「でも、解除方法はあるから。一昨日行ったときはなくて、見つけたのが昨日ってことは、明日の日没まで猶予もあるし」
別に慰めのつもりはなかったが、僕はそう声をかけた。本当は彼女の名前が書かれたヒトガタサマをひっぺがして持ち帰ろうとしたのだが、朋美に「そんなもの持ってたら気持ち悪いよ」と強く止められたのと、まだ時間もあるからと、そのままにしてきた罪悪感もあった。
「そこなのよね」
“魔女”さんはそう言って、さっき書いたメモを手に取る。そこには僕が説明したヒトガタサマのルールがびっしりと書き記されていた。彼女はその中の「解除方法」と書かれた部分を指差しながら
「私が一番怖いと思うのはこの部分」
と、嫌悪感を隠しもせずに言う。
「ああ、どちらかが死ねば、ってところか」
確かにそこは僕も最初聞いたときゾクッとした。なんだか冗談半分でじゃれ合っていたら、突然ナイフを突きつけられたような気分だった。しかし、そんな僕の合いの手に彼女は首を横に振って答えた。
「ううん。【名前を書かれた対象の人物と同性の人がヒトガタサマを破る】というところ。君はなんでこれが同性に限定されてると思う?」
予想外の展開と、突然の質問に面食らってしまう。確かにそこは僕も気になっていた。朋美は「友情パワー」がどうとかトンチンカンなことを言っていたが。
「いや、なんとも」
「多分ね、この呪術を最初に思い付いて実行した人はこう思ってたんじゃないかな……」
何も言わない僕の反応を見て、彼女はこう続けた。
「『呪うほど憎くて仕方がない恋敵を救ってくれるヒーローの存在すら私は許さない』って」
ハッとした。言われてみればそうだ。別に紙切れを破るのなんて誰だってできる。それをわざわざ「同性」と限定してしまうのにはあまりに不自然だ。そう考えると、人間の底知れぬ嫉妬と憎悪の念がとぐろを巻いてそこに存在しているかのように感じられる。僕は後れ馳せながら、彼女が感じたものと同じ恐怖に蝕まれつつあった。
そのとき、机においてあった僕のスマートフォンが鳴動した。一瞬ビクッとしたが、液晶画面に「山下 朋美」と表示されているのを確認して少し安堵した。“魔女”さんの方をチラリと見ると、「どうぞ」と目で合図されたので、画面をタップして電話に出る。
「あっ、ヨシキ?今どこ?ねぇ、大変なことになってるよ!」
電話の向こうの朋美は開口一番で興奮気味に喋っている。こっちもまぁまぁ大変なことになってんだけど、と思いながらも
「どした?」
と話を促す。
「それがね、昨日あたしが見た名前の人たちが立て続けに怪我したみたいで」
「えっ」と思わず立ち上がってしまった僕を何事かと“魔女”さんが見つめる。
「昨日あたし、ヒトガタサマに書かれてた名前見ちゃったでしょ?気になって他のクラスとか、部活の先輩とかに聞いてみたの。そしたら、今日だけで二人怪我してるって。一人は授業中にカッターナイフで手をザックリ切ったらしくて、もう一人は登校中に交通事故に遭って……」
ゴクリと唾を飲み込む音がする。それが自分のものだと気づくまで少しばかり時間がかかった。
「なんかね、交通事故に遭った人。赤信号だったのに突然、車道に飛び出したみたいで。命に別状はないらしいんだけど、救急車で運ばれるときに『誰かに押された』って、そう言ってたらしいの」
スマートフォンを持つ手の、指先から体温が消えていくような錯覚を覚える。まったく知らない世界に突然突き落とされたようだ。なんだこれは。何が起こっているのだ。こんなの、ただの子供だましのおまじないじゃなかったのか。言葉が喉に詰まってなかなか出てこない。それにも構わずに朋美は話し続ける。
「あたしが昨日破ったからか、わかんないけど、あたしの友達は何もなかったみたい。でも、その友達のと今日怪我した二人のが先に留められてた三つだったらマジでヤバくない?……って、ねぇ、聞いてんの?ヨシキ?」
「ごめん、また後でかけ直す」
なんとかそう言って一方的に電話を切った。“魔女”さんが不安そうにこちらを見ている。さっきまで漠然と感じていた不安の正体が徐々に明確になっていく感覚があった。まるで霧が晴れるように。しかし、霧が晴れた先に途方もない闇が広がってるような。
なんとか、なんとかして思考を巡らさないと。何かが引っ掛かる。そして、この引っ掛かりはとても重要なものだ。どこだろう。違和感の正体を探し当てなければ。朋美は昨日なんて言ってたか思い出せ。
『あたしも昨日そこに行ってみたんだけど、マジであったのよ。それも三つも、だよ?ちょー怖くない?』
そうだ。一昨日の時点で三つあった、そのうち一つは朋美の部活仲間のヒトガタサマ、もう二つは今日怪我をした二人のだろう。断定はできないが、そう考えた方がいいように思える。そして、昨日の放課後に例の場所へ行ったら更に二つ、ヒトガタサマは追加されていた。
『遠巻きに見ただけで怖気づいちゃったから、恥ずかしながら逃げ帰って参りました!』
朋美はヒトガタサマが張り付けられた大木を遠巻きに見て逃げ帰ってきた。噂話を聞くのと、実際にその光景を目の当たりにするのとでは恐怖の度合いは絶対に違う。あいつは怖がりだから尚更そうだろう。遠巻きに見てそう認識できた、ということは。遠巻きに見てもそこに張り付けられているのが噂話で散々聞いたヒトガタサマだと認識できる状態にあったということだ。
『一人で行くのが怖いんです!言わせんな、ばか!』
そう。怖いんだ。そこまで怖がっているあいつが、昨日行ったみたいな日没ギリギリの時間にあの場所を訪れるだろうか。おそらく、昨日行った時間帯よりもずっと日が高いうちに訪れたのではないか。そして、まだ比較的明るいうちに、まち針で実際に木に留められているヒトガタサマを目の当たりにして、すぐに逃げた。臆病なあいつのことだ。数分、いや、数十秒とその場に居られなかっただろう。朋美がその場から逃げ去った後、日没までは十分すぎるくらいの時間があったはずだ。
あの新しく追加された二つのヒトガタサマは、一体いつ、あの木に貼り付けられたのだろう。
日が沈んでからあの真っ暗な裏山に続く石段をわざわざ上がって実行しにいくだろうか。いや、そういう気合いの入った人も、もしかしたらいるかもしれない。いるかもしれないが、もし仮に、日が沈む前に、それが行われていたとしたら。
『紙を木に留めてから三日後、陽が沈んだら成功だってさ』
呪いが成就する三度目の日没。
つまり、この場合の三日後というのは……。
「今日じゃないか」
知らず知らずのうちに思考が声になってこぼれ落ちた。そして、次の瞬間、全身が粟立つ。
安心しきっていた。まだ時間はあると。
窓の外を見る。今、まさに夕陽が西の山々に触れようとしているところだった。
頭の中で警鐘が鳴り響いている。急がないと、まずい。
考えるより先に、僕は走り出した。
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お金は好きです。