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あの日の居酒屋から愛を込めて

バンドをやっていた二十三歳の頃、今流行りの無観客ライブをやったことがある。

こんな事を書くと
「裕らくさんったら時代を先取りしてて素敵過ぎます。抱いてください」
と、メッセージが殺到しそうだから先手を打って言わせてもらうが、別に時代を先取りしたワケではない。
シンプルに人気と集客力が無さ過ぎて、結果として無観客になっただけだ。

当然ライブハウスのスタッフ以外は誰も居ないので、曲が終わっても歓声はおろか拍手一つ起きず、「ありがとうございます」と誰も居ない客席に言いながら

「一体、俺は誰に感謝しているのだろう」

と、頭を抱えて自問自答しそうになったので、最後の方は音楽の神様にお礼を言っていることにして自分を無理矢理に納得させた。

ライブ中、僕はガランとした客席を眺めながら、現実の二文字と、普段絶対に聴こえるはずのないライブハウスの換気扇の音が意外と大きいという事を知った。出来れば知りたくなかったんだけど。

その日の出演が全部終わり、ライブハウスの事務所でチケット清算をしているとブッキングマネージャー(ライブを企画する人ね)から

「作詞作曲は誰がやってんの?」

と聞かれた。

僕は「あれ?この人、本番前まで敬語じゃなかったっけ?」と思いながらも、おずおずと手を挙げ

「あ、一応、自分っす……」

と答えた。

「ふぅん……まっ、悪くはないんだけどねぇ……」

と一言だけ言って「お疲れさん」と明細書を我々に突き出した。


ライブハウスを出た瞬間、ドラム担当のメンバーが裏口付近に停めてあった自転車を蹴り飛ばしながら、
「偉そうに言いやがってあの野郎」
と毒づく。
「やめとけよ、あの人のだったらどうすんだよ」
と諫めても、「是非そうであってほしいっすね」と吐き捨てるように言うだけで倒れた自転車を睨みつけていた。

僕たちはそれから無言で駅に向かい、それぞれの路線のホームに向かうために別れたのだが、どうしても一人になりたくなかった僕は、帰る方向が同じだったギター担当のメンバーに

「お願いだから、朝まで一緒に居て。じゃないと死んじゃうから」

とメンヘラ彼女のようにしつこく食い下がり、お互いの家のほぼ中間地点にある居酒屋で安酒を呷ることになった。

下北沢のライブハウスで現実の野郎からボコボコに打ちのめされた夜、しけた居酒屋の片隅で、
「あー、売れてぇなぁ」
と呟きながら齧った、冷めて固くなったエイヒレ。

その味を、今でもよく覚えている。



noteで文章を書くようになって約十カ月が経った。
未だにnote編集部のオススメにも選ばれたことはないが、ここ最近立て続けに緑色の初期アイコンの方がフォロワー欄に追加されるようになった。
これは、おそらく、そういう事なのだろう。
単純に嬉しいし、有難い。noteさん、ありがとう。
飄々とやっているように見えるかもしれないが、どうせ書くからには出来るだけ読んでもらいたい、と思いながら今日も書き続けている。

僕は「自分が書く文章で生計を立てたい」という願望はない。
そりゃ、「あわよくば……」なんて気持ちがまったくないか、と問われれば些か答えに窮するところではあるが、僕にとっての創作というものは基本的には自分が納得できれば、そしてそれなりの反響があればそれでいい。
それに「あわよくば」なんて考えで出来るほど甘いもんじゃないって事も十分理解している。
属し過ぎず、離れ過ぎず、でも出来るだけ和気藹々と楽しく好きな事をやっていけたら万々歳かな。と。

でも、いろんなスタンスの方が此処には居るワケで。

もっと反応が欲しい。
もっとフォロワーが欲しい。スキが欲しい。コメントが欲しい。サポートが欲しい。シェアが欲しい。結果が欲しい。

そういう方も当然居ると思う。いろんな人が居るもんな。

気持ちはわかるよ。
僕も音楽をやっていた頃はその意識に随分と苦しめられたから。
お客さんも集められて、ライブハウスのスタッフとも仲良しで、笑顔も爽やかで、メンバーにちょっと可愛めのお洒落な女子が居たりする人気者のバンドを遠目に眺めながら
「あいつらなんかより、絶対に俺らの方が……」
って、いつも唇を噛んでいた。

でも逆に、どんなに凄い事をやってても、どんなに素晴らしいものを創作していても
「こんなに素晴らしいのに、なんでこいつら人気出ないんだろう」
なんて思うバンドも僕はたくさん見てきた。なんなら自分もそうだったんじゃないかと今でも思う。ちょっとだけ。いや、ちょっとだけね。

結局はタイミングと運と、あと大人の事情とか、そんな要素も多分に絡んでくるんだろう。そして、「良質な作品を生み出すだけ」ではない、その他の魅力っつーか、そういうのもあるんだろうな。

だからさ、要するに、上手く言えないんだけど、やっぱ我々はやり続けるしかないんだよ。不器用でも、笑顔を振り撒けなくても、ひたむきに良質な作品を生み続けるしかない。
「ちくしょう、今に見てろよ」って、自分を信じてやり続けるしかないんだよ。きっと。

僕はこの十か月間、自分が面白いと思う事を信じて書き続けてきた。
せっかく学園モノの企画をやっているので、それ方面で例えるならば、
教室の隅っこで、ひたすら自分が面白いと信じたことをやり続けていたら、たまたま意気投合した仲間が増えた、という感じで。

こう言うと仲良くしてくださっている皆様には失礼かもしれないが、僕はそれでクラスの中心になれたワケでは決してなく、ただ単に対角線上の隅っこに居た素晴らしい方々との、かけがえのない絆が生まれただけ。それだけの事だ。

こんなもんっすよ。僕なんて。

今、悔しい思いをしている人はいるだろうか。
今、落ち込んでいる人はいるだろうか。
今、うんざりしている人はいるだろうか。

何者でもない僕から、何者でもない貴方に言いたい。
貴方がやっている事はきっと間違ってない。
売れるとか、人気が出るとか、周りに支持してくれる人がたくさんいるとかさ。それもすごく素敵な事だけど。
でも、貴方が諦めきれない事があるなら、やっぱり、それは続けるべきだと思うよ。

音楽をやっていた頃からずっと大好きで、神様だと崇めていた人がこう歌った。

諦めきれぬことがあるなら、それはきっと良いことだ。

これをそっくりそのまま、貴方に送りたい。
そんで、出来れば、貴方さえ良ければ、そんな貴方と文章を通じて語り合いたい。一緒に酒を吞んで、メシを食って語り合いたい。

それは、かつて憧れていたような、有名な野外フェスのバックステージで大物ミュージシャン達と囲むケイタリングの食事なんかではなく。
勿論、メジャーレコード会社のお偉いさんや、どこぞの社長と囲む
「これ、どうやって食うんすか?」
っていうような格式高いフレンチとか、そういうのじゃない。

あの日のしけた居酒屋、狭い座敷の片隅で
「バイト始めて四日目の奴に焼かせたんか?これ」
っていうようなガッチガチのしょーもないエイヒレを齧って安酒を呷ってさ、馬鹿みたいに目を輝かせながら、

「あー、ちくしょう!なんか、みんながビックリするような、すげーもん作りてーな、くそー!」

って、管を巻いて。
そんで、始発が出る頃に駅前で肩を組んで、抱き合って
「じゃあ、また会おうぜ」
つって、それぞれの路線のホームに向かおうよ。

それでいいじゃんか。

それでいいじゃんかって、思うんだけどな。僕は。






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