全てのものは縁という関係性によって成り立ち、我もまた然り。その我を自己観察にこだわり凝視すれば、たやすく迷妄の道に迷い込むだろう。そこで生じるのが、我と仮定された妄想たる我と、観察者と仮定された仮初の私だからだ。我を知りたくば、日常で隣人との間に起きる事象を観察しなければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?