実に憎悪こそ、真摯に向き合うに値する感情なのだ。心が炎に焦がされるような憎しみ。それに向き合うことは、苦しく身を切られるようだ。その果てに憎しみの源が断たれる分けでもない。だがその煩悶の過程で、己がどのような人間なのか、その輪郭が明確になるのだ。

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