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性自認で悩んだ30年が、割と大事だった話

今回以降は数回に分けて、私が幼少期から「何かが違う」モヤモヤを抱えながら社会人になり、どうやって自分がジェンダーフルイドだと気づいたか、反対に言えばなぜそれ以前は気づきにくかったのかを簡単にまとめていきます。

今回は、どうしてこのプロセスをあえて書こうと思ったのか、です。

※ここに書かれていることは、全て個人の体験や見解です。ご了承ください。※


ジェンダーフルイドを自覚するまで30年かかった話

ジェンダーフルイドとは、自分の社会的性別(ジェンダー)が時によって揺れ動く、という概念を指します。

その在り方は多様で、性的少数者の中でも分かりにくく、見分けにくい(というか、おそらく当事者にとっても分かりにくい)ものであると思います。なぜなら「自分は女性っぽいと思う時もあれば、男性とも女性とも言えないこともある」といったように、時によってジェンダーが揺れ動くからです。

(ちなみに、私が現在、自分のジェンダーフルイドとしての特性をどう捉えているかは、第1回の投稿にまとめてあります)

私は社会人ですが、物心ついてからジェンダーフルイドを自覚するまでに、冗談ではなく、およそ30年かかりました。その理由は、ジェンダーフルイド自体が持つ特性と、自分自身の置かれていた環境にあったと思います。

今振り返るとたくさん悩んで失敗しましたし、正直もっと早く性自認に気付けていれば、避けられた失敗やトラブルもあると思います。

ただし、やっと自覚した性的少数者としては、この社会に無理なく適応しながら生きていくために必要なプロセスや知見が、この30年には詰まっていました。

「情報が簡単に手に入る」からこそハマった、性自認のドツボ

ジェンダーフルイドという言葉自体が語られるようになったのもごく最近のことです。

インターネットが発達し、特に先進国ではジェンダーの学問が進んだおかげで、性的少数者の中でも、性志向や身体的志向、恋愛志向といった多様な軸で、「ゲイ男性/女性(レズビアン)」「トランスジェンダー」「ノンバイナリ」「アセクシュアル」といったカテゴリが語られるようになりました。

私が性自認に気付けたのは、間違いなくインターネットで情報にアクセスしやすくなったことと、この時代に先進国に生まれたおかげです。ただし、それが逆にネックにもなりました。

どういうことかというと、「自分はどの性自認に該当するのか」を考える際、短時間ですぐに得られる情報が多くなりすぎて、時間をかけて自分の内面とじっくり向き合うプロセスを大事にしないと、むしろ情報に踊らされてドツボにハマることに長い間気付かなかったのです。

「性自認については、外に答えを求め過ぎない。むしろ、大事な答えほど、自分自身の状態を色々な角度から見てみないと出てこない」

このことは、私自身が悩み続けて得た重要な学びでした。というよりは、一通り探し続けてかえって分からなくなった後に、やっと「この方向じゃなかった」と気付いたのですけれども...…(遅い)。

世の中には、自分の生まれ持った性が男性で、趣味で異性装をする方(ドラァグクイーン)もいれば、生まれ持った性とジェンダーが完全に異なる方もいます。自分の身体の性は受け入れて、かつ同性を好きになる方もいれば、自分の身体の性とは異なる性が本来の自分で、愛する相手に性別は特に関係ない、という方もいます。

自分の場合は、さまざまなカテゴリの複数にときどき当てはまり、時にどれでもない、という現実が、まさに混乱の種でした。

早く気付くよりも、30年悩んだプロセスが重要だった

自分の性自認を見きわめようとするプロセスは、多くの性的少数者が経験するものだと思います。

自分が周囲と「何だか違う」と自覚したとき、自分が抱える「普通でない部分」が一時的な病気や妄想なのか、それとも自然に備わったもので、他の誰かも抱えているものなのか。その答えを得ることは、大人になって生きていく上で、少なくとも自分のメンタルの安定には必要なプロセスでした。(とはいえ、今の自分はここまで深く悩んだりはしません)

性的少数者については、さまざまなカテゴリーや分類が知られるようになってきました。ただし、ジェンダーフルイドの場合は「自分は一体何なのか。どのカテゴリに分類されるのか」と自問して、その回答が時によって異なるという現実を受け入れられないと「自分で自分の性自認を信用できなくなる」ジレンマに陥ります。私はというと、思い出せるだけでも10年以上はそのジレンマの中にいました。

幼少期から、私は自分の格好や振る舞いが周囲と違うことに何となく気付いていましたが、「自分の性が揺れ動く」という現実を受け止めることが最大のハードルでした。

「自然な自分は何がしたいか」を見極めて、じっくり検証する

特に10代や20代の早い時期は、自分のジェンダーや服装も含めた在り方を「なりたい自分」と「自然にある本来の自分」との間で冷静に分けることが難しくもあります。

自分が本当に性的少数者なのか、それとも時々、女性ではない格好や話し方をすることで現実逃避をしたいだけなのか。答えに辿り着くには、自分が意識して選んだこと、無意識に選んだことの両方と数十年かけて向き合い、長い時間をかけて検証するプロセスが不可欠でした。

その段階を乗り越えてジェンダーフルイドという性自認に気づいたことが、自分にとっては「必要なだけ社会に適応しつつ、かつ自分にとっても無理がない」生き方を見つけるためのターニングポイントになりました。自分が抱えがちだったモヤモヤについて「別におかしな状態や妄想ではなく、自然に自分に備わった性が、たまたま珍しかっただけなんだ」と受け止められるようになったからです。

失敗し続けたから得られた、メンタル管理のための「自分のトリセツ」

また、自分自身でたくさん悩み、失敗したことが、大人として社会に適応していく上でかなりのヒントになりました。

服装や振る舞い、職業を持って周囲と接する際といったことについて「自分次第で調整でき、自由に変えていいこと」や「気に留めておくべきだけど、場合によっては気にしなくていいこと」「この先の人生のために、むしろ気にしない方がいいこと」の区別を自分で付けられるようになったからです。

自分のメンタルを管理する上で、これは非常に重要な知見で、いわば「自分のための、自分のトリセツ」に当たります。他の誰にも作れません。

例えば、周囲に合わせられることは合わせる。合わせられないことは無理せず調整する。誰かに突っ込まれたら、うまく交わすか、しつこいようならその場を離れるか、やんわりクギをさす。大事な相手は混乱させないよう思いやり、必要なら自分で出せるヒントを出す。

こういった行動や判断の仕方を編み出したり、自分と他人の境界線をうまく引くために、30年間は必要な期間でした。

性自認が「今はわからない」人でも、むしろそれでいいのかも

これは別の回でじっくり書こうと思いますが、もしこれを読んでくださっているあなたが今「性自認が分からない」状態だったとしても、上のような理由で、個人的には今すぐ焦って決めようとする必要はないと思います。

むしろ、その「分からない」というご自分なりの結論を取り巻く理由や感覚に素直に向き合い、大切にしてあげると、また何か新しいことが見えるかもしれません(実体験)

ニッチな話題である上に、長々書いてしまいましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

それではまた。



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