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ジェンダーフルイドとして生きる(自己紹介)

こんにちは。
黒小木(くろこぎ)という名前でNoteを書きはじめました、首都圏で社会人として生きる者です。身体的性は女性として生まれ、大人になってから自覚したジェンダーフルイドです。

この投稿を開いたあなたは、ジェンダーフルイドという言葉、ないしはその言葉によって定義されるジェンダー(社会的な性別)に興味があるか、あるいは当事者であると思います。

もしもあなたが性的多様性、LGBTQ、ジェンダーフルイドといった言葉に違和感や疲れ、嫌悪を覚える人ならば、このページを閉じて、どうぞもっと有意義で幸せなことに時間を使ってください。

私はそれで構いませんし、そうした考えも多様性の一部だと思います。人生で使える時間は限られていますから、知りたくないこと、自分にとって本当に必要でないことは、わざわざ知ろうと努力しなくていいと私は思います。

「本当は大して興味ないけど、知らないと恥をかきそうだし、他の皆からイケてないと思われるかも」と思って開いた方も同様です。ご安心ください。まずそんなことはありません。ここから先に書かれているのは、性的少数者の中でもかなり少数派の話ですから。

私が書く話の大部分は個人的な体験や考えに基づくものであり、LGBTQやジェンダーフルイドの皆さんのそれを代弁するものではありません。自分の性をどのような形で意識し、捉えるかには本当に個人差があります。

それでも読んでみたい。そう思ったなら、どうぞ長文ですがお付き合いください。(言うまでもありませんが、無断転載はお控えください)

ジェンダーフルイドとして生きること

ジェンダーフルイドとは、生まれ持った身体的な性別に関係なく、自分の社会的な性別(ジェンダー)の自覚が時によって揺れ動き、一つに定まらないという概念を指します。

これだけ読むとまるで多重人格のようですが、個人的な実感としては少し異なります。時と場合、状況によって、自分にとって自然な振る舞い方や服装の性別が少しずつ異なる数パターンに別れており、その全てが素の自分なのです。

つまり「日によって少しずつ異なるジェンダーを生きる自分」が自然なので、そのどれか一つにパターンを絞り込んで、ずっと続ける、ということがむしろできません。

(ちなみに私の生まれ持った身体的性は女性で、そのことに違和感はありません。ジェンダーとは自分が社会で生きる上での役割を反映した性のことで、私の場合にはそれが揺れ動く、と考えていただくと近いかもしれません)

具体的にどういうことかというと、自分の自然にしたい格好を毎日するのなら、ある日はワンピースにメイクアップ(女性)、またある日はジーンズにボタンダウン、スニーカーにテーラードジャケット、メイクは眉を整える程度(やや男性寄りの中性)、といった風になります。

また、話す声のトーンや調子も、本当にその時の自分にとって自然な形で振る舞うと、時によって微妙に変わったりします。そこに誰かになりすます意図はありません。

けれど、一つのジェンダーを生きている人から見ると、私が幾つもの違う性を生きているように見えてしまうので、特に仕事で同僚や客先と会う際や公共の場でトイレに入る際(私の場合は、身体的性に合わせます)は、周囲に余計な混乱を与えないよう注意を払いながら、同時に自分も苦しくないように服装を調整しています。

逆に、一つのジェンダーに合わせた格好をし続ける、といったことが、自分にはとても苦痛になります。例えば、毎日メイクアップし、パンプスにスカートで通勤する、あるいはずっと男性的な格好だけをし続ける、といったことが、相当な違和感を生んでしまいます。

そのため、職業を選択するときは、髪型や服装を自由に選べるか、在宅でも仕事ができるかどうかがネックになったりします。また、仕事で客先と接する際は、誰にでも敬語を使い、服装はやや中性的になることが多くなります。相手に余計に混乱させず、かつ自分にも無理を強いずに済むからです。

自分がジェンダーフルイドという性自認にどうやら当てはまると気付いてきたのはごく最近の数年間のことです。この言葉自体が新しく、その実態が何であるかといった情報はあまり多くありません。

自分の社会的なアイデンティティにおいて、性別は大きな役割を果たしますが、その全てではなく、あくまで一部だと私は考えています。その一部が「日によって少しずつ異なり、揺れ動く」ことが自分にとっては普通ですが、世の中の大多数にとっては普通ではないらしい、と気付いたことが、私がジェンダーフルイドを意識するきっかけでした。

自分の立場や体験から言えるのは、これは決して「意識して複数のジェンダーを自分の中に作り出した」わけではなく、自分が大人になったとき、気がついたらそうなっていた、ということです。

人種や性の多様性が叫ばれるようになったこの時代ですが、私のNoteは、性的少数者としての権利を主張するものではありません。

その中でも少数派と思われる(あくまでも現在において、ですが)ジェンダーフルイドの当事者や、社会にはこんな人間もいることに興味を持つニッチな層の皆さんに向けて、私がこのアイデンティティを自覚した道筋や、社会に適応する上での考え方などを綴っていきます。

少数派の中の少数派の話ですが、もしもこの投稿が役に立った、参考になった、という方は、いいねボタンを押してください。それではまた。



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