ここに立つ。

 ずっとここに立っている。

 働いている時も、そうでなくなった今も。

 寄ってくるのは精々鳥くらいなもので、他には誰もいない。

 ただひたすら静かだ。

 俺は、ずっとここに立っている。

 ここに立っているのは、俺の意志じゃない。

「今日からはここがお前の居場所だ。立派に働けよ!」

なんてペシペシと叩かれながら、人によって立てられたんだ。こんなのっぽな俺を、よくもまあ簡単に立てる物だと感心する。

 そうして重い荷物を背負わされ、立たされ続けている。子供がバケツ持って廊下に立たされている訳じゃないんだぜ。立っている事が、俺の仕事なのさ。

 荷物、とは書いたが、実は俺一人で持っている訳じゃない。数メートル先には俺の同僚が、その先にも別な同僚が、ず~っと地の果てまで並んで立っている。その皆でいっせ~の、で持っている訳だ。

 人から見れば、細長いし大した重さじゃないだろう、なんて言うらしいが、とんでもない。全長500万キロメートルにも及ぶ物体が、そんなに軽い訳がないだろう?それを、俺らの頭の辺り、地上4.5メートルの高さで支え続けてるんだ。大変な仕事さ。

 俺の正体、大体察してくれたかい?

 そう、俺は電柱。町中に乱立している電柱の内の一本さ。

 俺が立たされているのは、小さな町。人口も少ないけども、だからといって俺たちが不必要な訳じゃない。俺は俺に与えられた仕事をこなすだけさ。

 道沿いに立てられた俺は、足下を忙しく歩く人たちを毎日見ている。

 おぉ坊主。今日も元気だな。これから学校か?頑張って勉強して来いよ!

 何だ、兄ちゃん。元気がないな。これから仕事だろう?胸張って行けよ!

 やあ、おばちゃん。買い物に行くんだな。いつも大変そうだね。

 もちろん声なんて出る訳がない。俺の事を気にかける人なんて一人もいない。誰も俺にそんな事を求めやしない。そりゃそうだ。ただの電柱だもんな。電線を維持してくれればそれで十分、御の字だ。それ以上の事なんて誰が期待するだろうか。

 せいぜい俺を目当てに来る奴なんてのは……あぁ、今日も来やがった。

 足下には生暖かい感触。立ち上るアンモニア臭。犬コロめ、俺をなんだと思っていやがるんだ。殴りつけに行けない自分の体がもどかしい。

 そうは言っても、電線を一緒に持ち上げる仕事というのは、大変だけども楽しい。誰かがサボれば皆に迷惑がかかる。だから与えられたこの役割を一生懸命頑張る。俺らは一歩だって近づく事はないけども、こうして電線でどこまでも繋がっている事を実感出来る。

 時々だけども、妄想するんだ。この電線の先にはどんな景色があるだろうと。見た事のない景色、人々、そして工場で一緒だったあの子。今は別な町で同じように電線を支えているはずだ。同じように……いかんいかん、ありもしないのに鼻の下が伸びてる気がする。

 俺がここに立ってから、10年経った。

 子供は成長していき、町を出ていく。年寄りは徐々に見かけなくなっていく。この通りを過ぎゆく人波は、確実に減っていた。

 そんな折りでも、俺は静かに人を眺めていた。

 おうおう爺さん、大丈夫かい?疲れたなら俺に掴まってちょっと休んでいきな。何、爺さん一人くらい支えられるさ。

 やあ、おばちゃん。買い物帰りかい?今日は少ないんだな。荷物が軽そうで何よりだ。ちょいと足取りが重いのが気になるけども。

 がきんちょ共め、俺に落書きをしていくなー!公共物だぞ!他人の財産だぞ!もっと大事に扱えぃ!

 ようよう、メンテのおっちゃん。この前落書きされてってさぁ。いつもすまないね、消してもらっちゃって。

 ヒューヒュー!兄ちゃん、告白かい?……ありゃ、逃げてっちゃった。ま、そんな事もあるさ。気を落とすなって!

 そんな毎日。ずっと続くのだろうとそんな風に考えていた。

 20年経った。30年経った。

 数えなくたって分かる。人はもう大分減ってしまった。子供がいない、老人すら減ってきた。俺は、俺の仕事を果たすことしかできない。

 そりゃそうだろう?電柱の俺が何を出来るっていうんだ。ただ立って、支えるだけ。この膨大な長さの電線を支えて、繋がりを維持する。それが俺の仕事。

 俺はこの町が衰えていく姿を、ただただ見ていた。

 40年経った。50年経った。

 この町は、もう誰もいなくなってしまった。比喩じゃない。名実共に廃村。

 人の気配の無い町というのは、おぞましく、寂しい。獣の気配だけが跋扈し、道も荒れ放題。徐々に緑没し、まるで最初からそうだったかのように草に覆われていく。人のいた気配も息づかいも、全て飲み込まれていく。

 ふと、遠くの町はどうなっているんだろうと考える。機能を失った電線の繋がる世界に思いを馳せるが、かつて見た程鮮やかには想像出来ない。電気が止まると同時に、遠くの景色も運んでくれなくなってしまったのだろうか。悲しくなる。

 その電線もある日ついに千切れ、その勢いで隣の電柱達は倒れていった。電線が劣化してしまったせいだろう。あれだけの重量物が突然失われると反動がすごいんだ。しかも皆、ガタが来てたもんな。お疲れ様な。……少しお前らが羨ましいよ。

 頭が妙に軽い。物理的に軽くなったからだな。これで俺が立っている意味も無くなった。だけども俺は自分の意志で倒れる事も出来ない。このままずっと、耐久年数寿命が来るまで立ち続ける事になるのだろう。

 60年経った。遂に寿命を迎えるべき時期だ。電柱の寿命は60年。ようやく、ようやく逝けるのかもしれない。

 思い返せば輝かしい時代なんて最初の10年ほどで、後はずうっと、何の役にも立たず突っ立っているだけだった。

 誰にも見られず、誰にも知られず、誰にも求められず。

 誰とも繋がらない日々。孤独に過ごした。

 そして今、人知れず生き残り、いつとも知れない終わりを待っている。

 早く終われ。早く終われ。俺という電柱の人生など、早く終われ。

 繋がりが途絶えた時点で死んでしまうべきだったんだ。誰とも繋がれない人生に何の価値があると言うんだ。

 早く終われ、早く終われ、早く終わってくれ……

 早く……

 ……イヤだ。

 イヤだぁ。イヤだよぉ。

 このまま俺は、きっと体がボロボロと崩れてきちまう。

 そういう風に出来てるんだ。

 たかが60余年の人生だ。

 誰かに求められて作られたのに、最後には誰の役にも立たないで終わるだなんてイヤだよぅ。

 俺は歩いたり、話したり出来ない。だから、誰かと繋がりたいなんて思っても何にもできやしない。繋がっていたいのに。誰からも見捨てられたくないのに!

 誰か、ここに来てくれ。

 誰か、俺を覚えていてくれ!

 誰か、俺に何かやらせてくれ!

 誰か、俺に価値をくれ!

 誰か、俺と繋がってくれ……

 そんな事を電柱が願ったところで、何が起こる事もない。

 いつもと変わらず風は吹くし、雨は降る。

 なまじ丈夫な体を呪いながら、俺はそれに黙って耐えるしかないんだ。

 それから更にどれくらい経っただろうか。

 久々に足音が聞こえる。足取りは覚束ないが、間違いなく人間の物だ。

 俄に心が躍る。何故ここに来たんだろう?もしかして、俺に会いに!?どんな人だろう!いや、どんな人だって構わない!俺を、俺を見つけてくれ!早く!

 随分焦らされた末、その人は現れた。杖をついてようやく歩いてるよぼよぼでしわくちゃの爺さんだ。分厚い眼鏡がずれる度に直し、ぜえぜえと息を切らせて歩いてくる。

 あぁ、爺さん。無理するなって。ほら、ゆっくりで良いんだ。ここにゃ車も来ないし危ない事はない。時間をかけて、な?あわよくば俺を見つけてくれよ! そう!そのまま真っ直ぐでいいんだ!

 願いが通じたのか、爺さんは俺を視界に捉えた。いや、はっきりと目と目があった。

「おぉぉ……まだ……まだ残っていたのかぁ……」

 絞り出すように、涙声で呟く爺さん。

「ふぅはははぁ……あぁ、残っていたのかぁ」

 辿り着く前にその場で笑い出す。いやいや、爺さん。そんな所にいないで早くこっちに来てくれ。そして俺の足下で休んで行ってくれ!な!?

 爺さんは、ようやく辿り着いた俺の足下に座って、ぺしぺしと叩きながら一人呟き始めた。

「お前は覚えているか、知らないけどな。俺はかつてこの町に住んでいたのよ。たくさんの人がいたなぁ。どれが俺だか、覚えているか? あの町のたくさんの電柱の一本でしかないお前だ、あの町のたくさんの人の一人だった俺が分かる訳ないよな。

 俺はなぁ。お前を探しに来たんだ。あの時と変わらないで立っていてくれている。嬉しいじゃぁないか」

 耳を疑った。探しに来た?俺を?こんな山奥までわざわざ!?何で!

「俺はな、かつてこの電柱の下で女の子に告白をしたんだ。学校から丁度20本目の、彼女と二人きりになれるこの電柱の前でな。

 精一杯の勇気を振り絞って、告白して。でもびっくりされて逃げられちまってなぁ。そりゃあもう、がっかりしたさ。

 どん底みたいな日々で、お前の事も見たくなかった。ここを通るのもすっかりイヤになっちまった。

 それからしばらくして、ちゃんと返事をもらったんだ。オッケーってね。それで、高校を卒業して、仕事を探しに都会に出てそこで一緒に暮らした。結婚して、子供も出来て、孫も出来て、幸せそうな顔して先に逝っちまった。

 俺はなぁ、おい。……幸せだったぞ? 嫁が太っておばちゃんになっても、皺だらけのお婆ちゃんになっても、俺にとってはずぅっとかけがえのない存在だった。

 そんな、嫁の遺言なんだ。俺も、そうしたいと思ってな。……少し痛いだろうが、堪忍してくれな」

 そう言うと、ポケットから小さなナイフを取り出して、俺を削っていく。

 痛い。文字通り身を削られる激痛だ。だが、構わない。誰かから求められる幸せの方が遙かに大きい。痛みすら幸福だ。

 ガリガリとしばらく削り続け、完成したのか一息吐く。

「出来た……すまんな、こんな落書きしてしまって」

 良いって。もう俺は公共物なんかじゃない。でもさ、俺の所からじゃ上手く見られないんだ。なぁ、爺さん。何を書いたんだ?教えてくれよ!

「相合傘って知ってるか? 二人の名前を、傘で挟んで書く。恋が上手くいきますように、ってなおまじないさ。『来世でも一緒になれるように、あなたが告白してくれたあの思い出の場所に願掛けしといてくださいね』だなんて、簡単に言うもんさ。はは。

 でも、これが一番良い。なんか、俺も自然とそう思えたんだ。まだ残っていてくれて良かった。ありがとう」

 爺さんはしばらくその相合傘を眺めてから、また元来た道を帰っていった。

 まだ傷口がヒリヒリと痛む。ここ数十年で一番痛い。

 だけど、それと同じくらい胸が苦しい程に痛い。

 嬉しい、なんて言葉では言い表せれない。数十年止まっていた感情が一気に溢れだして、一斉に流れ出してきている。今がどんな気持ちなのか、自分でも分からない。

 あぁ、繋がりはちゃんとあったんだ。

 今はもう誰とも繋がっていなくても、過去に繋がっていた事実はちゃんと残っているんだ。当たり前と言えば当たり前の話だが、自分の不遇を嘆くばかりで、今の今まで気付かなかった。

 この痛みは、事実だ。俺が誰かと繋がっていた事実なんだ。あの爺さんが、俺を求めて、役割を与えていってくれた。必要としてくれたんだ。

 孤独な状況は何一つ変わらない。だけど、孤独感はない。

 あの爺さんたちが来世で一緒になれるかなんて分からない。保証しろって言われたって出来るはずもない。でも俺が立っているだけで心が安らいでくれるなら、時折心を寄せてくれるのなら、それで十分だ。

 俺は、死ぬまで、ここに立つ――

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