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【心得帖SS】「ダンドリ八分」「仕事二分」

藤阪綾音、22歳。
現在とても、とても緊張しています。
と言うのも、人生初めての新商品プレゼンテーションを来週に控えているからです。

私が任されているのは、大住有希先輩が担当されている取引先向けプレゼンの中で、今回一推しの新商品を紹介するパートだ。
最初は既存商品の取組強化パートだったが、寝屋川慎司課長が「藤阪さんはしっかりしてるから、新商品も余裕で行けるでしょう?」というパワハラ…もとい、有難いご提案により変更された。
もっとも、有希先輩も長尾圭司主任も納得した顔をされていたので、私のプレッシャーが増した以外は大勢に問題は生じていなかった。
そう、私以外は…。

「有希せんぱぁい」
「どうしたどうした、情け無い声出して」
よろけながら倒れ込んできた私を有希先輩は優しく抱き止めてくれた。
「来週のプレゼン、上手く行くイメージが全然湧いて来ません」
元々多人数の前で話すのが苦手な私は、大学のゼミ発表会前にも極度の不安感に陥ることが多かった。
更に社会人として会社からお給料をいただくに見合った働きを等々考えているとズブズブ沼にはまってきたのだ。

「ふむ…タツヤ先輩」
何やら考え込んでいた有希先輩は、たまたま近くを通りがかった隣課の住道タツヤ先輩に話し掛けた。
「なんだ?」
「綾音ちゃんのピンチです。助けてくださいイケリーマン」
「ん、分かった。何をすればいい?」
「判断早っ⁈いいんですか?」
私はびっくりして思わず問い返してしまった。
ちらとこちらを見たタツヤ先輩は、ガリガリ頭を掻きながら照れ臭そうに言った。
「ユキが可愛がっている後輩ちゃんのピンチなら、手を貸すのは当たり前だよね」
(うわっ何このイケメン対応、そりゃあモテるハズですね)

「もう、またそんな調子のいいこと言って…」と言った有希の微妙にモジモジとした反応も気になったが、取り急ぎタツヤ先輩の助言を伺うことにした。


「藤阪さんは【段取り八分、仕事二分】という言葉を聞いたことあるかな?」
「…すみません、初耳です」
「ああ、別に謝ることは無いよ」
タツヤ先輩は爽やかに言葉を重ねた。
「これは、事前の下準備が完璧であれば、仕事の8割は完了したもの、という格言で、事前準備の大切さを説いているものだね」
「分かります、事前の準備は大切ですからね」
私が頷くと、タツヤ先輩は更に付け加える。
「もちろんプレゼンの資料や商品サンプルの準備も大事だけれど、【ココロの事前準備】もまた大切な要素なんだ」
「ココロの…事前準備?」
聞き慣れない言葉に戸惑っている私を見て、有希先輩が助け舟を出してくれた。
「綾音ちゃんは、良いプレゼンって何だと思う?」
「えっと…商品特徴を間違えずに伝えること、でしょうか?」
「うん、それも大切だね」
私の回答を柔らかく包んで、有希先輩はポンと1つの言葉を付け足した。

「私は、こちらが商品や企画の提案を通じて伝えたい【メッセージ】が相手にちゃんと届くことが、良いプレゼンだと思うのよ」

(メッセージ!)

わたしの中で、何かがパチンと弾け飛んだ。
胸の中から、どんどんムクムクと大きくなってくるものがある。
「どうやら、越えたみたいだね」
口元に笑みを浮かべている私を見て、タツヤ先輩は満足そうに頷いた。
「さて、藤阪綾音さん。あなたはこの新商品プレゼンにどんなメッセージを込めるのですか?」
「はい、私は…」


「藤阪さん、プレゼンとても良かったよ」
取引先のビルを出たあと、ニコニコしていた寝屋川課長がそう言って私を労った。
「相手の部長さん、君が新人と聞いて驚いていたよ。しっかりとした物言いをする優秀な社員ですねと言われちゃった」
どうやら課長がご機嫌なのは、部下の評価が良かったからみたいだ。
本当に憎めない素敵な上司である。
「これも、有希先輩とタツヤ先輩のお陰です」
「そぉよォ、もっと褒めて褒めて」
有希先輩のおちゃらけた態度で更に場が和む。


「では、このあとみんなで綾音ちゃんの初プレゼン慰労会に行きましょう。寝屋川課長宜しくお願いします」
「ああ済まない、残念ながら僕は不参加だ」
「ええっ、どうしてですか?」
「この間受けた【不健康診断】の結果が返ってきてね」
寝屋川課長は遠くを見てポツリと呟いた。
「奥さんに対して段取り八分にならなくて、飲み会プレゼンはあえなく撃沈したよ…」


「課長…ご愁傷様です」
肩を落としてフラフラと駅方面に向かう寝屋川課長を、有希先輩と私は哀れみの表情でそっと見送ったのだった。

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