見出し画像

サラリーマンを定年退職したオヤジの京都探訪【No.8 知恩院】

第8回は、祇園の知恩院!

(概 要)
知恩院とは
京都・東山三十六峰のひとつである華頂山のふもとに、大小数多くの伽藍がひろがる、平安時代末期(1175年)に法然上人が開いた浄土宗総本山です。
正式名称は華頂山知恩教院大谷寺といいます。
江戸時代、浄土宗を信仰した徳川家康公が、当寺を京都における菩提所と定めたことから寺領が拡大され、現在の大伽藍が築かれました。

知恩院三門

(歴 史)
法然上人は平安時代末期(1133年)4月7日、美作国(現、岡山県)で漆間時国(うるまのときくに)の長子(幼名:勢至丸(せいしまる))として生まれ、9歳で父を亡くした勢至丸は菩提寺で修学し、その後比叡山に登って剃髪し、天台宗の学問を修めます。

この時代は政権争いの内乱が相次ぎ、飢餓や疫病の蔓延とともに地震など天災にも見舞われた時代で、人々は不安と混乱の中にいました。
ところが当時の仏教は、厳しい修行をし自己の煩悩を取り除くことが「さとり」であるとし、貴族のための宗教と化し、民衆を救うものではありませんでした。
そうした仏教に疑問を抱いていた法然上人は、(1212年)1月25日に入滅するまで、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と声高くただ一心に称えることにより、すべての人々が救われると民衆に説きました。
その後、門弟たちが教えを引き継ぎました。

御影堂へと昇る石段

(みどころ)
『境内』
まず、敷地の広さにびっくりします。
三門をくぐり、御影堂までの石階段がすごい。
敷地内にシャトルバス
三門からみる参道の風景が気持ちいい

三門から見る参道
三門から見る参道拡大
知恩院境内全景

『法要』
知恩院では、毎朝、晨朝(じんじょう:卯の刻(今の午前6時頃)を指す)法要「朝のお勤め」から始まり、お昼の前に日中法要があります。
「晨朝法要」
ピンと張り詰めた空気の中で僧侶の作法、香の匂い、阿弥陀経のリズムが日本人の_DNAには妙に心地よく、日常では味わえない荘厳な雰囲気が堂内を満たします。健やかな一日を送りたい人には相応しい朝がココにあります。
(おあさじ)と呼ばれています。
「日中法要」
お昼の前にみ仏さまや法然上人に食事(御霊膳・霊供膳)をお供えし、おつとめをします。(おにっちゅう)と呼ばれています。

場所は、御影堂。
晨朝法要の開始時間は月によって異なり、5時半、6時、6時半から約1時間。日中法要の法要時間は午前11時~11時45分頃まで

御影堂

『知恩院の七不思議』
知恩院に古くから伝わる七不思議を現地にて探してみてください。
七不思議1鴬張りの廊下 -仏の誓い
七不思議2白木の棺 -不惜身命
七不思議3忘れ傘 ―知恩・報恩
七不思議4抜け雀 ―心をみがく
七不思議5三方正面真向の猫 -親のこころ
七不思議6大杓子 -仏のすくい
七不思議7瓜生石 -はげみ

『知恩院の宝物』
①知恩院は48巻にも及ぶ法然上人の伝記「法然上人行状絵図」(国宝)
②鎌倉時代の浄土教絵画の代表作「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(国宝)
③釈迦の入涅槃の前後を題材とし、母胎内に於いて10ヶ月間説法をするという経典「菩薩処胎経」(国宝)
知恩院が所蔵する古写経の中でも特に著名で、世界最古の伝世写経といわれています。
④平安時代の聖徳太子の伝記で、太子伝としては最古のもの「上宮聖徳法王帝説」(国宝)
⑤南宋時代の「宋版一切経」(重要文化財)
ほか、数々の美術品を所蔵しています。

敷地内を走るシャトルバス 積極的に利用しようね
付近のコンビニで水分補給

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

53,860件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?