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僕をハゲるほど怒ってくれた恩師の話


最近、母校の同窓会があった。正直日程の都合上、行けるか行けないか微妙なところだったから連絡も出来てはいなかったのだけれど、最後まで参加の是非を待ってくださった運営陣の方々には頭が上がらない。

ちょっと前に、テレビ番組で「金八先生の教え子と、金八先生が共演する」みたいなバラエティを観た。リモコン取り合いの罪で妹と裁判に掛けられるほど、高校生まではかなりのテレビっ子だった僕だが、一人暮らしを始めてから熱が冷めてしまった。最近は妹がつけたテレビの画面を後ろからふ〜ん、と眺める程度だ。当然そこに争奪戦はないし、なんならテレビのあるリビング全体の居住権も妹の手の中にある。

だが、このテレビ番組はなんだか見入ってしまった。

金八先生、と言っても実はほとんど見たことも無いドラマだが、その先生役だった武田鉄矢さんが、かつての教え子役の俳優さんやタレントさんにコメントしていた。ドラマの中だけの関係、と思っていたが、そりゃ実際にも演者としての「先生」みたいなところもあったのかな、などと推測してみる。
かつての生徒さんからすると、なかなか金八先生は怖かったようで、まさに「熱血教師」であったらしい。ほんとかは知らない。それさえも演じているのだとしたらほんとに知らない。

さて。また自分語りで恐縮であるが、僕は地元の小学校を卒業してから、家からかなり遠い中高一貫校に通っていた。田舎とも都会とも取れない丘の上にある赤レンガの建物は、僕たちにとって6年間通った学び舎である。

なんというか。僕は入学当初、わりと優等生、というか

「あまり問題を起こさなさそうな」

生徒だったように思う。自己評価が高すぎるかもしれない。まあ過去のことなんて美化されるものだろ。
田舎から1人で上京(では全くないが、当時の僕にしてみれば衝撃的な都会進出だった)してきたイモ臭い男の子。柔道を幼稚園から5年ほどしており、礼儀だけは厳しく指導されていた。目上の人を考えなしに尊敬する心は一応持ち合わせていた。

だが、中学2年の時に転機が訪れる。初の生徒会選挙である。

他の発言力の強い友達に比べ、あまり目立つこともなかった僕だったが、たまたま中学の生徒会長に当選した。

もともと人の前で話すことは苦手だった。でも、同時に苦手を少しずつ慣れで押し殺していく感覚は快感じみたところもあった。

周りの友達、後輩には基本的に絶賛された。


もちろん妬みに嫉み、批判、中傷もあったはずだがあまり僕の耳には届かなかった。もちろん僕の1番近くにいる周りの人達が、僕に配慮して話していてくれたのだと思う。
何をしたって、誰にも何も言われない。

だからこそ、僕は有頂天だった。

しかし高校生になり、学年団がほぼ全員入れ替わった。
中高一貫校のはずなのに、全く知らない先生ばかりの環境。ほぼ違う学校に入ったみたいだった。
初めて名前を知った先生が担任になった。彼の話し口は「The 賢い人」みたいな感じで。少し怖いな、と思った。

高校1年の秋、僕は高校の生徒会長になった。挨拶やスピーチをする機会もこれまでとは段違いに増えた。

上手くやっているつもりだった。


中には「ウケない」スピーチもあった。当時の自分にとって、それは失敗だった。あの頃は「ウケるかウケないか」「面白いと言われるか、つまらないと言われるか」を軸に生きていた。

だって、つまらないと思われたスピーチは、聞いてすらもらえないんだ。

今でも鮮明に覚えている。冬のスピーチだった。生徒会長になりたての、寒い朝。
僕はいつものように「おもしろい」と自分が思い、尚且つ「なんとなく、自分が思っていること」を伝えられるようなスピーチをしようとした。校則に対する考え方、を基調とした話だった。

大スベリだった。


何がダメだったのか、自分ではわからなかった。

友達は「いつもと違う感じでよかったよ!」と言ってくれた。でも、やっぱり観衆───この表現はたぶん正しくない。でも僕は当時、自分の中でそう呼んでいた───の反応は正直だった。
この時ばかりは、さすがに「しょーみ意味わからんかったわ」という言葉も、直接ではないにせよパラパラと聞こえた。傷ついた。

その後、先生に呼び出された。とてもかしこい、担任の先生。

めちゃくちゃ怒られた。


ひたすら謝った。何が悪いのかもわからず、ひたすらに。でも、心の中では「なぜ僕が怒られなければならないんだ」とも思っていた。

だって僕は、頑張ったんだ。

その後、当時の学年団のボス的な先生がやってきて、怒られた。
「イケてない」と言われた。
それが終わったら次に、僕を中一から指導してくれている先生がやってきた。慰めてもらえるのかと思ったら、やはり怒られた。

そして、怒られ疲れて、フラフラの状態で部活へ行った。
当時の僕にとって「部活動」とは神聖な場所で、そこでは「生徒会長」という肩書きは忘れようと決めていた。柔道部の一員として、畳の上には立っていたかったからだ。
気持ちを切り替えよう、と思って準備として柔軟運動をしていた。
そうしていると、柔道部の顧問の先生に呼ばれた。
顧問の先生も中一からずっと僕たちを指導してくれていた方で、僕の悪い所も良い所も全てわかっているような、そんな人だった。

みなさんもお察しの通り、怒られた。在学中後にも先にも、僕が本気で彼に怒られたのはこの1度きりだった。
ひとしきり怒られたあと、諭された。

「舞台上で飾らんでええねん、普段のお前を見てくれてる人がいる。普段のお前は十分尊敬されるに値する。それでええやないか。」

反省した。この言葉を何度も反芻した。
本当に僕は悪いことをしたんだ、と思い知った。

この一件のあとも、先生方に僕は何やかんやと怒られ続けた。理不尽だと、そう思うこともあった。
僕はあまり生徒会長の先輩方が怒られているのを見た事がなかった。それは後輩も然りだ。もしかしたら僕の知らない場所で怒られていたのかも。いや、どうだろう。僕ほど怒られているだろうか。まあ、何にせよ何の自慢にもならない話ではある。

とにかく、僕は高校3年間怒られた。

その時は確かに辛かったが、今となってはありがたいとも思える。
怒るという行為は、とにかく体力を使うのだ。
途中でも坊主になった。僕の同期も坊主になっていた。坊主にする時さえも怒られていた。

まったく、今思えばよく怒られた学生生活だった。
大学生になった今、もはや怒ってくれる人などいない。いるとしても、大概は自分のストレスをぶつけているようなことばかりだ。

素晴らしい師には、怒られているうちが華だ。
久しぶりにお会いした同窓会ではさすがに怒られなかった。今まで、ありがとうございました。

僕の恩師に、敬意と愛をこめて。


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