栗林寿樹

ものを書いたり、写真を撮ったり、海に飛び込んだり。サウナに行ったり、バイクに乗ったり、挨拶をしてみたり。

栗林寿樹

ものを書いたり、写真を撮ったり、海に飛び込んだり。サウナに行ったり、バイクに乗ったり、挨拶をしてみたり。

マガジン

  • なんでもない日々

    日常についてのお話です。

  • 大学では

    大学生活で感じたことなど。

  • 旅の備忘録

    旅行や、ちょっとした遠出の記事をまとめています。

  • 舞台上の

    緊張しいのくせに、スピーチばかりしていたときのこと

最近の記事

君たちの青春は君たちだけのものであって。

畳まれるテントの音。 夜の色を迎える橙の提灯。 だんだんと歩みを遅める人達。 静寂を切り取るように、地面を擦るブラシの音が響く。昼間の喧騒がなんだか嘘みたいだ。 眠りにつこうとする建物たちを横目に、まだまだ走り回るジャンパー達。 寂寥と虚無が押し寄せてくるようで。 美しく儚げなこの瞬間は、あまり好きではない。 久々に、祭りの最後に立ち会った。 こんなことなら、最終日になんて行くんじゃなかった。どうして初日や中日に行かなかったんだろう。いや雨が降っていたしやはり今日が正解か

    • 九龍城と八戸ノ里

      ようやく秋が来てくれた。 大変いい気候で助かる。そうだ、助かるといえば「ありがとう」の代わりに「助かる」を使うことが僕は多かったりする。それいいね!私も使おうかな、と電話口で告げる彼女には未だタジタジである。まあでも、ありがとう、はたくさん言ったほうがいいよな。助かるもいいけれど。これは自省である。 さて、前から少し間が空いてしまった。どうやら僕は生活に一息つかないと中々筆が乗らないようで、この2ヶ月はそこそこてんやわんやしていた。 書を捨てよ、町に出よう、 とは存外使い

      • だとしても、あれは間違いなく青春だった。

        おせえ。あまりにも遅いし、もはやそんなこと誰も覚えていないかもしれないけれど、僕だけは覚えているので、久しぶりに筆をとって━━いつも通りけたたましい音でキーボードを叩いて━━みることにする。 さて。 社会人は案外おもしろい、などと少し前に綴った。けれど休みはもっと楽しいし、同期たちは僕が想像していた10倍は心の支えになっているし、会えただけでびっくりするほど嬉しい。 まだ到底追いつかなさそうなかっこいい大人も、目指すべき先輩の背中も、敬愛する師匠たちの眼差しも、間近で見て、

        • 別にしっかりなんてしなくていいから、どうか笑って、家に帰っていて

          妹が二人いる。 僕の2つ下の我が家の長女と、8つ年の離れた次女。 長女はしっかり者で真面目、控えめで穏やか。 というのが、下馬評らしい。妹の友達が言っていたことを競馬の用語で表すのは些か気が引けるものではある。 控えめで穏やか?そんなの嘘である。 前にも書いたかもしれないけれど、僕は元来人見知りで、実に小心者という言葉のよく似合う少年時代を過ごした。 我が家はかなり女性が多く、母にも父にも「姉」がおり、いとこも女の子だけ、おまけに父も祖父も口数は少なかったので、それはそ

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        記事

          君たちは理不尽に慣れる必要なんて、ない。

          新卒社員、として社会の海に開け放たれてから早2か月が経過した。ここは学校という広いのか狭いのかわからない水槽より、そんなにせわしなくはない。大学は社会の縮図ともいうから、水槽より生け簀とか、そういうののほうが、正しいのかも。 大前提として、社会人は君たちが思っているほど、そして昔の僕たちが思っているほどつらくなんてない。案外、楽しいものだ。 もちろん疲れることはあるけれど、達成感は学生の時の比ではない。その上お金までいただけるし、今までの自分1人では絶対にしないようなことだ

          君たちは理不尽に慣れる必要なんて、ない。

          貧乏旅行なんて、バカの一つ覚えみたいに行けばいい。

          日常は最も愛すべきものかもしれないが、非日常だって愛でるべきもの。 学生時代の同期がどこで何をしているかなんて知ったこっちゃない。ないが、どうか元気でいてほしい。元気にしているのならそれでいい。別に連絡はいらない。あ、でも6月25日の誕生日くらいは連絡してほしい。もちろんこれは僕の誕生日である。 たのしかったよな、みんな守銭奴みたいにして切り詰め倒したあの旅行。 大学ではよく旅行へ行った。そのほとんどは国内だけれど、全く後悔なんてしていないし、それでよかったとも思っている。

          貧乏旅行なんて、バカの一つ覚えみたいに行けばいい。

          土日のために平日があるとまでは言わないけれど、人間は遊ぶために生まれてきたというのには賛成。

          突然の告白だが、猫ミームが大好きだ。ちょっともう時代遅れかもしれない。あんまりにも好きすぎて、一日中ひたすら見ていた時期もあったので、大概の猫ミームのモノマネは出来るようになった。しょうもない特技なことこの上ない。そろそろ流行は下火だとは思うが、それでもなお必ず新作が出るたびに視聴しているシリーズがある。とあるイラストレーターが美大時代の話を猫ミームに乗せて動画にしているのだが、これが笑いあり涙ありの傑作揃いなのだ。そんなものばかり見ていると、やはり自分も創作欲にかられ、また

          土日のために平日があるとまでは言わないけれど、人間は遊ぶために生まれてきたというのには賛成。

          たぶん、小雨が薫るこの春の始まりの数日間を、僕は一生忘れない。

          2024年4月1日。 僕は晴れて、新社会人となった。コロナウイルスがまるでおとぎ話くらいになるには少し早いくらいの春が明けた。 期待半分、いやいやもう少しくらいか。大部分は期待だった。もちろん。けれど、やっぱり不安だってあって。 大概の新生活なんて、そんなものなのかもしれないけれど。 住み慣れた山々に別れを告げ、穏やかな海の見える街へ引っ越してから早1週間。 僕はその街からも遠く離れた、大都会にぽつりと立たされていた。 東京行きの二枚切符。新幹線。指定席。 激安深夜バス

          たぶん、小雨が薫るこの春の始まりの数日間を、僕は一生忘れない。

          あなた達に出会えたことが、間違いなく僕の大学生活のハイライト。

          箱根へ行った。ずっと行きたかったんだよね、箱根。なんかかっこよくないか?軽く箱根へ温泉にでも行く、なんて字面。大人みたいでさ。こういう考え方は相変わらず子どもっぽいとも言えるだろうけれど。 2023年冬。 一通り大学での行事‥大学祭やら、授業やら、免許取得の手続きやらを終わらせた僕だが、とにかく「前からやってみたかったことやってみよう!」というわけで、ヘンテコ長期旅行に出掛けることになる。  スノーボードが楽しくて雪山に通い詰めたり、1人で北欧のサウナに入りにいったり、台

          あなた達に出会えたことが、間違いなく僕の大学生活のハイライト。

          祭の残り火 ~生駒祭を終えて~

          2023年11月4日 19時。第75回近畿大学大学祭実行委員会本部。 ただ木の看板を扉前に立てかけただけの、ただの部室の中で、僕たちは天井を仰いだ。 学祭が、終わった。 僕たちの4年間は、幕を下ろした。 2020年。 東京オリンピックが開催されるはずだった年に、僕たちは大学へと入学した。 キラキラしていて、大人たちが口をそろえて「そら楽しかったよ」と言う、大学生活。 そんなものは、一瞬で、さも当然のように、吹き飛んでいった。 2年次に初めて「大学祭」を経験した。僕はこの

          祭の残り火 ~生駒祭を終えて~

          橙の提灯と秋の足音。

          祭りの季節が、今年もやってきた。どの季節が好きか、という質問には秋と答えるようにしている。 気温的にも過ごしやすいし、茶色やワインレッドの服もなんだかかわいいし。 そして何より、お祭りがあるし。 小さい頃から人混みは苦手なくせに「お祭り」は好きだった。お祭り特有の高揚。 なにやらその場にいるみんながニコニコしていて楽しそうで。 夏祭りも確かに素敵だ。花火大会、盆踊り、納涼祭。けれど、僕は秋の祭りが好きだ。 さて。僕にとってのお祭りは、今年も、性懲りも無く、大学祭なわけだが

          橙の提灯と秋の足音。

          隣に立ちたいと言ってくれた彼に、常に背中を見せ続ける為に。

          柔道、書道、生徒会。中学受験戦争を乗り越え、意気込んで入学した割に、中高僕が心血を注いだのは勉強ではなくそれら課外活動だった。あまりに楽しかったのだ。 基本的に後輩には好かれていた(と思う)。 生意気度マシマシだった僕は後輩ぶる、ことが苦手だった。運のいいことに─或いはとても悪いことに─柔道部では一つ上の先輩が1人もおらず、書道部は自分で立ち上げた為そもそも先輩がおらず、生徒会は学年ごとで活動することが多かった。よって先輩と触れ合う機会がほぼなく(それでも仲良くしてくださっ

          隣に立ちたいと言ってくれた彼に、常に背中を見せ続ける為に。

          母校に、5年ぶりに通ってみて・最後の終礼にて

          高校時代、大好きだった場所。 浪人時代、もう行きたくないと思った場所。楽しかったことも、辛かったことも、やはりここに来ると昨日のことみたいに思い出してしまう。奈良の「ド田舎」で生まれ育った僕にとって、中学から進学した大きな中高一貫校はもはや豪華な城のようなものであった。 全然王寺(学校の最寄駅)なんて都会じゃないのにね。 教育実習に行った。別に教師になりたいと切望したわけではなかった。けれど、大学でできることはすべてやろうと入学時に自分に呪いをかけたおかげで、ずいぶんと

          母校に、5年ぶりに通ってみて・最後の終礼にて

          今日は、それを聞けて本当に、嬉しかった。

          バカなことを、大真面目にやろう。 澄み渡るような空の青と、照りつける太陽に生い茂る人工芝の緑、そして自治会ごとに振り分けられたきみたちのTシャツやスカーフ、ハチマキの色、色々。 もうこの先、運動会をすることなんて、ない。たぶん。 今日は教訓があるわけでも、説教でも、なんなら伝えたい確固たるものがあるわけでも、ない。ただ今の気持ちを文に起こしておきたいだけです。 よく考えたらいつもそうか。 大学生で運動会をすること。 これは、そうあることじゃない。でも、そう珍しいこと、

          今日は、それを聞けて本当に、嬉しかった。

          引き継がれることの美しさと、塗り替えられることの儚さと。

          先日、僕の(所属する)団体が主催するイベントがあった。一年前、僕が「司会」を久しぶりに務めさせてもらったイベント。 正直、僕はスピーチをするよりも司会として誰かのコメントを茶化したりする方が、本当は向いている気はしているんだけれど───まあそれはいいか。 普段、まじめくさったことばかりをしている僕たちだが、たまにはお遊び(とかいうと、またどこかから怒られてしまいそうなのでリフレッシュ‥とかいう言葉も使いたい)も必要である。 よく遊び、よく学んでいきたいものだ。 さて、現在

          引き継がれることの美しさと、塗り替えられることの儚さと。

          子どもと、若者の狭間。

          ありがたいことに、こんなものばかり書いている僕だが、今日付で23才となった。 祝ってくれたみんなには感謝ばかりだ。全員大好きです。いつもありがとう。 大学を卒業しても、どうか仲良くしてほしい。 まあ別に卒業したら遊ばないよ、という人は卒業まででいいし、引退まででもいいから写真くらい撮ってほしい。 さすがに23程度でオッサンだとか言うのはむしろ粋がっているというものだと思うし──だから僕に限らず少し大人ぶった輩をおじいちゃんだとか言うのは片腹痛い話である──まだまだ青二歳で下

          子どもと、若者の狭間。