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見つめ直し。

一人暮らしデビューをした時、料理・洗濯・掃除など、わかりやすい家事だけでなく、印鑑や書類の管理、配達物のスケジュール管理など見えづらい家事まで自分でこなすことになり、これまで「お手伝い」で行っていたものが、「やらなくてはならないもの」、「こなさなくてはいけないもの」に変わりました。
頭で把握することと、実際に自分事になることは大きく違います。
大きく違うんだろうな、と思っていてもその想像を超えてきます。

「当たり前が当たり前ではなくなる。」、よく使われる言葉です。が、もしかしたら、話者や筆者の感じ方は聞き手や読者の感じ方と少し異なるのかもしれませんね。

さて、今日はプレゼンテーションをきっかけに自分を見つめ直した話。「当たり前が当たり前ではなくなった」経験について、思うがままに書いてみようと思います。

プレゼンテーション。中高生の発表から会社の商談、しまいには大学入試や面接にさえ使われるこの方法ですが、みなさんは得意ですか。
僕は得意です。すごく緊張して、演台や机の下では足が震えているのですが(足が見えてしまう場面では歩きます笑)、プレゼンを終えると、褒められていることが多いです。想定質問まできちんと準備する時もあれば、即興でプレゼンをする時もあります。
もちろん話やスライドの順序を工夫してロジカルな構成を作ること、相手のリアクションを見て具体例を変えるなど柔軟な対応をすること、ユーモアを交えることなどプレゼンをする上で大事なことはたくさんありますが、結局は自分がどれだけ自信をもっている(ように見せることができるか)かが重要なんでしょうね。これについてもいつか書きたいですね。。

プレゼンが得意らしい僕は、ある日シンガポールでグループプレゼンテーションをするという機会に恵まれました。内容は論文を数本読んでそれに関連づけながら、プレゼンをするというもの。
日本では、時にプレゼンの役割分担を決め、時にロジックを整理し、時にグループメイトのプレゼンを作り替え、、、、などグループに合わせて、グループに欠けている部分を補うようにグループメイトとプレゼンを作り上げていました。
そうです。「グループメイトと作り上げていた」のです。
シンガポールでは、論文の理解も劣り、ロジックの整理などプレゼンの構成力も劣り、プレゼン当日の柔軟な対応なんてもってのほかです。
そうです。「グループメイトとプレゼンを作り上げている」感、ひいては「自分がグループに貢献できている」感がなかったのです。

初めての体験でした。

一部は自信のなさからくるものでしょう。でもそれ以前に自信を裏付けることが出来ないほどの、自信があるように振る舞うに値しないほどの、能力のなさを痛感したのです。

日本でも自分より優れたプレゼンをする人はたくさんいて、何度も真似をしてきました。グループプレゼンでも同じで、自分よりもプレゼンが上手い人がいたら、その時はその人をサポートする形や自分の得意な役割で乗り切り、後にその人の真似をして学んでいました。
しかし、シンガポールでは自分が思いつく限り全ての役割で誰かしら自分より優れた人がいました。ロジカルな構成を組んだり、自分より良いアイディアがより短時間で出たり、それを自分より上手く伝えたり、、、、少なくともその時の僕には文字通りぐうの音も出ないように感じられました。

当たり前が当たり前でなくなった瞬間でした。
一人暮らしの時と同じで、今の僕やみなさんが思う以上に無力感に苛まれてたと思います笑

無事にプレゼンを終えた僕ですが、実はプレゼンを終えた後、少し次のプレゼンが楽しみでした。日本では感じることのできなかったこの無力感。次のグループプレゼンテーションで、「自分はグループにどんな価値をもたらすことが出来るだろうか。」、「自分はどのようにグループに貢献することが出来るだろうか。」と考えるようになりました。
グループプレゼンでの無力感をきっかけに自分について見つめ直すようになったのです。
良い気づきでした、良い苦労で、良い試行錯誤でした。

当たり前が当たり前ではなくなった瞬間は、もしかしたら圧倒的な成長と表裏一体なのかもしれませんね。

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