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グループに加入する意味 ~【櫻坂46】新メンバー募集と卒業の狭間で~

実際に直面してしまうと、やはり寂しいのが「卒業」である。
改名後、しばらくグループの構成に変化がなかったことから、いつまでも続いていくと思っていたのだが、1周年を過ぎたあたりから、急激な変化が訪れている。
それでも、年月を積み重ねているため、卒業メンバーの影は、まだまだ残っているのが実状である。
運営側も、いることが当たり前であったため、なかなか切り替えられていない様子が窺える。
それでも、公式サイトやTwitterであれば、ファン向けの告知が中心であるため、卒業したメンバーの情報があがっていたとしても、それでマイナスになることは全く無い。
むしろ、「まだ直ってませんよ~」と言いつつ、ファン側も「痕跡」を見つけて、楽しんでいるはずである。

それにしても、若くて光輝く年頃をグループに捧げ、グループのために活動している様子をみると、その健気さに思わず、熱いものがこみ上げてくる。
自分に置き換えてみればわかるが、中高生の頃に一大決心をして、プロとして活動することが求められるという状況は、なかなかに過酷な環境である。
それでも、グループに入ることで、一人で芸能の大海原に出ていくことに比べれば、少しは緩和されているとはいえ、急に世間の目に晒され、大人たちの中で仕事をしていかなければいけない、というのは相当なストレスだろう。

それでも、味方とも言えるファンの応援を受けながら、活動を続けていくことになるため、彼女たちにとって、ファンの存在は非常に大切であるようだ。
グループで活動することは、一人で矢面に立たなくて良いという面があるが、メンバー間でファンを獲得し合うという新たな試練に直面することになる。
加えて、グループとして活動することで、一部のメンバーばかりに注目が集まり、それ以外は、どうしても「誰が誰だか・・・わからない」という評価をされてしまうということも多い。
櫻坂46は、まだ20人くらいに留まっているため、まだまだ顔と名前が一致する可能性が高いが、もう50人以上となると、すぐには覚えられないだろう。
と言っている自分も、欅坂46にはまる前は、全く同じ状況だったのだが、すごいもので、興味があり、好きな対象となった途端に、グループ全員はもちろん、それ以外の坂道シリーズのメンバー名くらいであれば、フルネームで言えるくらいになってしまっている。
そうなってくると、出身地や誕生日、血液型、おおよその身長をはじめ、趣味や好きなこと、得意なスポーツなど、どんどん情報量が増えてきている。
どんな趣味でもそうだが、好きなことは放っておいても、実に苦も無く、知識や情報が蓄積されていくことは、誰しも経験したことがあるだろう。
自分にとって、櫻坂46や日向坂46は、まさにそれである。

オーディションを経て、それまで一学生として生活していた状況から、いきなりエンタメの世界で活動することが要求される。
歌やダンスなどが未経験であった場合、プロのレベルとなるまでには、相当なレッスンを重ねる必要があるはずである。
グループとして活動していく期間が長くなれば、その積み重ねも相当なものとなってくるため、プロの目から見ても、かなりのレベルにまで到達するようになる。
もちろん、プロとして活動している限りは、入ったばかりの頃でも、一定レベル以上のパフォーマンスや振る舞いが要求される。
そのため、加入することは、一種の「就職」である。
先日、理佐さんの卒コンの舞台裏で、山﨑さんが「明日から、職場で理佐さんと会えないかと思うと・・・」という発言をしていた。
運営側の教育が徹底しているのだろう。高校生の山﨑さんが、しっかりと「職場」であるという認識をしているのが素晴らしい。
それでも、歌やダンス未経験のメンバーが、少しずつスキルを上げている様子を観ることことができるのは、「学校」の授業参観や発表会を観に行く感覚に似ている。
他国のアーティストは、完成された姿を見せるのみだが、日本では、若いメンバーが中心のグループは、成長の過程もエンタメとして提供するスタイルがとられることが多い。
これは、文化的背景と観客側の好みが大きく関係しているのだろう。
パフォーマンスする側に、「プロ」という要素と、「学校(未完成の状態からの成長)」という要素が混在しているため、それを鑑賞する側の意見も、大きく分かれてくるのが、日本流と言えるのかもしれない。

グループで活動をしていく中で、より自分に適した道を見つける場合も多いだろう。
また、やってみることで、この道では無かったと気づいてしまうこともあるだろう。
プロとして活動していく中で、「自分の進むべき道」あるいは「進みたい道」を発見することは、どの分野にいたとしても直面することである。
グループに「就職」した彼女たちが、そこを離れ、違った道に進もうとした時、普通であれば、「転職」「転社」という言葉が使われるところであるが、何故か、「卒業」という言葉が使われる。
別れを表現する言葉の中で、もっとも穏やかで「円満退社」をイメージさせるものとして、一番しっくりくる言葉といえるだろう。
「卒業」という言葉が使われるようになる前は、「引退」「脱退」「解散」など、少々物騒な言葉が使われることがほとんどであった。
日本では、戦争に負けたことを「終戦」と表現するように、余りにも衝撃が大きな出来事に直面してしまった時、少しでも穏やかな言葉で、それを表そうとするところがある。
ファンにとっては、メンバーがグループから離れることは、大変にショックなことなのだが、「卒業します」と言われると、不思議と受け入れられるような気がしてくる。
むしろ、これから訪れる「明るい未来」すら感じることができる。
これは、自分たちが学校を卒業する時を思い出し、同級生と別れる寂しさを感じつつも、次の道へと進む時の高揚感を連想させるからかもしれない。

どちらにしても、彼女たちが、「自分の進むべき道」を見つけることができたのであるから、ファンとしては、大いに喜び、お祝いするのが正解なのだろう。



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