序文
「ヒッポのアウグスティヌス」(教皇ヨハネパウロ二世使徒的書簡)のカバー画像を何にするか?を悩んだ挙句に、ヨハネパウロ二世が眠る墓所の写真がWikiにあったので、これに統一することにしました。
さて、序文に入るまえに、この本を開くと、次の文句が、まず最初に、見開きで書かれておりますので、ご紹介しておきます。
ここで、一部、個人的なことを書きますが、わたしは2021年11月まではカトリック信徒で、それ以降はプロテスタントの信者で、キリスト者です。
なので、この教皇の「呼び掛け」に、なにやら複雑な心境を隠せません。
「くすぐったい」というか…なにか「もやもや」としたものを感じます。
おそらく、わたしの「カトリック」への「わだかまり」が、まだ、どこかに残っているからなのでしょう...。
さて、今回は、本書の「序文」を取り扱います。3ページと、とても短いものですが、本書には「結び」という箇所もあり、こちらは2ページですが、章立てとして設けられている以上、慣例もあるのでしょうが、何らかの意図があって、そこに書かれていると察したほうが賢明のような気が致します。
以下、私個人の主観が入りますが、重要と思われる箇所を引用してみたいと思います。
「序文」のほぼ「3分の1」くらいを引用いたしました。
特に、わたしが個人的に気になる文章を、さらに抜き出せば、それは「それは神が彼の素晴らしい回心をもって、教会に向けてまた教会を通して、全人類に与えられた贈り物だからです。それはまた、すべての人にその回心を思い起こさせる大変よい機会でもあります。」と、アウグスチヌスの回心を、いわば宣教目的に使用しようとする、カトリックの、バチカンの「したたかさ」を垣間見た気が致しました。
「それはまた、すべての人にその回心を思い起こさせる大変よい機会でもあります。」と、キリスト者でない者へも、つまりは「すべての人」に、アウグスチヌスの回心を思い起こさせることによって、これを契機として、クリスチャンを増やすべきである…とでも言いたそうな、いかにも魂の救済に関しては「おせっかい」なキリスト教徒らしい、異邦人に向けた眼差しが見え隠れしていて、そこにも、わたしの興味は注がれました。
スイマセン…気が付けば、2000文字を超えておりました。
長文となりました。ご一読の労を頂戴し、感謝致します。
次回は「第一章 回心」を取り扱いたいと思っております。
では、またの機会に、お元気で...。
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