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派遣で電池の製造【4】23歳

オヤジの会社を辞めてその年末年始を遊び倒した。
年が明けて仕事をどうしようかと言う話を友達にするとその友達が、アウトソーシングの面接のバイトをしているらしく、ウチの工場に来るかと言われた。
僕はいくところも無いし行く事にした。本当は面接が2回あるらしいのだが、友達との面接はなしで1回ですんだ。
生まれて初めての工事で製造の仕事になる。時給が高くて普通に働いていたら、手取りで25前後は貰えるところだった。
このタイミングでスカイラインを売ってその金で独り暮らしを始めた。実家のすぐ隣の市だったが、原付で仕事場まで通って、自由に暮らしていた。
この工場は三洋電機の100%出資の子会社でニッケル水素蓄電池を作っていた。早番と遅番の二交代制でスタートした。3つの班で回していた。偶然だったが、僕の班のリーダーは高校の時のクラブの先輩のお父さんだった。凄く良くしてもらった。それまでの現場を転々としながら仕事をしていたのに対して、同じ場所に決まった時間に出勤して決められた時間に休憩して、そして決められた数量をこなして決められた時間に帰る。初めはキツく思えたが慣れて来るとそう苦にはならなかった。女の人が多くてその人達とも仲良くなった。

エピソード1
雨が昼から降った時にカッパを忘れてしまい。どうして帰ろうか悩んでいたら1人のおばちゃんが大きなナイロン袋で3箇所を切ってカッパを作ってくれた。僕はそれをポンチョの様に着て帰った。かなり風でナイロンがバタバタと大きな音を立てていたが気にはならなかった。次の日僕が出勤すると少し休憩室がざわついていた。カッパを作ってくれたおばちゃんにお礼を言いにいくとどうも透明なナイロンで作ってくれてたので中が透けて見えるのがおかしな格好になっていたみたいで工場全体でおかしな奴がいてると有名になってしまっていた。僕はありがたく着ていたが、おばちゃんは私が渡したのは内緒にしといてほしいと言われてしまった。誰にも言わずに僕が作った事にした。次からは黒いナイロンにした。

エピソード2
機械のオペレーターは慣れて来るとかなり退屈になる。そこで僕のいた部署は電池の原料を各サイズにカットする工程にいた。一定のタイミングでガッチャンガッチャンと切っていく機械の切った物を揃えて不良をはねて箱に詰めていくという作業だった。不良が機械の奥の方に見えてくると一度機械を停止して奥に回ってガムテープで印を付けて戻ってきて機械をスタートして箱詰めの時にそのガムテープの部分をはねると言う作業するのですが、不良が見えた位置で手元まで何ショットで来るのかがわかる様になってくる。揃えるのと箱詰めをしながらガッチャンの回数を数えて、機械を止めずに不良をはねる事ができる様になると、時間内で作れる量を増やす事ができる様になる。その記録を更新していくのが唯一の楽しみになっていた。

働き始めて3ヶ月程した頃、ふと中学生の頃ゲームを作るのが夢だった事を思い出した。そこから働きながら当時の就職情報誌のbeingとデューダでコンピュータ関連の会社を探しだした。たしか水曜と木曜の発売だったので、朝の早くからコンビニに行き、就職情報誌が配達されるのを待って届いたらすぐに買って帰り、遅番の時は朝9時から片っ端から電話をしていった。電話と書類選考と面接で60社くらいにアタックして1社だけ合格した。この合格する迄が3ヶ月かかった。未経験で高卒なので中々見つからなかった。この会社がダメならこのままアウトソーシングでもいいかと思っていたが、その最後の会社が通った。ココロを折らずに頑張ればいい事もある時があるとこの時は強く思ったのを覚えている。アウトソーシングは契約社員の様な扱いなので正社員でコンピュータ関連の会社に転職しますと言うと一緒に働いていた人達は喜んでくれたのも覚えています。おばちゃん達にも次頑張ってなと声を掛けてもらつた。
転職を28回していますが、この時の転職だけが、職種を絞って自分がこの仕事をどうしてもやりたくて転職活動をしたと思います。お金や場所や働きやすさなどは度外視して受けまくってました。

エピソード3
この面接を受けまくってた時の話で、今でもハッキリ覚えているのは、面接が数人でやる面接でその会社の社長が直接するというものだった。散々社長の僕が直接面接する事は珍しいことなんだからラッキーだなと言われ、僕は少し違和感があった。社長からの質問でわからない事があった時はどうするかと聞かれた。誰も何も答えない変な間が空いたので僕が、
「できる限り自分で考えて調べてわからない時は先輩に聞きます」
と答えた。すると、
「1番駄目な答えがそれです。そんな事を言っていたらついてこれませんよ。」
と言われた。
「答えは、すぐに聞く事です。」
と言う。僕は、
「何も考えずに聞いても何もわかりませんけどそれで良いんですか?」
と言ってみた。
「君は何もわかっていない。」
とだけ言われた。
理解できなかったが、まあそう言う考え方もあるんだなと驚いたのを覚えている。

エピソード4
沢山面接を受けている時に凄く気になったのが、当時98年ごろ、Windows95が出てネットが使われ始めた頃だった。
面接は数人で受ける事が多くて、ひとつの質問に順番に答えていくというやり方だった。その時多くの人が、ネットを使って仕事をしたいと思い応募しましたと言っていたのを強烈に覚えている。僕の頭の中ではネットは辞書の様なもので、検索をかけるだけのものなのに何を言っているんだろうと思っていた。しかもネット回線がまだ電話回線で文字以外はスピードが凄く遅くなるので、全く意味がわからなかった。
意味を知ったのは2002年くらいだった。今思うと良くその知識で面接を受けて通してくれるところがあったなと思う。

そんなこんなで次の仕事は、大阪市内で住んでいるところから1時間半くらい電車でかかるところだった。
面接も初めての製造業も驚きやシンドイ事もあったが、楽しく働いていた。

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