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学校なんぞいかんでもいい でも洗濯しよう

 8月も終わりになると気持ちがぐっと暗くなる。

 まあこれは長いこと学校に苦しみ、悩んできた後遺症みたいなもので「名誉の負傷」と私は思っている。
 ちなみに同じ事は日曜の夜にも起こる。なかなか「心」というものは難しい。

 そんなわけで毒親というか虐待育ちで学校が辛くて仕方なかった生き物の社会のサバイバル術の話。

 生き物は結局「どんなに惨めな思いをしても死ななきゃ勝ち」だ。

 そう、名誉の死というものはあり得ない。名誉は変わるし消えるものなの。
 はては「アイツが弱いから」とまで言って死者を侮蔑するやつもいる。

 あなたが自殺しても世界は変わらないし、あなたが憎む人も決して変わらない。
 絶対に。

 なんてひどいと思うかもしれない。でもこれは事実。

「自分さえ死ねば全て上手くいくのでは・・・?」
「死ねば楽になれるのでは・・・?」

 そう思ってしまう気持ちは分かる。
 分かるがちょっと待て。

 自殺は怖いし苦しいぞ。一瞬だけと言うがその一瞬が上手くいかずずっと苦しむ人だっている。

 それだったら「自分を変える」「環境を変える」方のがよっぽど楽だよ。

 魚は陸では苦しい。鳥は海では苦しい。
 でも魚は海では楽だし、鳥も陸では楽です。
 生きる場所を間違っちゃいけないという話。

 まずは環境を変えよう。

「学校にいかない。」


 これだけで環境は変わる。絶対変わる。
 言っちゃ悪いが自殺するよりよっぽど環境は変わる。

 でも「学校に行かない」ということは「社会と離れてしまう」「普通と変わってしまう」ということ。


 怖い。
 すごい怖い。


 でも死ななきゃ怖さを超えることはできる。

 だって「普通の場所」の中であなたは楽に生きれる体質ではなかったと言うだけ。たいしたことじゃない。

 楽に生きれる「自分の場所」を見つければいいだけのこと。

 でも「自分の場所」が見つかってもそれを維持するのは大変。
 なにせ「普通」というレールに生きても大変なので、「自分だけの場所」というレールを引きながら生きるのはもっと大変。

 でも「自分の大切な場所」を守る戦いというのは達成感があり、気持ちがいいものです。

 じゃあ「自分の大切な場所」をどう見つけ、維持するのか。

 簡単なことから始めよう。

 すなわち『学校に行かない代わりに家事をする』

 え?と思うかもしれない。

 いやいや家事はやって欲しい・・・分からないし・・・と思うかもしれない。

 なにもいきなり全部やれって言うわけじゃない。
 実は家事というのは「高度な思考を要する頭脳労働」と「細かな手際が必要な肉体労働」なのだ。

 実は言うと「家事がしっかりできる」ということは「社会で労働してもできる素地がある」ということ。

 例えば「洗濯」

 洗濯する服によって洗濯方法が異なることがある。そのためには服を裏返し、後ろのタグを確認する。
 分からなかったらネットで「洗濯 マーク」で検索しよう。これで洗い方がだいたい分かる。
 マークに従い、洗って、干す。

 乾燥機に入れていいかどうかもマークで分かる。

 外に干すなら天気も確認しよう。

 乾燥が終わったら取り入れる。
 
 取り入れたらシャツなどアイロンが必要なものはアイロンがけをする。なかなかめんどくさいが慣れるとすぐにできる。まずはハンカチからやってみよう。

 そのあとたたむ。たたみ方も色々ある。分からなかったらこれも検索しよう。

 実は洗濯にすら「自分で調べて行う」という社会での基本ができるのだ。
 しかもめんどくさいがそれを我慢して行う、という忍耐力、集中力もつく。

 まるで学校にいく目的そのものじゃないか。

 そう、学校に行くだけが学びじゃない。

 学校になんぞいかないでいい。
 かわりに「洗濯」をしよう。

 家での「洗濯」を練習台に物事の学び方を練習しよう。

 慣れてきたら「料理」や「掃除」なんかもいいね。
 今は切ってある野菜やカット済みの肉、レンジだけで行う料理なんていうのも豊富だ。
 掃除だってまずは廊下を掃いて拭くみたいにできることからしよう。

 最初はうまくいかないだろう。でもやり続けよう。

 ただ一つだけやってはいけないことがある。

『分からないからやらない』だ。


「うまくできなかった」は気にしなくていい。続ければ上手くできるようになる。
でも「分からないからやらない」は「はじめない限り一生できない」ことだということ。

 でも周りの人は『分からないからやらない』をやってるじゃないかって?
 そりゃそうさ。彼らはあなたには苦しい「普通」に適応できる能力がある。「普通」にできるなら「普通」を選んでもいいのさ。
「普通」の中でそれを学ぶチャンスがあるからね。

 でもあなたは「普通」では「生きづらかった」
 なのにここだけ「普通」を振り回したらそれは「ズル」だし「傲慢」だし「怠惰」だ。

 だからこそここでは「普通」をやめよう。

「普通はやらないけど、自分は普通が息苦しかった。だからちゃんと調べて洗濯をしよう」

 ほらとってもかっこいいし、あなたらしい。

 そしてそれを続けるための安心もあげよう。

『不登校、ひきこもりで重度になり、問題行動を起こす人の多くは家事が全くできない』のだ。

 そして『家事は自立の第一歩。家事ができるということは労働の基本が身についていること』
 すなわち『社会で働く技術がそこで身についている』ということ。

 そう、学校に行かなくても家事をやるということは『職業訓練』をしているということなのだ。

 今は男性女性問わず会社で働いている。
 会社で働いているから「家事はお金を払って誰かにやってもらいたい、外注したい」というニーズがあるのだ。

 だから男性、女性問わず「ハウスキーパーさん」が求められている。

 そういう仕事の仕方もあるのだ。

 そのためにもまずは生きよう。

 生きるために「学校にいかない」のは戦略的撤退。

 でも戦略的撤退を無策で行ったらそりゃ「敗走」だ。

 敗走者にならないためには「家事をマスターする」という戦略を入れよう。その戦略を遂行するために学校に行く時間が無いのだ。
 
 自分を「学校に行けない敗走者」にしてはいけない。
 自分を「学校に行かない戦略を遂行する智将」にするのだ。

 大丈夫、勇気を持って親御さんにこう言おう。

学校に行きたくない。だけど洗濯や家事を勉強したいから家にいたい。最初は上手くできないかもしれないけど」と・・・

 ただ親御さんによってはそれが難しい場合もある。

 その時は信頼できる大人はいますか?おじいちゃんやおばあちゃんなどの親戚でもいいし、友達の親でもいい。一度相談してみよう。

 どうしてもダメな場合は18才未満は「児童相談所」というものがある。そこに駆け込んで相談しよう。

 死ぬのはいつでもできるカードだ。
 いつでもできるカードだからこそ安易に使うカードじゃない。

 大丈夫。
 学校に行かなくても空は青いし、地球は回る。

 生きてけないと思っても寝て起きたら明日になっている。

 
 そして明日の明日の明日の未来で笑っていられればそれでいいのだ。
 その時に少しだけ「あの時死ななくて良かった。勇気を持って学校に行かなくて良かった」と思えたらそれは大成功なのだ。

 子どもの頃、親にも「いらない!ダメな子」と言われて殴られて、先生にも「できない子」と言われて、イジメで大けがさせられ、友達もできなかった人が言うんだから間違いない。

 大丈夫だよ。
 結構生きているのも悪くない選択肢だよ。

 でも生きる選択肢を増やすために洗濯を、家事をやろう。

 

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