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毒親が死んで35年。心から聞きたかった一言は永遠に奪われた

「ええあう、えうあ、あいあお!」

弟に電話をしたら耄碌じじーが出た。
誰あんた?

「持ち主にこのスマホを返してくれませんか?」

そう言い終わる前に大きな声が耳に刺さる。

「ええあう!おえあ!おえあえうう!!」

私の言葉も理解できているか怪しいぞこれは。

「おじいさーん!私のことば、わかりますかー」

どこかに置き忘れたスマホを勝手に使われてるんだろう。仕方ない。義妹に電話しよう。なんの連絡もないから、変わりなく過ごしてるとは思うけど。脳出血を起こして2年。最後の見舞いから時間もたってるし。様子を確認しておかねばだ。

母からの遺伝で、私と弟は同じ脳血管奇形を持っている。奇形を持った血管が、脳をはじめ、身体のあちこちにできる。MRIという画像を撮影すると、私の脳内には、ゴロゴロと血管奇形や出血の痕がある。きっと弟もそうだろう。兄弟だから。

タチの悪いことに、私の血管奇形は少しずつ出血し、大きくなり、数も増えている。きっと弟もそうだろう。兄弟だから。

さて電話は切るか。じーさん、暑いから水をしっかり飲んで、熱中症に気をつけなよ。

…とスマホを耳から離そうとした時、聞き覚えのあるクリアな女性の声がした。

「お義姉さん、お久しぶりです、ご無沙汰しております。電話口でしゃべってるのは、〇〇さんです。ご本人です」

ごほんにん。
ごほんにん? 
ご本人て言った今?
ご本人なのこれ?

母音でしかしゃべれない、このじーさんがウチの弟。1年前に会ったときは、普通に話ができてたじゃないの。「変わったことがあったら連絡してや」ってあれほど何度も言ってたのに。

連絡がなかったから何もなかったはずでしょ?違うの?

「『姉ちゃん、電話ありがとう!』
『姉ちゃん、俺や、俺やねん!』

て言ってるんです。半年前、急にあちこち悪くなってしまって、今はもう、歩くこともできませんし、動いてた方の手も動きません。ものが何重にも見える、めまいがひどくてつらいと言ってます」

半年も前からこんなことに?

なぜ私に言ってくれなかったの。あれほど言ったでしょ、何かあったら伝えてねって。特に体調のことは絶対にって。

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私の脳内にも同じ血管奇形がある。けれど、ひとつだけ弟と違うのは、近くに大学病院が沢山あること。その中から、この病気を研究している病院をかかりつけにしている。自分で論文や医学雑誌を読みもする。分からないことは、主治医が気持ちよく教えてくださる。

ところが弟のところは、車がなければ最寄駅にもたどり着くのもむずかしい。近くの総合病院はgoogleクチコミの評価が1.9。それでも総合病院の方がいい。脳出血を起こすと、身体のいろいろな場所に影響が出るからだ。さらに、仕事をしている義妹さんに連れて行ってもらうんだから、家の近くが便利だろう。ま、脳外科の先生もいることだし、1.9でも仕方ないか…。

私と弟が受けている医療の格差は、きっと相当大きい。

今日の電話の目的は、「病状が安定している今のうちに、これからのかかりつけ病院を変更してはどうだ?少し遠くなるけど、いい総合病院が見つかったぞ」と伝えることだった。

なのになんだよ。
またかよ。
大事なことは、いまだに私にだけは伝えてもらえないのか。
どんなに頼んでもダメなのか。

むわっとした梅雨の熱気が頭にまとわりつく。冷静さが熱に溶けていく。浮かんでくるのは、中学生の頃の私と弟の姿。この脳血管奇形が母の脳内に見つかった頃の私たち。

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当時の父は重度の身体障害者だった。自由にならない身体への怒り、仕事をしている同世代男性への劣等感、他の男性と関係を持ったらしい母へのちぎれるほどの憎しみ。それらが束になり、無職の父は毎日とぎれることなく、母を虐待するようになった。

体調が崩れ始めた母を責め続ける父。このままでは母が倒れる。包丁を持って明け方まで暴れまわる父。寝ずに仕事に行く母。いい加減にしないと、この家が壊れてしまう。

「お父さん、何があったか知らんけど、冷静に話をするのが先と違うの?」

この一言が、両親が死ぬまで続く、私への虐待の引き金を引いた。母に向けられていた憎しみは、一瞬にして私に向けられた。それ以降、父が死ぬまでの10年間、通り過ぎない台風のように、私の自尊心を根こそぎなぎ倒し、勢力を落とすことなく、草も土もはぎ取っていった。

誰も止めなかった。私が一身に暴言と暴力を受けているうちは、母や弟に危害が及ぶことはない。当時の私はそれが自分の役目だと信じていた。私が我慢すれば、この家は壊れずに済む。母の病気が悪化することもないだろう。病気がちな弟も安心して暮らしていけるだろう。

ウチはお金がないと言ってるから、勉強して国公立大学に入ろう。学費が安いからバイトで通える。学費免除の資格も欲しい。高校時代の成績が優秀じゃないともらえないらしいから、毎日頑張らないとな。

学費免除になったら、バイト代で一人暮らしをしよう。そうすれば、もうお父さんのサンドバッグとして生きなくて済む。

しかし、そのウラで、私は便利な変人扱いされていただけだと、後になって気づいた。勉強ばかりして何を考えてるか分からないけど、我慢強く耐えてくれる。文句も言わない。お金もかからない。その分、弟に回してやることができて助かるわ。

弟は、遠くにある私学の専門学校に進学。バイトもせずに暮らしていたらしい。仕送り額も相当なもんだったに違いない。体調を崩した時には、一生懸命いい病院を探して入院させていたそうだ。

「そうだ」「らしい」「違いない」。伝聞調でしか書けないのは、ひとり暮らしを始めてからは、実家に入れてもらえなくなったからだ。

たまに帰ると、母がけわしい顔をして私を押しとどめた。「お父さんに見つかる前に帰ってくれ。お前を見るたびに、お父さんは火がついたように暴れまわる。すごく迷惑なの」。そんなことを繰り返されていくうちに、心をえぐられる痛みに耐えられなくなってしまった。職場でひどいイジメを受けていたせいもある。夜中の海をめがけて、アクセルをベタ踏みしたことは一度や二度ではない。車ごと沈み、私のすべてを終わりにしたかった。そんなことになってたなんて、誰も知ったことじゃなかったろうな。

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結局、両親が死ぬまで、あの家に入ることも、家の状況を教えてもらうこともなかった。私がどんな生活をしているかなど、よく知らぬまま両親は死んだ。弟が結婚したことも知らなかった。

家を守るために盾になったつもりだった姉。後ろでいろいろ便宜をはかってもらってた弟。
ひとりで調べて稼いで生きてきた姉。親の援助に助けられてラクに生きてきた弟。

お互いの分断は、毒親が死んだ後も全く埋まっていなかった。

結婚したことを知らされなかったことなら、私がイヤな気持ちになってればそれでよかった。笑い飛ばせば済むことだった。

でもな。
命がかかってることだけは別だ。
もうお前の面倒を見てたお母さんはいないんだよ。

世の中には、当事者じゃなきゃ分からない大切な情報がある。私はそれを持っている。さっき聞いた症状からすると、脳幹から出血してるかも知れない。命にかかわる非常に大切な場所だ。

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まだ電話はつながっている。

「先生は、『再出血は起こっていない、薬を飲み続けてたら大丈夫』と言ってます」

薬か。何を飲んでるんだろう。

薬の名前を聞いて、スマホを落としそうになった。
処方してる医者、つまり主治医が内科医だと言われたときには、机を叩きつけて無意味に立ち上がり、そのまま呆然とした。

脳出血してる患者が内科。脳外科のある病院は近くにいくらでもあるのに。よりによってなぜ内科。googleのクチコミは1.9しかない内科。昔いた脳外科の医者は退職したそうだ。

治す気で通ってる?もうヤケクソになってない?

「あのね。その薬、脳出血してる患者が飲んだらダメなやつよ。薬の添付文書に、赤枠で囲って書いてある大事な情報。効果がなかったら12週飲んだら止めろ、とも書いてある。それを2年も飲んでたの…」

「診断に使ってる画像の種類もね、私たちの血管奇形がキレイに映らない撮影法なの。小さい出血をスルーされてるかもよ」

ある日突然歩けなくなる、手が動かなくなる、目が見えなくなる、耄碌じじーみたいな話し方。この時点で速攻、脳外科。なぜ内科に通い続けてたの。

同じ血管奇形を持ってると知りながら。毒親が死んでもう何十年。いまだに姉ちゃんだけ蚊帳の外なのは、なぜ?

「ちょっと体調がおかしいかな?」くらいの時期に相談があったなら。

すぐにいい脳外科を探したよ。「脳出血してる患者に飲ませるな」と書いてる薬を出すような、ヘボい医者とは手を切らせたよ。MRIの読影がしっかりできる病院に連れて行ったよ。

今みたいな身体になる前なら、打てる手はいくらでもあったんだ。私はな、その病気に関しては患者のプロだ。なんで廃人になっても黙ってたんだ。

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電話が弟の手に戻されたようだ。

「ええあう、ぼおいう、ろおあええお、おおう?」

「姉ちゃん、病院、どこがええと、思う?」
と聞かれてる気がした。いまさら遅いんだよ。聞くならもっと早く聞け。

毒親が生み出した兄弟の分断は、大事にしていた方の子供を、人生の裂け目に突き落としてしまった。そこは漆黒の闇。這い上がる手はない。
助けてやる術もない。同じ病気を持っている私は知っている。もうリハビリでどうこうなるレベルではない。そのうち老化とあいまって、ますます廃人化は進行する。

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お父さん、お母さん。
なぜ兄弟の扱いに、あそこまで大きな差をつけたんだ。
なぜ私を悪者にして、家の安定をはかろうとしたんだ。
なぜ大事なことを兄弟へ平等に伝える姿勢を見せなかったんだ。
子供がマネしてるじゃないか。

そのせいで
あなたたちが可愛がってた息子は今、
自分で動けず
ものも見えず
手も使えず
何を言ってるか分からんじーさんになっとるぞ。
それでよかったのか?
私の心と人生を踏みにじってまで、守りたかった未来はこれだったのか?
廃人化した息子を見て、あなた方は満足か?

私は聞きたかったぞ。
「姉ちゃん、電話ありがとう」
この一言を。
もう死ぬまで聞けない一言になってしまったな。

「ええあう、えうあ、あいあおう」
こんな言葉、聞きたくなかったよ。

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電話を切った後に気づいた。
セーラー服をきた私が、実家の玄関前で泣いている。ひんやりしたジャリの上。ヘタリと座り、石をつかみ、声を殺して泣いている。石が擦れ合う音もさせぬよう、力を抜いて動かず。音を立てたら包丁が飛ぶ。花瓶かもしれない。電話帳かも知れない。

無数の小石に分解され、人の形を失う日を想像した。小石が刺さる痛みに耐えかね、ここから立ち去る未来も想像した。

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あれから35年。人の形を失わず、心も失わず、病とともに私は自立して生きている。毒親は二人とも身体障害者だった。彼らを捨てて実家を離れた時の罪悪感と世間の空気感は、今でもひんやりと覚えている。酷い人間だと自分を責め続けた時代は長かった。

でも今は違う。悪いのは私じゃない。壊れる前に、生きる力をつけて自立した私に、何の非があろうか。

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自立して生きてきたからこそ、人を助けることもできるんだよ。
たとえそれが、私をないがしろにしてきた兄弟であったとしてもだよ。

命がかかった問題に知らんぷりを決め込むほど、私は薄情な人間じゃない。変人だけど悪人じゃないんだ私は。

「ええあう、えうあ、あいあおう」でもいい。
仕方ない。
何かあったら、姉ちゃんに報告しなさい。
二度と私を蚊帳の外に置かないでくれ。
子供の頃の悲しい思い、二度と追体験させないでくれ。

お父さん、お母さん。
そこから見えてるか弟の姿。
謝れ。
私に、弟に、ごめんなさいと一言謝れ。
”大事なことも私には伝えなくていい”
そんなおかしな家にしちまったことを謝れ。
異変をもっと早く知る術があったら
あんな体になるまえに、手の施しようがあったんだぞ。

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