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先を見る。今を見る。行ったりきたりする。

広告会社でマーケなどをやっている久利と申します。
ちょっとご無沙汰していたのですが、なんとなく今日noteが書きたくなりまして9本目のnoteを書いてみようと思います。


最近の悩み

35歳を過ぎた頃(ちょうどマネジメントとか勉強しはじめた頃)から、習慣として「先のこと」を考える癖がひどくなってきました。
・チームのこと組織のこと、来年度の提案、今後のビジョン
・次の提案の締め切り、今後のタスク管理、などなど。。。
朝起きた瞬間から寝るときまでなんとなくいつも「先」のことが頭のどこかにある感覚がずっとあります。それが年々ビルドアップするようになってきてちょっと中毒になっていることに悩みを感じます。


何が問題なのか

「先のこと考えるビルドアップ」の一番の問題は「今」が楽しめなくなることです。何をしていても、先のことが意識の中にあるので、目の前のこと、いま参加していることに集中して心から楽しめないことが問題と考えます。イメージとしては、楽しい飲み会に参加しているのに「明日朝早いからそろそろ帰らなきゃ」が連鎖のように頭の中で起き続けているような感覚。
先のことにとらわれて今が楽しめなくなるのはなにか寂しいことのような気がしています。

行ったりきたりの美学

このnoteで書きたかった結論はこれだと思うのですが、なんでも行ったりきたりすればいいのではないかと。イメージこんな感じで。

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自分の頭の中では
・「先のことを考えているほうがイケてるビジネスパーソン」
・「今しかみてない人は短絡的」
といった思考のバイアスがなんとなくできてきてしまっているのだと思います。この数年間で積み重ねた「先をみること中毒」でそちらばかりに軸足が向いてしまい、「今」がおざなりに。
本来はまったくそんなことなく「今」も大事で「先」も大事。
優劣などなくどちらのことも行ったりきたりして楽しめばいい。
たぶん「行ったりきたり」すら悪いことのように感じてしまっていたのかも。

葛藤したり、右往左往したり、近づいたり離れたり、木を見たり森を見たり、迷ったり。Aという地点とBという地点を行ったりきたりするという行為は一見ムダなようで、人が持ちえたとても人間味のある特別な行為なのではないかと感じます。何かひとつの場所や思考や視点にとらわれると凝り固まってしまう。だからこそ両方を行き来することで自分の本当の気持ちを探したり、どちらの大切さも感じることができたり。
柔軟で楽しい人生をおくるためのキーはこの行ったりきたりの美学の中にある気がしています。

※ちなみに過去を振り返ることも時に大事な気はするのですが、過去は本当に「たまに」回想する(もしくは引き出しとして今や先に活用する)ようなぐらいのバランスで置いておくのがちょうどいいのかなと思っています。


遠くを見すぎないこと

最後にもうひとつ。
2050年の日本とか、アフターコロナとか、中期経営計画とか、先のことを想像したり考えたりすることはとても大切なことだと思っていますが、見通すことのできない遠くの景色をはっきり見ようと思わないことも大切なことかなと最近思います。
遠い景色はぼんやり見たり想像はする。でも自分がしっかり見る「先」はせいぜい2〜3年ぐらい先までにしておく。そのぐらいのスパンを少しだけ解像度を高くみる機会(時間)を自分の中で取る。
それとは別(ちゃんと切り離して)「今」のことにしっかり向き合う時間もつくる。
視野や焦点を意識的に遠くしすぎないことも人生を豊かにするオプションなのかもしれません。


感謝

今回は完全に自分の「今」と向き合うために書いてしまったnoteにお付き合い(読んで)いただきありがとうございました。

よろしければサポートいただけるととても嬉しいです。