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“何もしないこと”は罪深きこと
もう、ずいぶん昔の話になるが、2001年9月、厚生省(現:厚生労働省)の元生物製剤課長が「不作為の罪」で有罪となった。
非加熱製剤によるエイズ感染の危険性を認識しながら、その回避に必要な措置をとらず、多くの感染死をもたらした不作為は犯罪であると、禁固一年、執行猶予二年の有罪判決が言い渡された。
この課長は最後まで「責任は非加熱製剤を回収しなかった製薬会社にある」と自身の無罪を主張していたが、非加熱製剤によるHIV感染を知りながら回収を製薬会社に委ねたきりで、自身はそれを回避する対策を取らなかった。
官僚は国民の税金で給料が支払われている限り国を良い方向に導き、国民の生活を守るのが務めだ。故に「何もしない」ことが罪に問われたのである。
だが、こういった「官僚の不作為」は往々にしておきる。役人は、事無かれ主義で現状維持型の人が多い。事件が発生して被害者が出ない限り、現状を変えようとしない。
その結果、多くの国民が損害を被ったり、被害者になったりする。
だが、「不作為の罪」は官僚にだけ摘要されるものでは無い。
何かをして失敗してしまうよりは、何もしない方がましと考え、不作為という選択肢を選んでしまうのは人間なら誰しもが持つ思考の傾向だ。
民間の企業活動でも放置しておけば、将来大きな問題になることを認識しながら、現状を維持しようとするならばそれは「不作為の罪」だ。
「やらない理由」をたくさん挙げることで、その行為を正当化しようとする人は多い。
だが、不作為は現状維持と同様に企業や社会の変化を阻む大きな敵となる。
ある会社は人事考課に「不作為の罪」を導入した。もし過去1年に新しいことにチャレンジしないと、5段階方式の採点で「2」か「1」になってしまう。逆に新しいことにチャレンジしていれば結果によらず「4」が与えられ、結果を伴えば「5」となる。
デジタル社会の到来により我々は想像を遥かに超えるスピードで多くの変革が求められる。
「不作為の罪」は有罪か無罪か。
この価値観をもって自身の行為を評価しながら仕事に励めばきっとプラスになるはずだ。
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