見出し画像

【読書記録】「私が大好きな小説家を殺すまで」/斜線堂有紀

 『憧れの相手が見る影もなく落ちぶれてしまったのを見て、「頼むから死んでくれ」と思うのが敬愛で「それでも生きてくれ」と願うのが執着だと思っていた。だから私は、遥川悠真に死んで欲しかった』

 書店でタイトルに惹かれてページを捲った。最初の一文を読んで、これは読まねばならないと思い、躊躇うことなくレジへ向かったのを覚えている。これほどまでに惹きつけられる一文がここに存在する。その高揚感を思い出し、私はこのnoteに書く読書記録の最初の本は、斜線堂有紀の『私が大好きな小説家を殺すまで』にしようと決めていた。

 この小説は、物語をよすがに生きていた少女と、神様になり損なったただの青年の話だと思っている。

 主人公は母親から虐待を受けていた少女、梓。彼女は毎夜決まった時間に帰り、押し入れの中で遥川悠馬が書いた物語を何度も何度も反芻し、頼りにして生きていた。あるきっかけで彼女は、大好きな彼の小説を胸に自殺を図ろうとする。

 若き天才小説家である遥川悠馬は、自分の小説を胸に踏み切りに入ろうとする少女を「迷惑なんだけど」と止める。

 二人の出会いは、とてもドラマチックで歪んでいる。小学生と20代の青年が共依存的な関係になり、遥川の挫折を機に歪んでいくのだ。

 私たち読者は、彼らの出会いから別れまでについて、彼女と彼が書き綴った小説を読む形で過去を知ることになる。なぜ、彼女は遙川悠馬を殺さねばならなったのか。なぜ、彼は死ななければならなかったのか。

 この歪な関係の根幹にあるのは、梓の生い立ちだと思う。母親の虐待により梓は物心ついた頃から「邪魔なもの」として扱われてきた。学校から帰れば菓子パンを食べ、押し入れに入れられる。あとは朝まで真っ暗闇の中で過ごすしかない。そんな子供が、自分を大事にしてくれる神様に出逢ったらどうなるか、わかりきったことだろう。

 梓は生きる理由を遙川に求め、遥川は梓に愛しさを感じている。最初は保護者と子供の関係が、いつしか遙川が梓に執着しはじめることで変化する。

 遙川悠馬も孤独な人間なのだろう。得てして何かを生み出す人間は己を削っているものだと思うけれど、彼もまたそういう類の人間だ。特に彼は外に出るのもめんどくさがり、買い物もすべて通販で済ませているような人である。

 そんな彼らがどういう結末を迎えるのかについては、ぜひ読んで確認してほしい。

 彼らの物語について考える時、たぶん2人ともがお互いからの執着に押しつぶされ、2人しかいないという気持ちになっていたのかもしれない。終盤に至るまで、梓の学校生活が描かれないのも、梓にとっての生活は遙川の部屋の中だけだったことを表しているようにみえてならない。

 この手の共依存的な話はたくさんあるが、ここまでも敬愛と執着、崇拝と崩壊、神様と凡人の入れ替わりを細やかに表現した作品には出会ったことはない。

 ただ思い合う二人の歪な関係性を、敬愛とするか執着とするか、彼女は何を殺そうとしたのか。

 カンカンカンカンと音のなる踏切の前で、立ち止まって考えてみて欲しい。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

#わたしの本棚

17,800件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?