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世界にひとりぼっち、なんてありえない。でもね、

 「誰にも受け入れてもらえない」という妄想は、「夜が明けないかもしれない」と同じぐらい意味のないものだ。それでも、思ってしまうのだから仕方がない。どうしようもない。諦めるしかない。

 午前4時44分。

 なんて不吉、と思いながら目覚まし時計を確認する。起きなければいけない時間まで、あと何時間?そんなこと、どうでもいいのに。

 私の持論では、夜というのはネガティブを連れてくる。真っ暗な部屋でチカチカ光るルーターの明かりをぼうっと眺めては、「死にたいというわけじゃないけど」みたいな漠然とした不安。

 ベッドに寝っ転がって真っ暗な部屋で手を伸ばす。手の形が薄ぼんやりと見える。私はここにひとりだ。死んでもきっと、誰も気付かない。気付かないなら、死ぬ意味がないと手を下ろす。

 結局、私は「誰かに求められたい」「誰かに大事にされたい」「無条件に愛されたい」と願っている。叶わないと知っている。無条件の愛などない。私は条件付きの愛を食み、足りないと泣き叫ぶただの女だ。

 本当の私を受け入れて欲しいと願っているのに、本当の私など見せれるはずもないと諦めている。馬鹿だ。馬鹿でしかない。

 「世界にひとりぼっち」なんて嘘なのに、ここに一人なだけで私には大切な友達も家族もいるのに、なぜか涙は溢れてくる。

 そういうとき、壊れてしまいたくなる。全部ぼろぼろに壊して、作り直したい。誰にも必要とされない空き家をショベルカーで壊して更地にするようにしたい。何にでもなれそうな空き地に家を建てたい。私じゃない、別の私になれたらいいのに。

 誰か、と願うから間違っているのか。いつだって私はひとまかせで、そのくせ文句ばかりは一人前だ。

 普通の人ができることが、できなくなった。外に出るのに、前よりも気合いがいる。立つのが億劫になる。面と向かって人と話すのがしんどいのに、コミュニケーションを求めてSNSに手を伸ばす。

 文字って楽だよね、と思う。顔が見えないって便利だなって思う。

 誰かに求められたくて、誰かに頑張ってるねと言われたくて、SNSに手を伸ばすのは良くないと知っている。それでも、何か別の話をしていれば悪い考えは浮かんでこない。対処療法にもほどがある。麻薬のようだとわかっていて、やめられないのは弱さだろうか。

 吐き出したい。でも、吐き出せない。だって私の弱音なんてだれも求めてない。愚痴なんてきっと聞きたくない。知ってるよ、でも聞いてよ。悪い子だって言わないで。

 なにも感じない心が欲しかった。感受性なんて要らなかった。喜怒哀楽なんてなければよかった。なにも感じず、ただ他人の顔色を窺って笑わせられる道化になれればよかった。

 そうすれば、夜に孤独なんて抱えずに済んだのに。

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