見出し画像

「私は、本なんて読まないから」と言われたとき、心の奥がさめている。

 本が好きだ。物語が好きだ。そして、話すことも書くことも好きだ。

 私の短い人生のほとんどには、本や物語が側にあった。私にとって心を揺さぶるものは、確かに本だった。親も本をよく読む人たちだったから、感想を伝える相手、本をお勧めしあう環境には恵まれていた。

 小学校の朝の読書時間が15分しかないことが不満だった。勉強よりも本が好きで、私にとって読書は遊ぶこととイコールだった。

 そんな私がアラサーになって直面するのは「周りに本を読む人が少なすぎる」という現実。

 職場の人は自己啓発本やビジネス書は読んでも、小説やエッセイは読まない人がほとんどだ。漫画が好きな人はいたけれど、小説となると30人近くいる部署に1人仲間がいるかいないか。

 みんな、ドラクエの新作の話は嬉々としてするのに本屋大賞や芥川賞、直木賞の話はしない。いや、ドラクエの新作はたしかに面白いのだろうけど、同列くらいには語って欲しいと思うのは我儘だろうか。

 ネット上の知り合いにも、なかなか本の話が出来る人が少ない。漫画を読む人、アニメを見る人はたくさんいる。私だって、漫画もアニメも見る。ゲームもたまにする。それでも、本を読み、その感想を語れる人。お勧めし合える人はごく少数だ。

 私が配信で本の話をするとき、ほとんどの人はきっと興味がない。興味がないとわかっていて話すのだけど、少しだけ悲しい気持ちになる。

 読みたい本がある、その感想を、読み終わったときのあの感情を話せる人がいるというのは、とてつもなく幸せなことだ。当たり前なんかじゃない。

 私が本の話をしだすと「私、は本読まないからなぁ」という人がいる。あるいは「私バカだから、そんな本とか読めないよ」という人もいる。

 言っておくが、本を読むから賢いのではない。興味の方向が本に向いてるだけだし、読書家にだって馬鹿はいるだろうし、読書嫌いにも賢い人はいるだろう。

 ただ言えることは「読まないから」という、うっすらとした否定や、絶対読まないという強い覚悟みたいなものが透けて見えた時に、私の心は冷えていくということだ。

 私が何にでも興味を持ちやすい性格で、ある程度行動力があるタイプだから、何事も「やらない」からはいる人を好まないだけなのかもしれない。

 本を読む人と話すのはとても楽しい。読みたい本が増える、本の話が出来る。本棚にはその人の脳みそが詰まってるし、読んできた本は駄作でも良作でも、その人を形作っている。

 本の話をする人が好きだ。私は本が好きだから、同じ趣味を持つ人と話をしたい。できれば、みんなに本を読んで欲しい。

 「読まないから」という拒絶に、少しばかり冷えた心を引きずってこのnoteを書いている。

 読む人読まない人に貴賎はないけど、「新しくできたカフェに行ってみよっかな」くらいの気軽さで、本を読んでくれないか。文庫なら、コーヒー1杯くらいのものだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?