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小さな政府にしても格差が拡大しない社会を創造できた星の話

物語の設定

宇宙人が未開の星に移住するという設定で、架空の星に経済と環境の両立を実現する理想社会をつくってみました。

その星に住む移住者たちは、環境問題だけでなく、いま我々が有効な解決策が見つからず困っている様々な課題の克服も試みています。

ここでは、移住者たちがどのようにして難題を解決したのかを続き物で紹介していきます。
ガイド役は、理想社会の創造に携わった移住者が務めます。
では、お楽しみ下さい。

前回の話

前回は、宇宙移民の考えた地方創生を成功させるイノベーションを紹介しました。
その記事はこちらです。

最初の記事はこちら
次の記事はこちら
目次はこちら
持続可能な社会のつくり方について書いた記事はこちら
理想社会の設計方法について書いた記事はこちら

今回の話

これまで2回にわたって地方政府を持続可能にするイノベーションを紹介してきましたが、今回は中央政府を持続可能にするイノベーションを紹介します。

広く知られているように、我が国は世界一の借金大国です。現在、GDPの2倍を超える債務残高があり、これを人口で割ると国民一人あたり1000万円ほどの借金を背負うまでになっています。

増加の一方である借金に対し、人口は減少の勢いを増しています。今後も毎年、鳥取県に相当する人口が減っていくことが予測されており、税収で借金を減らしていくのはますます困難になっていくでしょう。

その上、地球環境や世界平和を脅かす問題も大きくなっており、その対応にもこれまで以上にお金がかかります。
かなり大きな変革を行わなければ、私たちの国は変化に対応できず、大変な事態に見舞われることになるでしょう。

これから登場する宇宙移民は、小さな政府のイノベーションに成功して、こうした事態に発展しない世界を創造しました。
その秘策はどのようなものなのか?
宇宙移民の発明した解決方法を見ていきましょう。

故郷の星の考えた小さな政府の欠点

中央政府を持続可能にするには、「小さな政府」を成功させる必要があります。
安価な政府にすれば、財政を健全化しやすくなるからです。

しかし私たちの目指した小さな政府は、私たちが以前住んでいた星の小さな政府とは違います。
私たちが故郷の星と同じ小さな政府を目指さなかった理由は、故郷の星の失敗を見たからです。

故郷の星の考えた小さな政府にすると失敗する理由は、政府の存在価値を低くする結果になってしまうからです。

私たちが政府を必要とする理由は、すべての住民が幸せに暮らせる社会にしてもらいたいからです。住民が大切な財産のなかから税金を払うのは、そのためです。
だから政府が行うべき仕事は、住民が求める理想社会の建設になります。

しかし故郷の星の目指した小さな政府は、何事も最低限に抑えた政府でした。

その結果、確かに国家の経費が少なくなることで財政は改善しましたが、国民は充実した福祉を受けられなくなり、所得格差が拡大してしまいました。
また公共事業も最低限にとどめられたことにより、防災力が低下してしまい、自然災害で大きな被害がでるようにもなりました。
そのせいで生活が苦しくなって追いつめられる人が増え、犯罪が頻発する物騒な世の中になってしまったのです。

政府だけが健全化しても意味がないのです。
そのような小さな政府が目指されると、体重を減らすことだけを目的にして体を壊してしまう間違ったダイエットと同じになってしまうからです。

政府に求められている役目を削減して実現した小さな政府では、住民を幸せにできないのです。
故郷の星のやり方では小さな政府のイノベーションに成功したと認められないのは、以上のような理由です。

小さな政府のイノベーションの難しさ

しかし私たちが目指した小さな政府のイノベーションは、「不可能を可能にする」くらいの非常に難易度の高いものでした。
相反関係にある「小さな政府」と「大きな政府」のいいとこ取りをする無茶なイノベーションになるからです。
クルマをたとえに使ってその難しさをあらわせば、快適性にも安全性にも環境性能にも優れオプションもたっぷりついたクルマを、簡素なクルマの値段で買えるようにするようなものです。

大きな政府の欠点

では、大きな政府のメリットとデメリットとはどのようなものなのでしょう。
簡潔に説明すると、次のようになります。

まずメリットは、政府が経済に積極的に介入して安定した生活を送れるようにしてくれたり、福祉政策に力を入れてくれたりするので、格差が是正され、国民すべてが最低限の生活が保障される社会になることです。

しかし政府の活動が増えることで経費が膨らみ、財政難に陥りやすくなるデメリットがあります。
また税金や社会保障費が高くなったり、経済活動に規制が多くなったりするせいで、個人や企業の負担が増し、経済の活力が失われる恐れもあります。その結果、税収が減って、大きな政府の維持がますます大変になる可能性もあります。

小さな政府を目指せば社会問題が大きくなり、大きな政府を目指せば借金が大きくなるというジレンマ。これを克服することは、並大抵のことではありません。

小さな政府のイノベーションを行わなかった故郷の国の末路

しかし小さな政府のイノベーションが難しいからといってやらないわけにはいきませんでした。
そうしないと、故郷の星のように小さな政府と大きな政府を繰り返す一貫性のない政治が行われるようになってしまいます。

こうした無限ループにはまるのは、小さな政府と大きな政府のイノベーションに成功していない証拠です。
つまりどちらも問題があるからうまくいかなくなり、その反動で真逆の政府を求めては失敗する繰り返しになるということです。

ならば、バランスのいい、その中間の大きさの政府を目指したらいいのではないか。そういうアイデアもあるかもしれません。

しかしそれも同じ結果になります。
私はそれを前に住んでいた星の故郷の国で体験しました。

私の故郷の国の政府は、まさにその中間の大きさでしたが、金融政策の失敗で大不況を招いたことで、小さな政府へと舵を切ることになってしまいました。
故郷の国が小さな政府を選んだわけは、その金融政策の失敗でつくった大借金を減らすためです。
なので、大きな政府と比較検討をして小さな政府を選んだというより、小さな政府を選ぶしか選択肢がなかったということになります。

小さな政府には、国家の経費を小さくするメリットの他に経済を活性化するメリットもあります。政府の介入を最小限にすると民間経済の活力を引き出すことができるという理論があるからです。
となると、景気が良くなれば税収も増えることになり、ダブルで借金を減らす効果を得られる。故郷の国はそのような成功のシナリオを思いつき、小さな政府を強力に進めることにしたのです。

ところが、思ったような結果にはなりませんでした。
経済は低迷したままで貧困層が拡大し、借金は減るどころか、むしろ増えてしまったのです。

世界一といわれるくらいの規模の借金になったことで、小さな政府であるにもかかわらず税金は大きな政府以上に重くなり、それでいて見返りは小さな政府以上に少ないという、国民にとって何の得もない事態になってしまいました。
要するに、小さな政府と大きな政府の悪いところばかりを集めたような国になってしまったのです。

それにより国を見限って他国に移住する人が激増し、少子化が原因で起こっていた人口減少の勢いがさらに加速してしまいました。
そうなると余計に国民への負担は増していくので、限界に達していた国民の不満がついに爆発し、長年政権を守ってきた与党は国政選挙で大惨敗してしまいました。

しかし政権交代が行われ、大きな政府に方向転換したところで問題が解決するわけではありません。
無限ループにはまった故郷の国の政治は迷走し、先進国の地位からも脱落する羽目になり、歯止めがかからぬ借金増加と人口減少で国家消滅の方向へと暴走していったのです。

シナリオ通りにいかなくなる原因とは

では、どうして小さな政府の理論通りにいかなかったのか。
次はこの問題について追求してみましょう。

実は故郷の星では、「小さな政府」論は政府からではなく、故郷の星に浸透していた資本主義の側から出たものでした。

その理論とは、「経済を健全に発展させていくためには、政府の経済活動への介入は最小限に抑えるべきである」というものです。

政府の介入が邪魔になると主張する理由は、「市場メカニズムには、商品の価格、需要と供給など様々な過不足やアンバランスを自ら調整して最適化する機能が備わっている」と信じているからです。
だから自由競争を妨げる政府の介入は、その自己調整機能を狂わせる元凶になると言うのです。

また自由競争を行うことで経済が発展すれば失業率が低下し、自らの力で豊かに暮らせるようになったり、老後の資金を増やせたりするようになるので、手厚い社会保障をする必要がなくなると説きました。

逆に福祉を充実すれば、労働生産性を低下させる愚策になると断じました。
福祉に依存する人が増えるし、所得再分配に稼ぎの多くを税金でもっていかれることは真面目に働いている人のやる気を削ぐことにもなるからです。

しかし税金を安くすれば、消費者の購買力や企業の体力を高めることで景気に良い影響を与えると述べ、さらに政府も経費削減と税収の安定化で財政を健全化しやすくなるので、小さな政府にすることはみんなを幸せにする最善策になると力説したのです。

つまり資本主義の唱える小さな政府の成功術を簡単にまとめれば次のようになります。

自由な市場で競争をさせる→経済成長して豊かになる→各人が自分の稼ぎで暮らせるようになる→政府への依存を低くしてもやっていかれるようになる→小さな政府に成功する

とても筋が通ったシナリオですが、どうして理論通りにいかなかったのでしょう?
私たちが導き出した答えは以下のようなものでした。

理想的な競争の場にならない

資本主義の考える理想的な環境とは、誰もが参入できる規制のない自由な市場です。
こういう環境が理想的な競争の場になるというのです。

しかしそれは誰にとって理想的な環境なのでしょう?

スポーツにおける競争では、大人と子供を一緒に戦わせないようにしたり、男女別にしたり、体重別にしたりと、競技の特性にあわせて、できるだけ同じレベルの選手たちが競い合えるような配慮をします。そうしないと不公平感の強い競争になってしまい、競技の健全性が損なわれてしまうからです。

ところが、市場は誰でも参加できるので、大人と赤ん坊ほどの差がある企業が一緒くたになって戦う土俵になります。
さらに規制が取り払われると、何でもありの勝負になってしまいます。

これで得をするのは誰か?
もちろん強者です。
強者が自由に弱者を叩きのめし、思うように彼らの利益を奪い取れる理想の環境になるからです。

また自由競争の参加者に情報格差があっては公正公平な競争は成立しえないのに、強者は自分たちに有利な情報を創り出すことができます。

この不健全な自由競争の規模が世界に拡大すると、さらに強力なライバルが増えて生き残るのが大変になります。弱者はもちろん、国内において強者であった企業も楽に勝てる競争でなくなります。
事実故郷の国は、激しいグローバル市場競争に消耗する企業を増やすことになり、経済がダイナミックに発展するどころか、経済も国力も弱体化してしまいました。

この結末を見て、「規制を撤廃して市場を開放すれば、政府に依存しなくても誰もが幸せに暮らせる豊かさを創出できる」という理論には普遍性がないと私たちは確信しました。

トリクルダウンが弱くなる

グローバル資本主義になると、トリクルダウンがうまく働かなくなります。

トリクルダウンとは、「富める者がさらに富むと、その恩恵がみんなに行き渡る」という理論です。なぜなら、富めるものがさらに富むと、経済が活性化することで仕事も雇用も増え、消費も活発になり、その結果、低所得の貧困層も収入が増えることになるからです。
だから自由競争は、弱肉強食の競争にならないという主張もありました。

確かに、競争相手になるのは同業者だけであり、どの企業も異業種の助けを借りなければ事業を行うことはできません。また同業者であっても、一企業でできないことは助け合うこともあるでしょう。

協力なしには経済を発展させることができないことを考えると、自由競争の参加者はライバルという関係だけでなく、仕事仲間という関係にもなります。
そして富を増やすには生産物やサービスを買ってもらわなければならないので、購買力を高めるために、共存共栄を考えたり賃金をあげたりもするでしょう。

そう考えると、トリクルダウンがうまく機能する関係を構築することは経済成長の手段として非常に合理的なので、必然的にそれを目指すようになるといえます。

しかしグローバル資本主義になると、トリクルダウンがうまく機能しなくなってしまいます。なぜでしょう?
それは、トリクルダウンが成立する関係をグローバル資本主義が壊してしまうからだと私たちは解明しました。

トリクルダウンは一つの国のなかで資本主義が発達する場合にうまく機能します。
国の中だけで経済がまわっているので、トリクルダウンが行き渡る構造をつくれますし、企業も景気を良くするために従業員への富の分配を増やすことを考えるようになるからです。

ところがグローバル資本主義になると、厳しいコスト競争にさらされるようになります。
市場が解放されれば、海外から価格競争力のある製品やサービスがどんどん入ってくるので、従来のやり方ではやっていかれなくなるからです。

そこで打ち出されるのは、生産や取引を安くできる国にかえるという解決策です。
また国内では、下請けに無理なコストダウンを要求したり、低賃金で働かして人員整理も自由にできる雇用形態にかえたり、機械化を広げて人件費を削減したりしてコスト競争に打ち勝とうとします。

そうするとトリクルダウンが細くなって国民の購買力を弱らせてしまいますが、世界を相手に稼げるようになれば、それを補って余りあるほどの収益を得られるようになります。
「ならば、トリクルダウンの構造を守ってジリ貧になるよりも、グローバル企業に転換するのが正しい経営判断である」そのような考えをもつ経営者が増えることで、トリクルダウンの機能は一気に低下していくのです。

その上、せっかく増やした財産を税金に奪われたくないと考える富者たちが、その発言力で政治に影響を与え、社会福祉による再分配も後退させてしまうと、余計にトリクルダウンが働かなくなってしまいます。

またその勢いで小さな政府が進められると公務員数も公共事業費も削減されることになるので、さらに勤め口や仕事が減ってしまいます。

その結果、多くの国民は安いものしか買えなくなってしまいます。そしてそれは悲劇的なことに、自分たちを見捨てたグローバル企業の価格競争力のある製品やサービスを選ぶことで、自らもトリクルダウンの破壊者にしてしまうのです。

こうして世界はグローバル企業の天下になり、一握りの富裕層に富が集中する二極分化が進んでいくのです。

市場の信頼性が低下する

自由競争はモラルの低下も招きやすく、消費者からの信用を損ねることで景気に悪影響を与える問題もあります。

モラルが低下する原因は、強者が圧倒的に有利な環境になると、不正を行わなければやっていかれない状況に追い込まれる弱者を生み出してしまうからです。
そしてグローバル資本主義でコスト競争が激しくなると、大企業であっても利益を出すのが困難になるので、さらに不正が発生しやすくなります。

また規制が緩くなることも、不正がやりやすい環境をつくってしまいます。

この他、小さな政府にしたことで経費削減に厳しくなると、公共事業などにおいて無理なコストダウンを強いることになるので、不正が発生するリスクが高くなります。

困ったことにコスト競争が激化すると、法律に触れないギリギリの商売をする者が現れるようにもなります。
そうなると後追いをする者が続出し、真面目に商売を営んでいる者はやっていかれなくなり「悪貨は良貨を駆逐する」事態が進んでしまいます。

資本主義の正義とは、自由競争に勝ち抜いて上手に稼ぐことなのです。
正直な商売をしても敗北をすれば、それは自己責任であると片付けられてしまうのです。

しかし市場の信頼性が低下すると、経済発展は難しくなります。
消費者は警戒心を強めて容易に財布の紐を緩めなくなりますし、企業も信頼のおける取引先を見極めるのが大変になってしまうからです。

環境問題の悪化が加速する

グルーバル資本主義は、環境問題の悪化も加速させます。
その理由は、過当競争が激化するからです。

過当競争が激化すると薄利多売になるので、環境に悪影響を及ぼす大量生産に拍車がかかることになります。
その上、頻繁に買い換えてもらおうと、モデルチェンジを早めたり、新商品を競い合って出したりするので、さらに環境問題を大きくしてしまいます。

過当競争は効率の低下ももたらします。
国が行う仕事に比べ民間企業の仕事は効率がいいと言われていますが、過当競争下では違った結果になってしまうのです。

確かに、国の仕事は競争のない恵まれた環境で行われるものなので、民間企業よりも経営努力に甘いところがあり、1対1で効率性を競わせたら民間企業に負けてしまうでしょう。

しかし過当競争の結果を総合的に見たら、判定は覆ります。
過当競争が行われるということは、過剰に存在する参加者たちによって過剰な生産やサービスが行われるムダが発生しているということです。
またグローバル資本主義では勝ち組は一握りで、その他大勢は成果のあがらない仕事に明け暮れているので、全体を均せば国が行う仕事よりも効率的だとはいえなくなります。

そして経営が苦しくなれば環境コストを払う余裕はなくなりますし、背に腹は代えられず環境問題は二の次になってしまいます。

またグローバル資本主義になると規制がなくなり、安い労働力を求めて世界を自由に移動できるようになるので、自然豊かな開発途上国にも環境破壊が広がっていき、様々な場所に眠る資源も掘り起こされ、人類が存続できない環境へと加速させてしまうのです。

リバウンドが大きくなる

グローバル資本主義で自由競争が行われると問題が大きくなって、逆に政府のやる仕事が増え、お金もかかるようになってしまいます。

「市場メカニズムに任せれば資源が最適配分されて経済が健全に発展し、すべての人が豊かに暮らせる世の中になる」というのが「小さな政府」理論でしたが、故郷の星ではその逆で、経済が不安定になり格差も拡大、温暖化も進むなど、社会も環境も大きな問題を抱えるようになってしまったのでした。

そして世界的に少子化が進み、社会福祉の力を借りなければ暮らせない高齢者の割合が高くなる超高齢化社会になってしまったことも、市場万能主義ではやっていかれなくしてしまいました。

ところが、少子高齢化による人口減少と激しいコスト競争による不況は、多くの国を重度の財政難に陥らせ、大きな政府に戻す力を奪ってしまったのです。

また自然環境も回復不能な状態にまで悪化したことで資源や食料が不足するようになり、それをめぐる奪い合いの戦争が激しくなりました。そのせいで国家予算は軍事費に消えていき、どの国も社会問題を解決する力を失っていったのです。

グローバル資本主義で全世界を幸せにする小さな政府は不可能

グローバル資本主義にして小さな政府を世界中に広げれば、全世界で経済が活性化され、その恩恵が全世界の人に浸透することで誰もが豊かに暮らせるようになるという理論は、そもそも無理があります。
競争力のあるグローバル企業が多く集まる最上位の経済大国以外は、小さな政府を成功するのは難しくなるからです。

その理由を詳しく説明してみましょう。

社会福祉が貧弱な自己責任の世界で誰もが人間らしい生活を送れるようにするには、次の2つの条件が揃っていなければなりません。

  • 完全雇用が実現していること

  •  物価が驚くほど安いこと

まず完全雇用が必要になる理由は、社会福祉が貧弱な社会では働かないと生活ができなくなるからです。
そうなると、健康に問題を抱える高齢者でも働ける職場を用意しなければならなくなります。そして誰もが人間らしい暮らしを送れるようにするには、最低賃金をそのレベルの生活ができるまでに引き上げる必要もあります。

物価を驚くほど安くすることが必要な理由も、誰もが人間らしい生活を送れるようにするためです。

前述したように、規制のない自由競争を行うと格差が拡大します。
格差が拡大するのは、競争をすれば必ず敗者が出てしまうからです。そして敗者は、過当競争になるほど多くなります。
これは構造的にすべての人が自己責任で勝者になれないということです。
そしてその人の運命は、その人の努力よりもその人の属する会社によって決まるということにもなります。

そうなると、賃金格差が激しい社会になるのは避けられなくなります。
そういう格差社会でも、誰もが人間らしく暮らせるようにするには、物価を驚くほど安くするしかありません。

この2つの条件を満たすことできるのは、グローバル競争で圧倒的な力をもつグローバル企業が豊富にあり、人件費の安い国の労働者を搾取して物価を激安にできる経済大国だけになってしまいます。

以上のような考察から、グローバル資本主義で小さな政府を成功できるのは圧倒的な力を持つ最上位の経済大国だけになり、搾取される国がいなければそれは成功できないという結論が導き出されたのです。

なぜ資本主義の暴走を止められなくなるのか

資本主義の暴走を止められなくなるのは、政府が患者のわがままを聞く医者のようになってしまうからです。

前述したように、グローバル資本主義は環境問題や社会問題を大きくする原因になります。
たとえば環境問題は、資本の増殖により経済が肥大化し、大量生産・大量消費・大量廃棄が激しくなることで重度化します。それは人間が暴飲暴食でメタボになって成人病を招いてしまうのと同じです。

この悪習慣を改めないと、成人病が悪化して寿命を縮めてしまうように、住んでいる星を人類の生存に適さない環境にする速度を早めてしまうことになります。そしてそれは資本主義にとっても自滅を加速させる間抜けな行為になってしまうのです。

人間の場合、成人病を悪化させないためには、医者による治療と生活習慣の改善が必要になります。生活習慣の改善とは、適正体重を維持するために節制をするなど自己管理ができるようにすることです。これも医師による適切な指導が必要になります。
政府の役割は国民が幸せに暮らせる社会を持続可能にすることにあるので、政府がしなければならない対処もこの医師の行為と似たものになるでしょう。

しかし資本主義はこれをやられると資本の増殖がやりにくくなってしまうので、政府にコントロールされないような対抗策を考えなければならなくなります。

そういう観点から見ると、資本主義が小さな政府にすることに執着するのは、それが政府の力を小さくする最も効果的な手段になるからだというのがわかってきます。
それにより資本主義の支配力を大きくすることができれば、資本家の発言の威力が強くなり、世の中を自分たちに有利に働く仕組みにかえることができるようになります。

また資本家が大きな力をもつと、彼らの支援を受けた立候補者が当選しやすくなります。これは別の言い方をすると、彼らの言うことを聞かない政治家は支援を受けられなくなり、次の選挙で落選する可能性が非常に高くなるということです。この強力な脅しを使えば、さらにわがままを通せる政治にできます。

さらに資本家は、民主主義の主権者である国民をコントロールする力ももっています。
投票権をもつ国民の大半は自分たちが雇っている労働者なので、資本家はその有利な立場を利用して、自分が推している立候補者の支援に協力を求めることができるからです。

また小さな政府にすると政府は税金を徴収するだけでたいしたことをしてくれない存在になるので、国民は国よりも給与をもらっている組織を尊重するようになり、選挙においても雇用主に従うのが正しい行動だと考えてしまうようになります。

こうして資本主義は民主主義の乗っ取りにも成功して、選挙が自分たちの思惑通りに運ぶようにしてしまうのです。

さらに困ったことに、個人に対しては「失敗は自己責任」と言いながら、資本主義はその身勝手な経済活動で起こった問題の始末を政府に押しつけます。

それどころか、「景気が良くならないのは政府のやり方が悪いからだ」と言い出すのです。
政府の介入は経済発展を阻害する一番の原因になるというのが資本主義の理論であるのに、それでは政府の介入で経済が良くなるという理論になってしまいます。

こうしてみると、資本主義はまるで親離れできていない子供で、政府は過保護な親のようです。
「親父は余計なことをするな」という意味は「自分の好きなことをやらせろ」ということであり、自立宣言ではないのです。
自立をしているのなら、親に迷惑をかけずに自分で解決するはずですし、そもそも問題を起こさないように自分の身勝手な欲望を抑えられるはずです。

過保護な自由放任主義は、子供をダメにするだけでなく、親をいつまでも子供の苦労から解放できなくします。
そして、わがままを言ってやりたい放題の患者と患者に逃げられるのが怖くてわがままを聞いて病を悪化させてしまう医師のような関係が続く限り、いくら首相を替えても、問題が解決するわけがありません。

行政機関が財政難に陥りやすい一番の原因とは

行政機関が財政難になりやすいのは経営努力に励まなくてもいい競争のない世界にいるせいだと考えられがちですが、根本的な原因は競争の有無の相違よりも、仕事の相違にあると私たちは考えています。

その相違とは、国や地方の行政機関は民間企業と同じように、採算を考えて仕事を選べないということです。
たとえば、大きな犯罪が立て続けに発生し、その上、自然災害で大きな被害がでたとします。
それに対し行政機関は、被災者の救助で予算を使い切ってしまうから、事件の解明から手を引くというわけにはいきません。

財政力をオーバーすることになっても、容赦なく降り掛かってくるすべての問題に適切に対処しなければなりませんし、民間企業のように高齢者は労働生産性が低いからと見捨てるわけにもいきません。

さらに国民の負担限度を考えなければならないので、収入を増やしにくい制約もあります。
こうしたことから収支バランスがとれなくなり、財政難に陥りやすくなるのです。

国家は財政破綻しないという発想の恐ろしさ

自国通貨を発行できる国は、いくら借金をしても通貨の発行で返済できるのだから、財政破綻を心配する必要はないという理論があります。

確かにその通りかもしれませんが、それで安堵はできません。
その考え方は問題点を間違えているからです。

問題点は、財政破綻をすることではなく、財政破綻をしないことにあるのです。

もちろん、財政破綻は良くないことです。
しかし財政破綻には、そこで問題を断ち切ることができるというメリットがあります。
そしてそこで間違いを改めれば、一から出直すいいチャンスにもなります。

ところが、「財政破綻の心配はないから、借金を気にせずにどんどんお金を使えばいい」という発想になると、現実は問題が大きくなるのを放置しているだけなのに、新たに発行した通貨で借金を返すと問題が解決したような錯覚を起こしてしまうようになります。

その結果、問題が大きくなるだけでなく、組織も腐っていきます。
極端なたとえを使えば、お札を刷っていくらでも失敗を解決できるのなら、ギャンブルで破産することもなくなるので、ギャンブルもやり放題になります。そんな何でもありの世界になることで未来は良くなるのでしょうか?

問題がお金で解決できないレベルになれば、紙幣はただの紙切れになってしまいます。
また機械的に製造されただけの通貨には、問題解決をする力もないでしょう。偽札でなくても、問題解決の方法を発明する真面目な努力を経ないで誕生した通貨は実力のない偽物だからです。

そして景気回復を大義名分に無計画に貨幣を発行し続けると、政府はグローバル資本主義の金づるになり、ますます火に油を注ぐことになってしまいます。
その結果、お金で交換できるものがわずかしかない荒れ果てた未来を引き寄せてしまうのです。

小さな政府を成功させる3つの方法

私たちは故郷の星の失敗から学んで、小さな政府を成功させるには次の3つの方法が必要になると考えました。

成功の秘策を見つけたぞ!

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