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文学と映像の親和性についての実験(継続中)

(都合により今回から文体が変わります)

棕櫚に短編小説作家として参加してから三年、作品を人に読んでもらうことのハードルがいかに高いところにあるのかが身に沁みてきた。

僕は十数年の音楽活動を通して如何に自分の作ったものをより多くの人に体験してもらうかという難題にずっと悩みながら取り組んできた。インディーズバンドが楽曲を不特定多数の人に聴いてもらうというのも容易い事ではないが、音楽であれば例えばストリートで演奏して通りすがりの人の耳にもわずかなメロディを届けることもできるし、何よりもここ十年くらいは自主制作でもミュージックビデオ(MV。昔は"プロモーションビデオ"と呼ばれた)やライブ映像を制作してユーチューブやSNSに投稿することで、少しでも興味を持ってくれた人へ作品を届ける環境が整っている。当然ながら内容次第で一瞬でスキップボタンを押されてしまうので、音楽はもとより映像の斬新さやクオリティが必要になってくる。作る方は必死である。それでも、現代ではこういった映像情報が有ると無いとでは作品に触れてもらう確率に大きな違いがあることは明白だと考えらえれている。そうして僕も自分のバンドの作品は自己流ながらも可能な限り映像化してきた。そして曲はもとより映像を作るときは、自分たちにしか出来ないことは何かという事を第一に考えながら取り組んできたつもりである。人と同じことをしてもしょうがない。結果として、映像作品から興味を持ってもらってバンドのライブに足を運んでくれた方もそれなりにいると思っている。

では、書籍はどうか。

本は、まず手に取ってもらわなければ、はじまらない。
「読もう」と思わなければ、読まない。
書き出しを少しでも読んでもらわなければ、どんな作品なのかもわからない。
通して読むのに時間がかかる。
音楽と違って、何か他のことをしながら本を読むのは難しい。
ビジュアル的な情報が無い(表紙や挿絵を除いて)。
電子化されていない限り、物理的に購入いただく必要がある。

文学に全く興味の無い人も多く存在するので、そういった人にまで無理に伝えるつもりはない。文系な人たちに少しでも読んでもらえたらよいと思って書いている。僕の作風が合わない人や、作品が技術的に未熟だと思う人がいるだろうことは承知している。しかしそれ以前に、まずは手に取って読んでもらうこと、そのために興味を持ってもらうための情報を伝えること、これが本当に難しいと思った。

そこで再び自分にしか出来ないことは何かと考えた結果、だったら棕櫚のプロモーションビデオを作ったらどうだろうかと思いついた。マルカフェ文藝社には幸いなことに、画家、イラストレーター、挿絵作家、漫画家などアート分野でプロフェッショナルに活動している作家さんが大いに協力してくれているので、ビジュアルで伝えられる作品には事欠かない。いままで散々音楽活動で映像を作ってきたので、映像編集はかなりの得意分野である。BGMだって自分で作ることができる。これって、もしかして意外と新しいんじゃないだろうか。と思った。

というわけで、2018年発行の棕櫚第六号より、短いPVを作り始めました。他の参加作家さんの作品に変な色をつけないようにという事だけ気をつけながら作っているつもりだが、うまく出来ただろうか。「かっこいい」という感想も時々いただくのでありがたいことだが、果たしてこれをきっかけに作品に興味を持って読んでいただけるかどうかは、まだわからない。もしかしたらあまり効果がないかもしれない。

でも、何もやらないよりはだいぶマシだと思っている。インディーズの我々が作品を人に伝えていくということは、そういうことの積み重ねだから。

*このnoteの前後に今まで作った2つの映像を投稿しておくので良かったら見てくれたら嬉しいです。どっちも2分以下と短いので、あまりお時間は取らせません。

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