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書いた小説なんとか読んでもらいたくて

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#バンド

書けばわかる書かなくちゃわからない

これまで棕櫚に四つの短編小説を書かせてもらった。少し前のnote「曲を作るように小説を書いてみようとした」で述べた通り、僕の小説は良く言えば即興的、悪く言えば場当たり的な書き方をしている。最初に脳内に浮かんだ映像ありきなので、手を付ける前に「今回はこういう事をテーマにして書いてみよう」と考えるということはまず無い。何を伝えたいのかという事が明確にならないままふわっと書いている。 それでも最近、作品を通じて言いたい事が何も無いというわけでも無い、ということも分かってきた。何故

文学と映像の親和性についての実験(継続中)

(都合により今回から文体が変わります) 棕櫚に短編小説作家として参加してから三年、作品を人に読んでもらうことのハードルがいかに高いところにあるのかが身に沁みてきた。 僕は十数年の音楽活動を通して如何に自分の作ったものをより多くの人に体験してもらうかという難題にずっと悩みながら取り組んできた。インディーズバンドが楽曲を不特定多数の人に聴いてもらうというのも容易い事ではないが、音楽であれば例えばストリートで演奏して通りすがりの人の耳にもわずかなメロディを届けることもできるし、

曲を作るように小説を書いてみようとした

普通あまり言わないだろうしあえてこんなこと言うのも格好の悪いことかもしれませんが、このシリーズをnoteではじめてしまったので、最後まで書きます。私の小説の書き方についてです。 詞先(しせん)、曲先(きょくせん)という言葉が最近一般的に知られているようです。歌のついた曲をつくる時、詞を先に書いてからメロディをつけるか(詞先)、先にメロディを決めてから歌詞を書くか(曲先)という意味で使われますが、私が曲を作る時はほとんどの場合まずメロディが出来てから詞を書いていくという順番な

小説を書くことになった経緯

私は十五年ほど前から今のバンドをやっていて、でもそのバンドを始めたときからメンバーそれぞれ普通に仕事もあって、家庭もあって、という状態でした。それもあってライブや音源制作も、多くのインディーズバンドと比べて非常にスローペースにならざるを得なかった。それでも音楽活動を中途半端なお遊びにするのは本当に嫌だったので、仕事のかたわらどこまできちんとした活動をできるかという事が大きな課題として常にありました。 そこで、ライブの本数をあまり組めないかわりに、音楽活動に付随するあれこれを

書いた小説なんとか読んでもらいたくて 序文

はじめまして。椋田裕生といいます。「くらたゆうき」と読みます。マルカフェ文藝社という団体が定期的に発行している「棕櫚」という総合文芸誌で小説を書かせてもらってます。2019年2月21日にその最新号である「棕櫚 第七号」が発行されます。その本と、そこに掲載されている私の作品を少しでも多くの方に読んでもらうためには果たしてどうしたらいいのかなと思って、発売日までのあいだ定期的に文章を書いてみることにしました。 小説を読んでもらうために別の文章を書くのも少し奇妙な話ですが、今回は

作品の良し悪しについての考察

主に文字のみで構成された作品の良し悪しとは、何なのでしょう。小説とか、短歌とか、今書いているこの文章とか。 私の答えは「わかりません」です。 正直、わかりません。有名でも無名でも、私が何か人の作品を読んだときに、今後もこの人の作品を読みたいと感じる基準は 好き か あまり好きでない  あるいは 気持ち良い か あまり気持ち良くない くらいの、非常に私的で曖昧な感覚しかありません。もちろん、自分が書いた作品について言えば、間違いなくそれは自分が「好き」で「気持ち良い」も