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小説を書くことになった経緯

私は十五年ほど前から今のバンドをやっていて、でもそのバンドを始めたときからメンバーそれぞれ普通に仕事もあって、家庭もあって、という状態でした。それもあってライブや音源制作も、多くのインディーズバンドと比べて非常にスローペースにならざるを得なかった。それでも音楽活動を中途半端なお遊びにするのは本当に嫌だったので、仕事のかたわらどこまできちんとした活動をできるかという事が大きな課題として常にありました。

そこで、ライブの本数をあまり組めないかわりに、音楽活動に付随するあれこれをなるべく丁寧かつ定期的に文章で伝えるという作業をはじめました。その頃のSNSはmixiが盛り上がりのピークで、バンドの近況、宣伝、ライブのお知らせ、ライブレポート、曲の解説、その他諸々、何もないときは自分の日常的な出来事や思いなどを、ほぼ毎日文章にして投稿することにしました。そうやって日常的に文章を書くことは、歌詞を書く事の助けにもなる、という思いも少しありました。その結果、思いのほか多くの方に私の書いた文章を読んでもらえて、バンドの曲を聞いたりライブに来たりしてもらえることにつながった気がしています。そしてそれが今でも息切れせずにバンド活動を長く続けられている一つの要因にもなっていると思っています。

さて、あるとき、自分のバンドのドラマーからの紹介で「マルカフェ」という小さなカフェとつながりました。週末だけ営業の小さなカフェということでしたが、訪れてみたらクセがすごい(良い意味です)。長くなるので詳細は省きますが、ここのマスターとシェフの二人は、彼ら自身の人生を自由に、丁寧に、けれども静かに、あくまで好きなことをやって生きていこうとしている人たちなんだな、と思いました。それは「好き勝手にやりたいことだけやって生きていく」という意味ではなくて、「好きなことをする為にやらなければならないことを知っている」、といったニュアンス。

そういう部分にも共鳴しマルカフェに通いはじめましたが、マルカフェの中の人を中心に集まった文学好きな人たちが文藝誌「棕櫚」というものを発行している、ということも聞いて、ずいぶん面白そうなことをやっているなと思いました。買って読んでみたら、なんだかすごくきちんとしているというか、単なる趣味なんかを超えた魂のようなものを感じ、参加している多くの作家たちも他に生業を持ちながらも文学に情熱を注いでいる姿勢にすごく感銘を受けたというわけです。棕櫚の読者として接しているうちに、首謀者である中川マルカ氏があるとき私に言いました。

「ナマハゲさんも文章上手そうだから何か書いてみたらいかがかしら」

作った曲の歌詞とかブログなんかを読んでそう思っていただいたのは大変光栄ですが、文学小説など書いたこともないし、書く機会が自分の人生に訪れるなんて想像したこともなかった(正直書きたいと思ったこともなかった)。書けるかどうかも全然わからなかった。けれども、なんだかあまり記憶がないのだけれど、わりとサラッと

「じゃ、やります」

と答えてしまったような気がします。何故かはよく覚えていません。

結果、小説を書き始めてよかったと思っています。小説を書くことはただ事務的な文章や小文を書くのと比べて、もっと盛大に自分の脳みそを奥まで掘り起こすような作業が必要で、それは結果的に今の自分が自由に生きていくことの手助けになっているように感じるからです。

次回は、自分なりの小説の書き方について。



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