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書いた小説なんとか読んでもらいたくて

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2019年1月の記事一覧

絵画と活字のシナジーに関する実験(継続中)

数あるメディアの中で「一枚の絵」というものはそれ自体かなり力のあるものではないかと思う。何故なら、一瞬で全体を理解できるので。音楽なら全体を聴くのに通常であれば数分かかる。なおさら短編小説なら数十分かかる。絵なら、一瞬でそれが脳内に映し出される。 文芸誌「棕櫚」には幸いなことに多くの絵画アーティストが作品を掲載してくれているので、パラパラと紙面をめくっただけでも大変良い気分になれる、というのが良いところです。 見よ。それ自体が語りかけるこの作品たちを。 本誌にはまだまだ力

心の中のジュヴナイルを取り戻したかっただけなんだろうか

(挿絵イラスト 千年 迦楼羅) これまで棕櫚に短編を四作書いてきたが、結果的にどの作品にも自分が若く未熟だった頃の体験が色濃く反映されているように思う。最初から意図しているわけではないものの、出来上がってみるとどうしてもジュヴナイル小説的な要素がにじみ出てしまう。別に嫌ではないのだが、成人してから二十年以上も経っているのに、作品に無意識にそういうところが出てしまうというのも少々気恥ずかしいものがある。勝手ににじみ出てしまうものなので仕方がないというか、まあ、おそらく自分の書

書けばわかる書かなくちゃわからない

これまで棕櫚に四つの短編小説を書かせてもらった。少し前のnote「曲を作るように小説を書いてみようとした」で述べた通り、僕の小説は良く言えば即興的、悪く言えば場当たり的な書き方をしている。最初に脳内に浮かんだ映像ありきなので、手を付ける前に「今回はこういう事をテーマにして書いてみよう」と考えるということはまず無い。何を伝えたいのかという事が明確にならないままふわっと書いている。 それでも最近、作品を通じて言いたい事が何も無いというわけでも無い、ということも分かってきた。何故

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マルカフェ文藝社「棕櫚shuro」第七号

【マルカフェ文藝社|「棕櫚shuro」第七号】 神社裏で編む総合文芸誌最新号。2019年2月21日発売! お求めは、マルカフェ店頭、WEBSHOP( https://malucafe.theshop.jp )にて。 天ヶ瀬幹夫 「インチキ里暮らしマニュアル(準備編) 」 エッセイ 石川 友助 「モンブラン・ラプソディ」 小説 岡崎 友則 「時代非可逆圧縮」 グラフィックデザイン Kazu Tabu 「烏合の衆の皮肉」 イラスト カフェラテ・イリエ 「蝉と老木」 小説 かめやままあ 「ゴミ取りからの」 漫画 木々かれこ 「お言葉に甘えて」 漫画 雲鳴遊乃実 「MからNへ」 小説 椋田 裕生 「第四池」 小説 くりまる 「偏愛至上主義」 小説 くろいわ ゆうり 「結社の自由(仮) 」 小説 sheeno 「蝉と老木」 挿絵 千年 迦楼羅 「結社の自由(仮)」 挿絵 津川 智宏 「イチモンジ」 漫画 寺澤 智恵子 「theater」「coda」 銅版画 なかの 真実 「第四池」 挿絵・表紙絵 中川マルカ 「ひとかたの」 小説 hunton 「ごちそう」 イラスト MOTOKO 「うちのヒフミヨ〜4人育児はエンターテインメント〜」 漫画 森瀬 一琉 「エトワール -プレリュード続編-」 小説 ■HP https://www.malucafe.com ■WEBSHOP https://malucafe.theshop.jp (マルカフェ文藝社「棕櫚shuro」第七号/A5判/266ページ/巻末カラー/定価1000円/発刊日 二〇一九年 二月二十一日/編集人 中川マルカ/表紙絵 なかの真実/発行所 マルカフェ文藝社)

文学と映像の親和性についての実験(継続中)

(都合により今回から文体が変わります) 棕櫚に短編小説作家として参加してから三年、作品を人に読んでもらうことのハードルがいかに高いところにあるのかが身に沁みてきた。 僕は十数年の音楽活動を通して如何に自分の作ったものをより多くの人に体験してもらうかという難題にずっと悩みながら取り組んできた。インディーズバンドが楽曲を不特定多数の人に聴いてもらうというのも容易い事ではないが、音楽であれば例えばストリートで演奏して通りすがりの人の耳にもわずかなメロディを届けることもできるし、

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マルカフェ文藝社「棕櫚shuro」第六号 プロモーションビデオ

【マルカフェ文藝社|「棕櫚shuro」第六号】 神社裏で編む総合文芸誌最新号。ただいま好評発売中!お求めは、店頭、マルカフェWEBSHOP( https://malucafe.theshop.jp ) にて。 石川 友助 「鋼鉄ブルー」 (小説) 岡崎 友則 「別府ヤングセンター」 (グラフィック) Kazu Tabu 「町の再開発 」 (挿絵) かめやま まあ 「土佐山日記・黎明編・下」 (漫画) 椋田 裕生 「階段」 (小説) くりまる 「たつ子さんのこと」 (小説・挿絵) カフェラテ・イリエ 「町の再開発」 (小説) くろいわ ゆうり 「欲望の墓標」(小説) sheeno「MUKURO」 (挿絵) 千年 迦楼羅 「階段」 (挿絵) 津川 智宏 「イチモンジ」(漫画) 寺澤 智恵子 「Alice」(銅板画) hunton 「鋼鉄ブルー」(挿絵) なかの 真実 「欲望の墓標」 (挿絵)、「見ること、描くこと」(エッセイ・イラスト) 中川マルカ 「MUKURO」(小説)、「パンクロックと文学。体験記。」(コラム) 武藤 麻衣 「軽蔑」(写真・お話) 水野 行雄 「からだの話」 (イラスト・講話) 森瀬 一琉 「プレリュード」(小説) ■HP https://www.malucafe.com ■WEBSHOP https://malucafe.theshop.jp (マルカフェ文藝社「棕櫚shuro」第六号/A5判/184ページ/巻末カラー/定価700円/発刊日 二〇一八年 一月十一日/編集人 中川マルカ/表紙絵 なかの真実/発行所 マルカフェ文藝社)

曲を作るように小説を書いてみようとした

普通あまり言わないだろうしあえてこんなこと言うのも格好の悪いことかもしれませんが、このシリーズをnoteではじめてしまったので、最後まで書きます。私の小説の書き方についてです。 詞先(しせん)、曲先(きょくせん)という言葉が最近一般的に知られているようです。歌のついた曲をつくる時、詞を先に書いてからメロディをつけるか(詞先)、先にメロディを決めてから歌詞を書くか(曲先)という意味で使われますが、私が曲を作る時はほとんどの場合まずメロディが出来てから詞を書いていくという順番な

小説を書くことになった経緯

私は十五年ほど前から今のバンドをやっていて、でもそのバンドを始めたときからメンバーそれぞれ普通に仕事もあって、家庭もあって、という状態でした。それもあってライブや音源制作も、多くのインディーズバンドと比べて非常にスローペースにならざるを得なかった。それでも音楽活動を中途半端なお遊びにするのは本当に嫌だったので、仕事のかたわらどこまできちんとした活動をできるかという事が大きな課題として常にありました。 そこで、ライブの本数をあまり組めないかわりに、音楽活動に付随するあれこれを

書いた小説なんとか読んでもらいたくて 序文

はじめまして。椋田裕生といいます。「くらたゆうき」と読みます。マルカフェ文藝社という団体が定期的に発行している「棕櫚」という総合文芸誌で小説を書かせてもらってます。2019年2月21日にその最新号である「棕櫚 第七号」が発行されます。その本と、そこに掲載されている私の作品を少しでも多くの方に読んでもらうためには果たしてどうしたらいいのかなと思って、発売日までのあいだ定期的に文章を書いてみることにしました。 小説を読んでもらうために別の文章を書くのも少し奇妙な話ですが、今回は

作品の良し悪しについての考察

主に文字のみで構成された作品の良し悪しとは、何なのでしょう。小説とか、短歌とか、今書いているこの文章とか。 私の答えは「わかりません」です。 正直、わかりません。有名でも無名でも、私が何か人の作品を読んだときに、今後もこの人の作品を読みたいと感じる基準は 好き か あまり好きでない  あるいは 気持ち良い か あまり気持ち良くない くらいの、非常に私的で曖昧な感覚しかありません。もちろん、自分が書いた作品について言えば、間違いなくそれは自分が「好き」で「気持ち良い」も