【マシュマロ返信】小児性愛の話について

どうも、倉泉遼です。前回「共感できない相手を犯罪者予備軍扱いしてはならない」を書いたところ、マシュマロにて意見を頂きました。ありがとうございます、とても嬉しいです!

今回はその返信となります。ほとんどの内容には肯定し自分なりに解説していますが、最後の部分のみ少し意見が異なりました。

「法律は理屈であってそれ故にルールがあり、差別意識は感情であってそれはいわば個々の価値観であると思っています。双方はコーヒーとミルクのようにまったくの別物でありながら混ぜるとカフェラテになりますが、そうなってくると「どこからどこまでがカフェラテなのか」ということになり、9:1でもカフェラテなのかもしれないがそれは限りなくコーヒーに近いのではないか、という話になると思います」

前提のお話ですね。個人個人の中で「理屈と感情」のバランスをどう取るのかは、人それぞれ多種多様に分かれているのは確かです。

「『犯罪者予備軍』という単語は極めてコーヒーに近いカフェラテで、コーヒーではないにも関わらず人によっては最早コーヒーであるという価値観のもとコーヒー扱いをするであろうことは想像に難くないです。基準の曖昧さがより多くの悪を裁けるようにするためのマージンでもあり、悪ではないものを図らずも貶めてしまう歪みとも言えるので、難しいものです」

ここで「犯罪者予備軍」と入れてるのは私の判断なのですが、実際のマシュマロではワードに反応して伏せ字になっていました。間違っていたらすみません。

(差別を行う人は)あえて明確な基準を設けないことで意識的にせよ無意識にせよ何かを差別しやすい状況を生み出している、との指摘ですね。これは大切な指摘だと思います。

犯罪者が相手であれば誰から見てもアウトな存在だと判断できます。「違法に手を染めたか」という客観的な基準があるからです。

一方ほとんどの同性愛者や小児愛者は無実であり犯罪者ではない。その上でその方々を貶したいがため、あるいは自身の偏見を無自覚に正当化した末に、現実には罪を犯していなくとも“犯しそう”という曖昧な主観的基準を持ち出すことで「犯罪者予備軍」かのように扱う。そういった問題は確かに現実に起きていると思います。

「例えば子宮頸がんワクチンの話になってしまいますが、理屈の上では接種するメリットとデメリットは比べるまでもないにも関わらず、感情の面で接種することに二の足を踏み続ける人が多いです。人というものはいかに知性が備わっているとしても感情が優位となるケースが圧倒的に多数で、有り体に言えば「理屈じゃない」ということなのでしょう。それなら感情に任せた者が正しいのかといえばそうではないのが難しいところではありますが」

これは私も前回の記事で書いた通り、例えば差別問題にしても「差別意識を持つこと自体は仕方ない」のです。自分の価値観や感情は、当然ながら自分にとっては正しいもの。実際に何かしらの被害に遭った方なら尚更、警戒や差別の意識は持ってしまうでしょう。それ自体は否定されてはいけません。

ワクチンの話で言えば、科学的に安全だと言われても自分や家族などが本当に無事に過ごせるのかを不安に思うのは仕方ないものです。いくら他人から正しい説明を受けても、その正しさを選択できるかは全く別の問題なのですよね。最終的には「大丈夫、信じてください」と感情に訴えるしかない場面もあるでしょう。

それを踏まえて、次が最後の部分。

「理屈ではない(と言う人に対して)なら感情に訴える方が理にかなっているのではないかと思ったりします。
つまり、
「ごちゃごちゃうるさい、思うのは勝手だけど罪を犯してねーんだから黙ってろよ」
と強く短く吐き捨てる方が、小児性愛者が犯罪者予備軍扱いされなくなったりするのかと思ってます」

前回の記事は理屈を最初から捨ててる人間に向けて書いたものではなく、理屈を求めている人や感情の在り方に困っている人に向けての一助として書いたものなので、主に理屈の部分を説いていました。なので「理屈ではない」と主張する人のことまではカバーしておらず、それが今回の指摘に繋がったものだと受け止め、その辺りを掘り下げていきます。

まず、強く短く吐き捨てる方法が通用するケースは「自分が相手を押さえ付けることが可能な場合」のみだと思います。しかも押さえ付けに成功したとしても相手が納得したかは別の問題です。単に見放されてる可能性もあります。

吐き捨てる場合……感情的な切り捨てを行う場合というのは「話を強引に終わらせたい時」のみ有効で、差別問題に対してあまり有効な手段ではありません。私ならむしろ事態が悪化する可能性を真っ先に想定します。

それと個人的な都合として、私は誰かに文句を付けたいのではなく「この理屈はその人の都合でしかない」ということを明確にしたいだけであり、その人が持つ個人的な正しさは基本的に肯定します(もちろん同性愛者や小児愛者に対しても同様)。幾度も「差別意識自体は仕方ない」と記し、感情的な切り捨てを行わないのはそのためです。

そうして各々の都合を整理することが私の中での最重要項目であり、必要があれば整理した上で「で、あなたの都合に従わねばならない理由は何ですか」と問うことが私のスタイルです。もちろん従う理由なんてありませんし、相手が私の都合に従わねばならない理由も無い。それをはっきり示すことを何より大切にしているのです。

どっちみち理解する気の無い人に訴えかけるのは正直非効率、あるいは無意味な場合が多いと思いますので、そちらはあまり考えず。せめてなるべく多くの方の整理と理解の一助となりたく、このようなスタイルが身につきました。


以上で今回の返信を終わります。あくまで私個人の考えですので、参考程度に読んでいただければ幸いです。ではでは。

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